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5-② 四季

そんな私の気持ちが伝わったのか、前を向いたまま、陛下はふいに、その袖口から一枚の神牌(しんはい)を取り出した。こちらにその絵柄が解るように示されたそれは、深い青の顔料で、山海を滑るように飛ぶ龍が、たおやかな筆で描かれている。


「春家の青妃は淑蕾(しゅくらい)。年は二十四、僕より二つ年上だ。彼女とは一番付き合いが長くてね。僕にとっては妻というよりは姉のような、とても美しい人だよ。来来(ライライ)


陛下の手の神牌(しんはい)から、春家、つまりは『木』を司る龍氣(りゅうき)がほとばしる。

宙に生まれた木々が、陽の光を受けて、その青々とした葉を風にそよがせる。なんて心地よい『木』の龍氣(りゅうき)。優しく穏やかで、自然とうとうとと午睡を招くような、まさしく春の木漏れ日を象徴するようなそれだ。

この神牌(しんはい)を作った人物が誰なのかなど、問いかけるまでもない。春家出身の妃、青妃様こそが、この神牌(しんはい)を描いたお方。

なんて見事な筆なのか、と感嘆する間もなく、その神牌(しんはい)は、ビリリと音を立てて破けてしまう。陛下の龍氣(りゅうき)に、青妃様が込めた龍氣(りゅうき)が耐えられなかったのだ。『謝謝(シェイシェイ)』と送還するまでもなく、召喚された『木』の龍氣(りゅうき)は霧散する。

けれど陛下は気にした様子もなく、二枚目の神牌(しんはい)を取り出した。


「夏家の朱妃は燦麗(さんれい)。年は十四、妃達の中では一番年下だね。後宮入りしたときはわずか十一だった。僕が小児性愛者だと思われて選出されたわけではなくて、彼女が十一の時点で、彼女以上の創牌師(そうはいし)の女性が、夏家にはもういなかったんだ。こんな年上の夫でも慕ってくれる、愛らしい人が彼女だ。来来(ライライ)


こちらに見えるように示された神牌(しんはい)には、鮮やかな赤で、大きな翼を広げて天高く舞う鳥が描かれている。

陛下の呼び声に応え、神牌(しんはい)から飛び出したのは、熱く燃え盛る苛烈な炎だ。文字通りの『火』の龍氣(りゅうき)は、わずか十四歳の少女が込めたそれだとは思えないほどに、洗練され計算し尽くされた、それでいて自由奔放な無邪気さを感じさせた。

十四歳で、これほどとは。四年前の私がこれほどまでの神牌(しんはい)を作れたか、と問われると、言葉に窮するくらいに優れた神牌(しんはい)である。頬を焦がすような熱風は、無邪気さの中に存在する勝気な少女の苛烈さと傲慢さも感じられ、これが朱妃様、と圧倒されてしまう。

そんな『火』の神牌(しんはい)もまた、音を立ててあっと言う間に破れてしまう。『火』の氣が霧散するのを待つことはなく、陛下はまた次の神牌(しんはい)を取り出す。


「秋家の妃は夕蓉(ゆうよう)。年は二十。彼女はちょっと珍しいたぐいの女性かもしれないな。創牌師(そうはいし)としてだけではなく、優れた矛の使い手でね。僕と手合わせしても、それなりに持ちこたえてくれる、数少ない武人の一人でもある。だからこそ、護牌官(ごはいかん)をつけろと周りに言われても、本人にその気がないのが少しばかり困りどころではあるのだけれど……。まあうん、そんなところも魅力的な、とても格好いい女性だ。来来(ライライ)


陛下の手にあるのは、白い顔料を用いるときに使われる、墨染の神牌(しんはい)。白い顔料で、猛々しく勢いのある筆でもって描かれているのは、絵であると解っているのにひるんでしまいそうなほどに迫力のある、勇ましき虎だ。

そこから生まれたのは、白銀の輝き。

ぎらぎらと陽の光を反射するのは、圧倒的な『金』の龍氣(りゅうき)を宿した鋭い鋼の刃達。キィン、カァン、と、時に激しく、時に雄々しく、そして何よりも凛々しく互いにぶつかり合い、自らの力を私に見せ付けてくれるその『金』の氣のきらめきは、緑から黄や赤に移り変わる紅葉を連想させてくれる。

その姿に息を呑む私の目の前で、そうしてまた神牌(しんはい)が陛下の龍氣(りゅうき)により切り裂かれ、そうしてまた彼は、次の――――おそらく、ではなく、確実に、最後の一枚であろう神牌(しんはい)を取り出した。


「お察しの通り、これが最後だ。来来(ライライ)


こちらに見せ付けられた神牌(しんはい)に描かれていたのは、吸い込まれそうな漆黒の筆による、蛇の絡む亀の姿。精緻で、緻密で、繊細な筆だ。人の手で描いたとは思えないほどに精巧な絵姿に感嘆の溜息を私がこぼすのと同時に、その神牌(しんはい)からざあっと水しぶきが飛び出して、そのまま雨のように陛下の行く手に降り注いだ。彼を慕い、彼を想い、彼を恋うような雨だ。

描き手の想いの丈が、ありったけ込められたような神牌(しんはい)は、それでも陛下の龍氣(りゅうき)の前ではなすすべもなくずたずたに破れ、場を支配しようとした『水』の龍氣(りゅうき)は、これまでの三枚の神牌(しんはい)と同様に音もなく霧散する。

それまで陛下に続いて、彼と同じように決して足を止めなかったと言うのにとうとう足を止めて立ち竦むと、くつくつと喉を鳴らす心地よい声が耳朶を打つ。


「ごめんね。神牌(しんはい)は描き手の性格がよく出るものだから」

「はあ……さようでございますね……」


そんなことくらい、創牌師(そうはいし)である私はここで陛下にわざわざ教えてもらわなくともよくよく知っている。陛下とてそれくらいは私のことをご理解していらっしゃるだろう。と、いうことは。


「……黒妃様は、陛下にもっともご執心でいらっしゃる?」

「正解。察しがよくて何よりだ」

「お褒めにあずかり恐悦至極に存じます」


別に褒められたからと言って、ここで素直に喜び嬉しくなれるほど、のほほんとしてはいられないけれども。

先程の『水』の龍氣(りゅうき)が込められた神牌(しんはい)、すなわち、冬家の黒妃様の手によるものであるに違いない神牌(しんはい)に込められた情念は相当のものだった。つまりは、そういうことなのだろう。おそらく、ではなくて確実に、目の前の佳人に執着し、この後宮に固執し、出ていこうとしない相手。それが、陛下にとっての黒妃様、ということだと察せられる。

そんな気持ちを込めて、気付けばこちらにきちんと向き直っていらした陛下を見つめ返すと、彼は困ったように苦笑した。


「冬家の黒妃は雪凛(せつりん)。年は十八だから、宝珠(ほうじゅ)、君と同い年だね。うーん、なんというか、彼女は……そうだな。素直で、従順で、少々内気だけれど、だからこそ可憐な、まあ一般的には理想的な姫君だよ。年齢も性格も血筋も何もかも、四人の妃の中ではもっとも妃にふさわしい、もしも僕が子を成すなら、彼女が孕む黒太子が次代皇帝にもっともふさわしいとされるだろうね」


他人事のようにおっしゃるが、言っていることはこの五星国(ごせいこく)の今後に大きく関与する、できればどころではなく絶対に聞きたくなかった、現在進行形で聞かなかったことにしたい内容の案件である。

皇帝の妃は四大貴族から排出され、それぞれが授かる御子は、皇帝と同じく姓はなく、代わりに春家、夏家、秋家、冬家ごとの妃と同様に、色彩の称号と、太子、あるいは公主の称号を合わせて授かる。たとえば、春家の青妃が産んだ男児は青太子、秋家の白妃が産んだ女児は白公主、というように、と言えば解りやすいだろうか。

そしていよいよ次代の皇帝が決まったとき、必然的に、母である妃の出身である四大貴族の一角がより強い権力を持つようになる、とは、言わずとも知れた事実である。いくら皇帝とその御子が『姓』に、つまるところの『家』に縛られない存在であるとされていても、現実問題として、それは簡単な話ではない。お貴族様の血筋であるわけでも、豪商との取引があるわけでもない平々凡々な民の一人であるはぐれ創牌師(そうはいし)の私には計り知れないようなあれそれが、宮廷、ひいては後宮に渦巻いているのだとかなんとか。

その渦巻くなんとかかんとか、もとい次世代の皇帝に次ぐ最高権力者予定の存在を、現在の最高権力者そのひとがほぼほぼ確定の未来として語ったというこの事実。繰り返そう。聞かなかったことにしたい。

私の顔色が明らかに悪くなったことに当たり前だが気付いたらしい陛下は、苦笑をさらに深めて、手に持っていたずたずたの神牌(しんはい)をはらりと手放した。寄る辺を失った木の葉のように、もう何の気配も感じない、使い潰された神牌(しんはい)が風にさらわれていく。思わずそれを目で追いかける私に、陛下は「大丈夫だよ」とささやいた。


「だから、言ったでしょう。僕は子を成す気はないって。だから宝珠(ほうじゅ)、君には頑張ってもらいたいんだ」

「あ……」


あ、ああ、そうだ。そうだった。だからこその私と彼の『賭け』が存在するのだ。私にとって、絶対に負けられない、『賭け』が。

慌ててこくこくと何度も頷くと、陛下は苦笑を満足げなそれへと変えて、くるりと踵を返し、私に背を向けて歩き出す。


「さあ、ついておいで。もう着くよ」

「は、はい」


いよいよ着いてしまうらしい。私にとっての死地の最前線、もとい、お妃様方との初対面の場となる、お茶会の会場たる東屋へ。

ここに来てもなお引き返したくてたまらないのだけれど、引き返しても何一つ事態は好転しないし、これ以上進んだって現状以上に悪くなることがあるとも思えないので、大人しく粛々として陛下の後に続く。

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