3、書簡入れと秘密の手紙(アネーラ1)
3、書簡入れと秘密の手紙
私アネーラ バージル ポメールはその夜ディレンからもらった書簡入れを見つめていた。
もう夜も遅いし、パーティーで疲れているはずなのに、一向に眠くならないのだ。
(いったいディレンったらどうしたって言うのかしら」
私があの子と出会ったのはもう十二年前の事になる。当時六歳だった私は父に呼び出され弟だと紹介されたのだった。それまで第四皇子の事を聞かされていなかったし私はとても驚いたのを覚えている。
あの子には小さな時から謎が多すぎる。五歳まで何処で育ったのか、母親は誰なのか、なぜこんな小さい子が母親にも付き添われずに、父の前に立っているのか、分からないことだらけだった。それに増して可笑しかったのはディレンの態度だった。まったく自分に自信がないのかどこか頼りなげで、ほおっておいたら今にも消えてしまうのではないかと思うほど気配が薄いのだ。
父は王子の一人として認めながらも、絶対にあの子を王子扱いしていなかった。
貴族の子弟なら通うはずの王立学園にも社交の場となるパーティーにも出席を許さなかったほどだ。本宮で暮らす事すら許されず、北の離れた粗末な離宮で過ごすことを余儀なくされた。
髪色もいけなかったのだろう、他の王子たちはあの子に見向きもしなかったし、特に第二お妃スベンツァーナ様などは、いったい何処の馬の骨なのかと言った視線であの子を睨んでいた。
その中をあの子はたった一人で震えながらも屈することなく針のような視線に耐えていた
私だって始めの内は戸惑いのほうが強くて遠めにあの子を見ているだけだった。
けれど、あの透き通った灰色の瞳が寂しげに辺りを見回すのを、その語なにもみなかったふりをして無表情のまま与えられた離宮に帰るのを見て、声をかけずにはいられなかった。
あの子は私と話せたのがとても嬉しかったみたいで、私の[事を「アネーラ姉様」と慕ってくれたっけ。
私があの子をディレンと呼び始めたのはあの頃からだった。
「僕はこのガイウズと言う名前が好きじゃないので、アネーラ姉様にはこの名で僕を呼んでほしくないんです」
そんな事を言っていたので、私は二人でいる時だけあの子をディレンと呼ぶ事にしたのだった。
あれから私達は出来るだけ会う機会を増やして兄弟の中を深めてきたのだ。
(それにしたって、今夜のディレンは、いったいどうしてしまったのだろうか)
私はまた先ほどのディレンの様子を思い出す。
王子としてではなく下級貴族の令息の簡易礼服姿で私の前に現れたあの子は、なんだか思いつめた顔をしていた。
あの頃と比べてひょろりと背の伸びたディレンに簡易礼服は似合っていた。まあ、あの子がなんであんな格好をしていたのかは、理解しているつもりだ。ディレンは私のパーティーに王子として参加することは許されなかったのだろう。いや、それどころか父があのこの出席を許した事自体が不思議だった。
私にこのプレゼントを渡したディレンは、別れ儀は何時もは決してすることのない動作をした。あの子がついっと言った風に私の手を取った時、あの子の手は小刻みに震えていた。そう言えばあの子の手は冷たくて、声は低くかすれていた。
「アネーラ姉様、今まで本当に本当にありがとうございました。貴方がいてくれたから僕はここまで来られたのです。
どうか、何時までもお元気で、幸せでいてください」
確かこんな事を言っていたけれど、これではお別れの挨拶のようじゃないの。
「ねえディレン、貴方はなにをしようとしているの?「
その先を考えると私はとても恐ろしくなった。あの子が非常な危険の前に立っているような気がして身震いが止まらない。本当なら急いであの子のいる北離宮に駆け付けたいけれど、この一月ほど陛下からは北離宮に行くことを禁じられており、あの子と会うのにも苦労していた。
目の前にある書簡入れはあの子が時間をかけて丁寧に私のために仕上げてくれたのがよくわかる一品だった。
花と小鳥に囲まれている少女の絵は暖かい光がこぼれてきそうな暗いうつくしい。
あの子はいったいこれをどれだけの時間をかけて作ったのだろうか。
思いきってその書簡入れを開けてみると、一通の白紙の手紙とメモが出てきた。
メモにはこう書いてあった。
「パーティーにお出しするオレンジの用意ができました。
ぜひマリアベル様とともにご賞味ください。
私のパーティーの際には私の色を纏い、必ずマリアベル様をお連れくださいね」
私はこの文面を見てハッとした。サアッと血が引く音が聞こえたような気がする。
今から半年ほど前、父が皇太子を決めると言い出したころから、私とディレンとはとある疑念を追いかけていた。と言っても、私は王立高等学校に行かなければならなかったし、ディレンからは「姉さま、危険なのであまり表立って動かないでください」と言われていたので、図書館で調べる事くらいしか出来なかったけれど、あの子はしばしばこの王宮どころかポメール王国を飛び出して調べていたようだった。
あの子は秘密裏にこう言う事を調べるのにはおあつらえのスキルを持っていたし、いったいディレンがどこまで行っていたのか私にも分からない。その疑念を表すキーワードが、オレンジなのだった。
それにしても、このメモは現実とあまりにもかけ離れすぎている。だってディレンは王子だというのに貴族のパーティーすら出席を許されていないのだ。そんなあの子が自分のパーティーを開けるはずがない。
「それにマリアベル様って?」
私は首を傾げながら考え込んでしまった。と言うのも私たちの知り合いにはマリアベル様と言う名の女性は居ないのだ。
(でもどこかで聞いた気がする)
私は頭を抱えながらあの子と会った時の事を思い出していた。
私が最後にあの子に会ったのは五日前、私が本を読んでいる中庭へあの子がやってきた時だった。
(でもちょっと待って。あの時のディレンはなんだか変だったわね)
偶然を装っていたけれど、今考えると私を探していたような気がするわ)
私は頬に手を当ててあの時交わした会話を思い出してみた。
(確か、私はキビ侯爵令嬢のサランちゃんから借りた本を読んでいたのよね)
あの日私は親友のサランちゃんから貸してもらっていた今貴族令嬢たちに大人気の小説、「伝説の水晶と真実の姫」を広間で読みふけっていた。嘘を見抜く瞳を持った姫が陰謀を図っていた兄王子に国を追われ、其の後伝説の水晶に導かれて真実の姫を探していた隣国の王子と出会い、ハッピーエンドを迎えるという王道ファンタジーだった。
「アネーラ姉様、ここにおられたのですね、何を読まれているのですか?」
そんな時にやってきたあの子はそんな事をいいながら、私の見ている本をのぞき込んでこう言っていましたわね。
『このお姫様、ケルミラおばあ様そっくりですね」って。そう言ったあの子の瞳は真っすぐ私を見つめていましたっけ)
私はハッとしてもう一度そのメモに眼を落した。
「そう言えば、あの姫の名前、マリアベルだったわね。
と言う事は私に連れてきて欲しいのってケルミラおばあ様と言う事ね」
ケルミラおばあ様は私の父現国王の母で皇太后に当たる。その能力も高くこの本のヒロイン同様に、嘘を見抜く魔眼をお持ちなのだ。
それを考えるにあの子がやろうとしている事にだいたい目星がついた私は、溜息とともに
誰もいない空を見つめながらうなずいた。
「ええディレン、分かったわ。今ディレンがなんのために動いているのか分からないけれど、貴方の用意してくれたチャンスは私が必ず物にして見せるわ。だからお願い、ディレン、無事でいて」
私は袖で涙をぬぐった。
私が覚悟を決めたその時、私の部屋にノックが響いた。
「ちょっとアネーラ、どうかしたの?「
それはアドリアーナ母様の声だった。
「あら母様、入って」
私はメモを引き出しにしまってからがドアを開けると、戸口に立っていた母様が心配そうに私の顔をのぞき込んできた。
「ねえアネーラ、どうかしたのですか?パーティーの途中から顔色が優れないようでしたね」
母様の言葉に私は頷いた。
「ええ、気づいてらしたのね。でも大丈夫よ」
そう言いながらも私の視線はデスクの上にある書簡入れに行っていた。
「あら、これって「
そう言いながらアドリアーナ母様はその書簡入れを手に取った。
「なんて綺麗な書簡入れ。これは手彫りね。今日の誕生日パーティーでどなたかに頂いたのかしら?「
私は頷いて言った。
「ええお母様、それは下級貴族に変装して出席していたディレンにもらった物なの。でもそのときのディレンの様子が気になってしまって。私に『どうか、何時までもお元気で、幸せでいてください』なんて言うのよ。それにこんな白紙の手紙だなんて、まるであの子が消えてしまうみたいで・・・」
私がそう言うと、アドリアーナお母様はその白紙の手紙に眼を止めながら言った。
「あら、あの子がね。きっと双頭苦労したのね。それにそう、そんな事を言うなんて、なにかあったのかしら。あの子には分からないところが沢山あるけれど、不必要な事はしない子ですものね」
しばらく考え込んだアドリアーナ母様はふと言った。
「ねえアネーラ、その手紙を良く見せてくれないかしら」
私が手紙を渡すと、アドリアーナ母様はしげしげと手紙を見て言った。
「アネーラ、これは白紙の手紙ではありませんよ。黄色味を帯びた白い神、これは魔法紙よ」
「魔法紙ですって?」
私は以前そんな不思議な紙があることを聞いた事があった。
「魔法紙はね、込めた魔法量に寄るけれど書いた文字を直ぐには紙に書かずに、一定期間白紙にする事ができるのよ。だから機密文書や敵に読ませたくない手紙などには、良く使かわれるらしいわ。だからこれもそうね五日後くらいには読めるようになりますよ。ですけれど、あの子は何故魔法紙を使ったのでしょうね」」
アドリアナ母様は心配げに木の書簡入れに眼を落とした。
どんなに私達があの子を心配していたとしても、陛下から出入りを禁じられていればあの子になにもしてあげる事は出来ない。
私はただあの子に任かされた事を必ずやり遂げようと決意する他なかった。
それがあんな事になってしまうだなんて、その時の私達には知る由もなかった。