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聖女ファニイ

作者: 中川 篤




 一日は何事もなく溶けていく。今日の私はこうして死んでいく。感動の嵐に包まれることも、情熱に身を焦がすこともなく、今日の仕事を淡々とこなし。ファニイは考える。これが緩やかに死んでいくことなのだ、と。

 昨日は最悪だった。

 道行く人は皆、暗い面を浮かべて、ファニイをあらゆる場所で待ち構えていた。手紙片手に泣きはらした目をしている若い女の子、うそつき……と唄うように言いながら去って行った不審者。



 朝はやく、ファニイは散歩に出る。近所にある海沿いの遊歩道は整備されていて、毎朝近隣の住民がそこに犬を歩かせに来たり、運動に来たりする。その日出会ったおばあさんが抱えていた仔犬は「むぎ」といった。ぼろぼろの毛並みで、おばあさんと一緒に年を取ってきた犬だった。

 段々を利用して、腕立てをして腕の筋肉を鍛えている人がいるかと思えば、走っている人がいる。ファニイは健康に気を使わないが、家計簿は付ける。

 「むぎちゃんバイバイ」

 「むぎ、バイバイって言ってるよ」

 おばあさんが言う。

 むぎは地面に下ろされて、今は四足で大地を歩いていた。足取りは頼りなく、そこには若々しさがない。むぎは老犬なのだ。手を振って少し行くと、むぎは見えなくなった。おばあさんと犬、出会いだ。きょうはいい日かな、とファニイは考える。


 元気がない。

 三日ぶりかに会うミラの顔は曇っていた。マスクをつけていて、やたら鼻をすすり上げるところなど、ファニイの気を引いた。彼女は泣いているのではないか、いやなことがあったのではないか、と、そういう気になるのだ。

 とはいえファニイは関心のあるふりを見せつつ、ニックと流行の小説の話など、ミラのいる席の横でした。声量が大きくなり、熱がこもるような気がするのが自分でも嫌だった。


 役立たず。ごくつぶし。


 手紙片手に、泣きはらした顔の女の子を見たのは、その日の午後だった。ファニイは労働の真っ最中だった。言われた通り仕事をしていたけど、その子に対してどういう態度をとるのか、取ればいいのか、それは自分で学ぶことだ。結局、ファニイは場を濁すような態度しか取れず、むしろ、相手から気を使われる始末だ。




 ファニイの国ではいつしか暗い空気が醸造されて、笑顔を見せることが罪のようになってしまった。ファニイはぞんざいな人間で、軽薄に見えて、誰にでも大きな声であいさつする。そしてファニイが挨拶すると、国の人々は顔を背けるようだった。

 馬鹿みたいな声出すなよファニイ、空気読めよファニイ、誰もそんなの求めてないんだよファニイ。

 もちろん、本当はそんなことはないのだろう。が、ファニイにはそうであるように感じられて、暗く重い気持ちになっていく。



 それに比べれば、今日のなんと無事平穏なことか! ありがとうファニイ、助かったよ、またよろしく頼むよ、そんな気のいい言葉を聞くことはめっきりなくなったが、雲間から差す西日は、穏やかでまぶしく、切ない。


 ファニイはゆるやかに死んでいく。そして人と会い、笑い、話すことで少しずつ自分を取り戻していく。だがファニイはそうではない。心からは弾力がなくなり、傷ついたハートはへこんだままだ。




 ファニイは弱みを見せたくない。ファニイは笑うのが下手だ。




 それから、世界はファニイに対して優しくなった。皆がファニイに笑顔をよこしてくれ、親切にしてくれる。君は真面目過ぎるんだ。もっと肩の力を抜けよファニイ。楽になるぜ。


 ファニイは笑って見せる――。


 「……こう?」


 「こう」


 ファニイは笑って見せる――。


 「こう?」


 「()()!」


 ファニイは笑って見せる――そう! 笑顔さ! それが君が使えるたった一つの魔法だったじゃないか、忘れてたの? 笑顔が魔法さ。万能の、究極魔法だよ。世界はそのうちよくなるよファニイ。君がそれを唱え続けていれば必ずね。



 ファニイはもう一度笑って見せた。微笑みかけるように。ふと目をやると、天の梯子が伸びているのが馬車の窓から見えた。




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