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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

麗し王子と解釈違い

作者: サブロー

 花も恥じらう美貌の王子エミールは、国内でも有数のカエルガチ勢であった。

 彼には三人の兄と四人の姉がおり、みな端正な容姿に恵まれていたが、エミールのきらめくような美しさには誰も敵わなかった。彼がその青い瞳で夜空を見上げれば、星たちは驚き天を流れ、彼が金糸の髪を揺らし暑さにため息を吐けば、太陽は悪さでもしたかのように雲の陰に隠れた。

 外見の美しさに加えて、エミールは心まで清らかだった。彼は決して驕らず、すべての者に分け隔てなく接した。誰かが傷つけば隣に寄り添い涙を流し、喜びごとがあれば花のかんばせを惜しみなくほころばせる。

 みなから愛されるエミールだったが、彼はやはり国内有数のカエルガチ勢だった。

 カエルの何が彼の心を掴んだのか、天上の神ですらわからない。ただ、エミールの細胞には生まれつきカエルへの愛が刻まれていた。

 彼は物心ついたころからカエルという生物に前のめりであった。城の近くの暗い森へ足を運んでは、木の根や泉に潜むカエルをうっとりと眺めて時を過ごした。

 そして彼は、カエルのなかでもとりわけ、背中に無数のいぼを背負ったヒキガエルを愛した。土色のヒキガエルがのっそりと姿を現すたび、エミールはその雄々しさに甘美な目眩を覚えるほどだった。そんな王子を、城の者たちはかなり真剣に心配していた。

 あるとき、ひとりの胡散臭い老婆が城を訪れた。心優しいエミールは彼女を快く迎え入れ、老婆は感激のあまり、皺だらけの頬に涙を伝わせた。

「王子様、これはあなたと運命のひとを結ぶ宝物です」

 城を去る直前、老婆はエミールにとあるものを差し出した。

「これは?」

「金の玉です」

 そう、それはまさしく金の玉であった。エミールの柔らかく白い掌におさまる大きさの、ぴかぴかと光り輝く玉。

 金の玉という聞く人が聞けばいささか卑猥な響きに、城の者たちはざわめいた。だが、その連想を言及することによって周囲が妙な雰囲気に変わるのを恐れ、誰しもが沈黙を貫いた。人間というものは、自らの性的な知識は隠したがる生き物である。

「ありがとう、おばあさん。とてもきれいです」

 しかしそっち方面でも清らかなエミールは、微笑みをたたえて礼を述べた。彼は「運命のひと」という響きにさほど魅力は感じていなかったが、老婆の心遣いが嬉しかった。

 老婆が去って数日後、エミールは金の玉を手に、城のすぐそばの森へと入って行った。無論、カエル観察のためである。

 森の中心には古いライムの木があり、その下には泉が広がっていた。エミールは泉のほとりに腰かけると、掌で金の玉を弄んだ。老婆から贈られたそれは、不思議と彼の手によく馴染む。

「運命のひと、か」

 エミールは物憂げにため息を漏らし、それを見た花たちは彼を哀れみ、蕾から露をこぼした。

 齢十八となったエミールのもとには、連日縁談が舞い込んでくる。しかしエミールは、男女問わず人間には惹かれなかった。彼が惹かれるのはゲロゲロと鳴くカエルばかりである。できることならば、この世で最も屈強なヒキガエルに人生を捧げたい。エミールはそう考えていた。そのとき、

「あっ」

 彼の手から金の玉が転がり、泉の中へと落ちてしまった。ぽちゃん、と可愛らしい音を立てたあと、泡がひとつだけ浮かび上がる。

 泉はとても深く底が見えない。エミールはしばし呆然としていたが、そのうち顔を覆ってさめざめと涙を流し始めた。彼は自分が考えるよりもずっと、金の玉を大事に思っていたのだ。

 エミールはみなから愛されていたが、その心は常に孤独の中にあった。美しさが過ぎるあまり、誰もが彼を壊れもののように扱ったからだ。エミールがカエルの素晴らしさを語ると、周りは必ず苦笑で応え、彼の心はそのたびに少しずつ削れた。けれど優しい彼は、自らの痛みを口にしたことはない。

 そんなエミールにとって、掌で転がる金の玉は、いつしか心の支えとなっていたのだ。あの玉がないのはつらい。彼の涙が水面に波紋を作った。

 そのとき、泉から声がした。

「美しいひと。君はなぜ泣いているのですか。君が泣いたら、そこらに転がっている石ころですら同情するでしょうに」

 驚いたエミールが顔を上げれば、水の中から醜い泥色の生き物がこちらを見ていた。それは、いぼいぼ頭のヒキガエルだった。

 しかし、醜い、というのはあくまでも一般的な感覚である。カエルガチ勢のエミールは、カエルの堂々した佇まいに胸を打たれて言葉を失った。そのカエルは、彼がこれまで見てきたなかでも、特にふてぶてしい顔つきをしている。

 エミールは生まれて初めてのときめきに胸を押さえた。なぜこのカエルが人語を解するのか、については一旦脇に置くことにして、彼は喜びのあまり震える声で答えた。

「僕が大事にしていた、金の玉を泉に落としてしまったのです」

「それならば、私がこの深い泉の底から、金の玉を拾ってきましょう」

「ああ、あなたはなんて優しいカエルなのでしょう。もしそれが本当なら、僕はあなたになんでもさしあげましょう。洋服でも真珠でも、宝石だって」

 エミールは身を乗り出して言った。無欲な彼には珍しく、このカエルと仲良くなりたいという望みがあったからだ。

「なんでも? けれど私は、君の洋服や真珠や宝石は欲しくありません」

 カエルはゲロゲロと喉を膨らませて続けた。

「私は君に愛してほしい。いつも君がこの泉のほとりへやって来るとき、私が見つめているのを知らないのでしょう」

「僕を、見ていた?」

 エミールは思わず口を覆った。こんなにも逞しく勇ましいカエルに視線を注がれていたという事実が、エミールの心臓の動きを速くした。カエルは「ゲゴッ」とひと声鳴いてみせる。

「私を愛し、君の遊び相手にしてほしい。食卓ではそばに座り、食べ物を君の金の皿から与えてほしいのです。そして夜には、君のベッドで眠らせてください」

「そ、そんな!」

 エミールはカエルと同じベッドに横たわる自分を想像し、たちまち赤面した。彼にとって目の前のカエルは、この世で最も理想的な存在である。エミールはいまだ無垢な身体であったが、ベッドをともにすることが何を指すのかについての知識はあった。

 カエルはエミールを見つめたまま言った。

「もし君がそれらのことを約束してくれるのなら、私は下に行って金の玉を拾ってきましょう」

 ふと、エミールは老婆の言葉を思い出した。彼女は金の玉を「あなたと運命のひとを結ぶ宝物」と言ってはいなかったか。

「けれど君がいやならば」

「いいえ、約束をします。僕は必ず、あなたを愛します!」

 カエルの言葉を遮り、エミールは高らかに宣言した。木々に止まる小鳥たちは顔を見合わせ、晴れ渡っていたはずの空はわずかに翳ったが、エミールの意識は運命のひと……ならぬ運命のカエルだけに向いていた。

「必ず、約束ですよ」

 カエルはそう言い残すと、ぶくぶくと泡を吐きながら泉の中へ潜っていった。そしてエミールの青い目を飾る睫毛が三度瞬いたとき、カエルは金の玉を咥えて現れた。

 いぼいぼの身体の彼は、エミールの足元まで泳いでくると、草の上に玉を転がしてみせる。ゲコッ、という低い鳴き声が辺りの空気を揺らした。

 エミールは信じられない気持ちで金の玉を手に取り、胸に寄せて微笑んだ。これほど誠実なカエルを、彼は見たことがなかった。エミールのはにかみを見上げ、カエルは誇らしげに胸を張る。

「さあ、美しい君。どうか私をお城まで運んでくださいな」

「ええ、ええ。もちろんです」

 エミールが両手を差し伸べると、カエルは遠慮することなくのたのたと白い掌へ乗った。ずしりとした重みにエミールの心の襞は震え、聡明な彼はその昂りの名が恋であることを悟った。カエルもまた、交わる視線にたしかな愛を感じ取った。

 ふたりの間には、甘く穏やかな空気が流れていた。

 

 だが、往々にして現実とは厳しいものだ。

 エミールが巨大なヒキガエルを肩に乗せて城へ帰り、「私はこのカエルと結婚します!」と朗々と告げたとき、ある者はカエルの醜さに卒倒し、またある者はエミールの精神を案じて医者を手配した。

「さあ、あなた。ここが新しいおうちですよ」

 しかし恋に酔いしれるエミールは、それらの喧騒を華麗に無視して、肩からカエルを下ろしてやった。いぼいぼガエルが磨き上げられた大理石の階段をぺたぺたと歩くのを目にした城の掃除婦たちは、みな一様に悲鳴を上げた。

「父上。この方こそが僕の運命の方です。先ほど僕が泉に落とした金の玉を、この方が拾ってくださったのです。これほど優しいカエルはほかにおりません」

「うーん、いくら優しくてもカエルはちょっと」

「僕はこの方と結婚いたします」

「いや、エミールそれは」

「父上、これが恋なのですね。世界の本当の輝きを、今日ようやく知ったような心地です」

「…………」

 エミールは間違いなく聡明であったが、頑固かつ天然なところがあった。国王はエミールの可憐さに負け、彼の初恋を砕くことを諦めた。その傍らで、家臣たちやエミールのきょうだいたちは、がっくりと肩を落とした。

「エミール。テーブルの上に私を持ち上げてくれませんか」

「ええ。愛しいあなた。こちらにいらしてください」

「さあ、一緒に食べられるように、金の皿をもっと私の近くに押してください」

「もちろんです。こちらはいかがですか。ほら、その大きな口を開けてくださいな」

「ゲコッ! ありがとう、エミール」

 こうして、エミールとカエルは人目もはばからずにいちゃつき始めた。極端に視界が狭くなった彼らには、もはや互いの姿しか見えなくなっていたのである。

 高貴な城の者たちには、ヒキガエルを眺めながら食事を取る度胸がある者はひとりもいなかった。胸焼けするほどの甘い食卓は日が暮れても延々と続けられ、気づけばその場には、エミールとカエルだけが残されていた。

 カエルは瞳孔を細くすると、びょいん、とエミールの肩に飛び乗って囁く。

「エミール。私を君の部屋へ運んでくれませんか。できることなら、君の絹のベッドまで」

「あなた……」

「私たちは一緒に眠るんだ」

 エミールは睫毛を伏せて頷いた。相手は出会ったばかりのカエルだったが、寝床をともにすることにためらいはなかった。むしろエミールは、自分はこのときのために純潔を貫いたのだ、とさえ思った。

「ああ、なんて素敵なベッドだろう」

 エミールが寝室へ案内すると、カエルはその太い脚で絨毯を蹴り、絹のシーツの上でぴょいんぴょいんと軽快に跳ねてみせた。エミールは微笑ましく思いながらも、緊張の面持ちでベッドに腰掛ける。カエルが喉をぼこりと膨らませたのに圧倒的な男らしさを覚え、エミールは改めて、このカエルになら何をされてもいい、と思った。

 しかしカエルはエミールに向き直り、真剣な表情を作ると静かに告げた。

「エミール。私を愛しているのなら、どうかこの醜い身体を壁に投げつけてくれませんか」

「え?」

「本当のことを言いましょう。本来の私はこんな姿ではないのです。悪い魔法使いにカエルの姿に変えられて、泣く泣くあのライムの木の下の泉に住んでいたのです」

 エミールは明かされた真実に言葉を失った。人間がカエルに。そんな話を到底信じられるわけがない。というよりも、信じたくはなかった。なぜなら、エミールは人間ではなくカエルを愛しているからだ。

「この呪いを解く方法はただひとつ。愛するひとに思いきり身体を壁に投げつけてもらうことです」

「そんな、あなたを投げつけるなんて……」

「エミール、お願いです」

 カエルはその場でびょんびょこ跳ねながら、幾度も懇願した。だがエミールの混乱はおさまらない。いくら呪いを解くためとはいえ、彼は愛するカエルをひどい目に遭わせたくはなかった。

「君の愛を証明してくれ」

 掠れた声でそう呟くと、カエルはぺたぺたと湿った手でエミールの腕に触れた。その冷えた感触と必死な口調にエミールは涙ぐむ。愛するカエルが望むことならなんでもしてやりたいという思いが、彼を動かした。

「わかりました」

「ゲコッ」

 心を決めたエミールは容赦がなかった。むんずとカエルの身体を鷲掴みにすると、彼は勢いをつけて腕を振りかぶり、目にも止まらぬ速さで愛しの存在を壁へと投げつけたのだ。

 美貌の王子エミールは、可憐ではあるがれっきとした男である。そして彼は、隠れた強肩であった。

 べちーん、という間抜けな音を立てて、カエルは壁に貼りついた。そしてカエルのかたちそのままの染みを残して床へと落ちていく。

 そのときである。床に伏せったカエルが姿かたちを変え、突如として見目麗しい青年が現れた。

 青年はゆっくりと立ち上がると、艶のある栗色の髪の隙間から、優しい緑の瞳を輝かせエミールに微笑みかけた。

「エミール、驚きましたか。私は本当は隣国の王子で」

「嫌」

「え?」

 エミールの顔は蒼白となり、唇はわなわなと震えていた。カエルだった王子が心配して一歩踏み出すと、エミールは弾かれたようにかぶりを振って叫んだ。

「嫌です! カエルに戻ってください!」

「えっ」

「僕はあの生臭くていぼいぼの身体を、そして心の芯に響くあの低い鳴き声を愛していたのです! 顔がきれいなだけの人間なんて耐えられない!」

「…………」

「戻ってください……嫌だ、うう、こんなことって……!」

 エミールはその場に泣き崩れた。気持ちの遣り場をなくした王子は、目元に悲しみを浮かべて立ち尽くす。

 明くる朝、城の者たちは王子の真の姿を知り、手を取り合って喜んだが、エミールだけは仏頂面のままだった。

「エミール」

「そんな澄んだ声で話しかけないでください」

 生まれて初めて臍を曲げたエミールの機嫌は、その後しばらく直らなかったという。

 だがその一年後、エミールと王子はめでたく婚姻することになるのだが……それはまた、別の物語である。

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[一言] え!?え!!!???ここから結婚したの!? 王子がどうやって結婚にこぎつけたのか気になりすぎるw
[良い点] お父さんのセリフ いくら優しくてもカエルはちょっと… 優し過ぎて笑いました。 [一言] ムーンの短編とほんとに真逆で朝から笑わせてもらいました〜。 後半、カエルを壁に投げつけるシーンと…
[一言] あらすじ、“ヒキガエルに声をする”とありますが“恋をする”と間違えてませんか?
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