8、王国の謎は魔が歌に揺れる下(アネーラ3)
8、王国の謎は魔が歌に揺れる下(アネーラ3)
静まり返ったホールに、ただ厳かな神父の声だけが響く。これは王族が亡くなった時に、天国にその魂を送るための祈り、私はそれを聞きながらディレンと過ごした日々のことを思い起こしていた。
もうあの悲しみに暮れた日から四日もの日が経って、今私の弟ディレンの葬送の儀を迎えている。王子だというのに場所は城内で一番小さな小ホール、参加メンバーも少数だった。王族からは私と弟のロードリック、アドリアナお母様、それに私が頼み込んで来てもらったケルミラ皇太后の4人と、国王と第一妃、第一王子の七人のみで、第二妃スベンツァーナ様やその二人の王子達は顔すら見せていない。他に数人の大臣と執事長、最少が列席している限りであった。これを見るだけで、どんなにあの子がここで冷遇されているのか知る思いで胸が苦しくなる。
アドリアナお母様や弟のロードリックも同じ気持ちだったようで、悲しそうにあの子の棺を見詰めていた。あの子の棺は固く蓋が閉められており、大臣の説明によると、あの子は火事で死んだので、とても見せられる姿ではなかったとか。だが私は知っているのだあのこが死んだのは火事なんかが理由ではないと言う事を。だから見せられるはずはないのだ。
ステージ上ではお香が炊かれ、今も神父の祈りがその口から紡がれている。
私も敬虔な気持ちで、死した王族が住むと言うラベルタに、ディレンが安らかであれと祈りながらも、心のどこかではいったいあの子はなにを私達に見せようとしていたのだろうかと考えていた。
と言うのも、王族の葬送の儀は別れの言葉と黙とうで閉められるのが通常で、既に神父は別れの言葉を唱えている。既に腰を浮かせている者さえいるこの状況で私にはディレンの伝えたかった事がまったく分からなかったのだ。
ただおかしいと思ったのは、短い黙とうの間に、棺のおかれたステージの幕が閉じられていた事だった。
「それでは最後になりましたが、集まってくださった皆様への返礼として亡くなられた第四ガイウズ殿下より、ジュエルのご用意がございます。どうぞジュエルを御堪能くださいませ」
(えっジュエルですって?)
帰ろうと立ち上がりかけていた皆も驚いて正面を見た時だった。なんの前触れもなくスルスルと幕が開いたのだった。
幕の向うは、雪降りしきる野が広がっていた。風に舞う雪、白一色の景色の中にただ影も黒々と立つ一本のリンゴの大樹。
コト、コトリ、靴音が響くと、リンゴの大樹の根元の雪が晴れて、一人の娘の姿が現れた。
まだ十二か十三ほどの細身のその娘の前には、楽譜盾が置かれ、その上に青みが買った紙が置かれていた。
(あっあれって)
私は思わず声を上げそうになった。
(青みが買ったあの紙、あれは王宮御用達の家紋入りの物じゃなかったかしら)
目を凝らしてよく見てみると、確かに月と太陽の透かしが入っているようだった。
私は
ハッとしてステージを見詰めた。目の端でケルミラおばあさまと視線が合う。
(ディレン貴方ね。分かったわ、貴方はこれを私達に見せたかったのね)
ステージはわずかなスペースしかなかったけれど、今ばかりは遠くまで雪降りしきる野が広がっているように見えた。
ふと娘が両手を虚空に差し上げると、朝日のようにバラ色の光が雪をまとったリンゴの木を照らし始めた。
娘はスウッと息を吸い込み、唇を開く。
「リンゴの木には実が五つ」
透き通っただが腹の底に響くような真のある声がこの会場いっぱいに響く。
童歌のようなメロディー、だけどこれは・・・。
(リンゴの木はこの国ポメール国を示しその五つの実は王子を示している。これは単なる童歌なんかじゃないんだ。だってあの子が命を懸けて準備した歌なのだから)
会場にハッとしたような空気が漂う。だってここにいるのはその意味を良く知っている人達なのだから。
平時ならこのジュエル事態を止めさせようとしただろうが、陛下さえ驚きすぎて声が出ない様子だった。
「一つ目リンゴはきんぴかリンゴ
欲張りネズミは傷だらけ」
一つ目の黄金のリンゴに朝日が当たってキラキラと輝いている。雪の白とのコントラストが美しい。
曲調は語りかけるような童歌、いいえ数え歌のようで、ただ緩やかに流れてゆく。
「二つ目リンゴは裏切りの味・・・」
曲調はがらりと変わり、異国を思わせるようなメロディー、声も透明感や明るさが消え、低くネットリとどこか怪しげで妖艶さを感じさせる。
目の前では真っ赤なリンゴに朝日が当たってまぶしいほどだった。
「朝焼けにオレンジ薫る・・・」
その妖艶さを感じさせるような声に私は冷や水をかけられたような気がした。
(こっこれはかなりまずいのではないかしら)
私はどこか焦ったような思いでその娘を見つめていた。
もしリンゴの木とリンゴの関係を知っていれば、第二王子が裏切者だと言っているような物なのだから。
ハッとしてケルミラお婆様を見てやっと私はディレンの意図に気づいた。
(そうか、ケルミラおばあ様は真実の瞳を持っておられるのだ。もしお婆様の瞳が銀色に変わっていなければこの歌詞は真実だと言う事になる。だってケルミラお婆様がこの意味に気づかないはずはないのだから)
恐る恐るケルミラお婆様の瞳を見てみると、彼女の瞳はグリーンのままだった。私は背筋がすっと寒くなった。
(この娘だって命が危うい。もしも第二妃の一派がここにいてこの意味に気づいたら、すぐさまジュエルを辞めさせ、王族侮辱罪を適用し、娘は捉えられてもおかしくはない)
ここにあの三人が居なくて本当に良かったと私は胸をなでおろした。
あちらこちらからこの歌詞の意味に気づいた者達の視線がケルミラお婆様の目に注がれる。
(これは後で大事になるわね)
私の危惧を他所に、やわらかいハミングで歌は次に進んでゆく。
「三つ目のリンゴは腐りかけ・・・」
午後の光が照らしだすのは黄色い三つ目のリンゴ、異国情緒あふれるこぶしの聞いた民謡調のメロディーにあわせて、風に揺れている。
「ネビザの花に誘われて、西へ西へとふらりふら、ふらりふら」
妖艶な声と柔らかい曲線に、私達は忘れそうになる、そこに隠された歌詞の意味を。
(これもかなりまずいのではなくて)
だって歌詞の意味を解けば、第三王子は色に惑わされて腐りかけと言っているような物なのだから。すぐさまケルミラお婆様の瞳を見たけれど、彼女の瞳の色は変わっていなかったのだ。
ケルミラお婆様自身も顔を青ざめさせ、目は大きく開いていた。
ケルミラお婆様の瞳の色が変っていないと確認した周囲からもざわめくような動揺が伝わってくる。
(ねえディレン、貴方は皆にこれが真実だと知らせたかったのね。それで私にケルミラお婆様をここに連れてきて欲しかったのね)
限られた時間と方法を駆使して、それでもディレンは考えられる限り犠牲を出さずに、スベンツァーナ妃の裏切りを知らしめようとしたのだろう。
何処までも毅然として気高いあの子の後ろ姿を見る思いだった。
また私の瞳からは涙が流れた。
娘がそのフレーズをゆったりと妖艶に歌い終わった後、ふっと空気感が変わった。
妖艶さや禍々しさはあや衣で拭ったように消え、ハミングとともに静謐さを増してゆく。ステージではリンゴを金色に染めていた日は夕暮れとなり、菫色に森を染めている。
そして娘は一呼吸おいて、大きく息を吸う。
「四つ目のリンゴは蛇リンゴ・・・」
「なっなんて表情!」
私は息をのむ。口元には慈しむような優しい微笑みを、瞳には悲しみを一杯に湛えて、丁寧に歌い上げるこの娘の表情を私は決して忘れることはないだろう。
どこか優しい音色と、透明であって包み込むような美しい声で語りかけるようにゆったりと歌う娘、ステージではリンゴの木に氷で作られたリンゴが夕日に照らされて
菫色に染まっている。
「すでに地に落ち蛇の物」
物悲しいメロディーにそっと愛おしむように歌う彼女のわき出、菫色に染まっている氷のリンゴは、枝から落ち、空を滑り、地に落ちて砕け散り、地に吸い込まれるようにして消えてゆく。
その姿はディレンその物だと私は思った。あの子を表すのにはガラスではなくて氷が一番合っていると私には思えた。ガラスは周囲を傷つけてしまうけれど、氷はそんなことはない。あの子は王子として生まれたのに誰からも王子として扱われず、陰口をたたかれてきたけれど、あの子は今まで一度だって誰かの悪口を言ったことはなかった。自分が死ぬ事を知っていれば、普通ならこの国のことなどどうでもよくなってしまうはずなのに、あの子はこの国に隠されていた秘密を自分の命を賭けてまで私たちに伝えようと奮闘したのだ。
(本当にディレン、貴方はこの氷のリンゴのようだわ。誰も傷つけず淡々と日々を生きて散って行った貴方に)
思わず私の頬を涙が流れてゆく。
ジュエラーの娘の声も悲しそうに思えた。
(ねえ貴方、貴方はあの子を知っているの?だってそうでなければこんな歌は作れないはずだもの)
この歌の中で、あの子を表す詩がぱっと見ると一番禍々しい。それなのにあの歌詞をあの表情であんなに優しいメロディーでそこにあの子がいるみたいに語りかけるような優しい声で歌えるはずないのだから。
私の横ではケルミラお婆様がそのグリーンの瞳からひと粒頬に涙が流れているのを見た。
哀愁を呼ぶハミングの間、リンゴの木を照らしていた光はすべて消え、夜の暗闇がステージを覆う。
「五つ目リンゴは月リンゴ・・・」
その暗闇を照らすように美しい月が出て、最後のリンゴを美しく照らす。透明な美しい声とともに月光が降り注ぐ。
「巣の小鳥達、さあお休み
次の朝日が昇るまで」
そのリンゴの下に小鳥たちが集まり羽を休めている。
穏やかなメロディーと透明な声で綴られたその歌は空間一杯に響き、ただ残響のように最後のハミングが虚空に消えてゆく。
最後に彼女が上げていた手をおろすと、月は消え、辺りは闇一色に染まった。
そして幕は降りてゆく
誰もなにも言わず、静けさだけが満ちていた。
ハッとして私は我に返った。どうしてもあの娘と話しをしなければならない。それにあの歌詞をどうしても手に入れなければ。
「リック、お願いよ、お婆様のエスコート頼めないかしら」
弟のリックは驚いていたが、しまいにうなずいてくれた。それを見た私は急いで籍を立つ。
「お母様、お婆様、ごめんなさい、理由は後程お話しいたします」
私はそう言うと急いで白中を回ってあの娘を探した。
どうしても私はあの娘と話さなければならないと気がせいていた。
私が知らないあの子の事を聞きたかったのも本当だけれど、それだけではない。
あの歌を聞いて私は確信したことがある。ディレンはなにか鍵となるものを私に残したに違いないと。
「きっとあの白紙の手紙ね。あれに鍵が隠されているはずよ。」
手紙の鍵を解くためにはあの詩が不可欠だった。
私は表門や裏門ジュエラー控室など、思い当たるところはくまなく探したけれど、あのジュエラーの娘はいなかった。
(もう帰ってしまったのかしら)
もし私があの子ならそうするだろう。だってあの歌は王族侮辱罪を適用して捕まえられてもおかしくはないのだ。だから普通ならここから逃げることを選ぶだろう。だけど私にはあの娘がまだこの城内にいるような気がしてならなかったのだ。
そして何度目かに通りかかった中庭のベンチで、私はついにあのジュエラーの娘を見つける事が出来たのだった。