4-② 神仙
今までの面白がるようなそれとは異なる、一気に冷えてしまったまなざしにさっぱり気付かない私は、陛下の手にある瑠璃の首飾りを、勢いのまま陛下の手ごと両手で包みこんだ。
「この瑠璃を砕いて顔料にすれば、この子の尾羽が完成するんです!!」
「――――――――――は?」
「ああっ! 嬉しい! 瑠璃の顔料なんて高価で手が出せないのに、まさかこんなところで手に入れられるなんて! よかったわね、これであなたは本来の姿に戻れるわ。もっともっともっともーっと! 完璧に綺麗に描いてあげるわね!」
私の手持ちの顔料は、安価で手に入れられる藍くらいがせいぜいの限界で、瑠璃なんて鉱物……いいや、宝石と呼ぶべき高級品を原料にしたものなんて、とてもとても手が出せなかった。
もともと、この青い鳥の神牌は、流石宮仕えの一流創牌師が作り上げただけあって、絵力もさることながら、その原料となる顔料もまた一級品だ。私のお財布事情で手に入れられるものではないし、そもそもそこまで貴重な顔料なんてそんじょそこらに出回るものでもない。
この青い鳥も、本来ならばその長い尾羽は、美しくきらめく瑠璃の顔料で本来描かれていた。私の手持ちの青でなんとか神牌から顕現できるくらいまでは修繕できたけれど、この青い鳥本人にとっても、私にとっても、それは満足できる結果ではない。この子が本来のきらめく青の尾羽をなびかせながら空を舞いさえずる姿が見たかった。
そんな状況で、まさかの陛下からのたまわりものである。意地も矜持も放り投げて、ありがたく受け取らせていただく所存だ。なんたる僥倖だろう!
「ありがとうございます、陛下。本当に嬉しいです」
「…………そう。それは、よかった」
「はい!」
「………………ところで、いつまで僕の手を握っているつもり?」
「へ? あ、ああああ、も、申し訳ございません!」
首飾りごと握り締めていた手を慌てて万歳するように開放すると、陛下は「まあいいけど……」と口ごもってから、気を取り直すように、ごほん、と何やら咳払いをした。彼のことはこの数日間の間でしか知らないけれど、純粋に珍しいな、と思える仕草だ。
どうかしたのだろうかと見つめれば、陛下はこちらに視線を向けずにそっぽを向いたまま口を開く。
「……僕の、手抜かりだったね。必要な顔料や道具があるのなら、なんでも言いなさい。必ずすべて君のもとに届くように手配する」
「え? い、いいのですか? 瑠璃の青だけじゃなくて、巻貝の貝紫とか、介殻虫の赤とかも……?」
どれだけ欲しくても手に入らない顔料が、用意してもらえる? しかもこの言いぶり、もしかしなくても使いたい放題? そんなことが叶うのであれば、今よりももっと私が携わる神牌の幅は広がる。それは修繕においても、新たな制作においてもだ。
いくら皇帝専属の創牌師という立場を拝命したとはいえ、それはあまりにも身に余る贅沢なのではなかろうか。ここで素直に信じて、喜んでいいのか。
ためらいと戸惑いを織り交ぜながら思わず問いかけると、陛下はようやくいつものように穏やかに、それはそれはお美しく微笑んだ。
「うん、いいよ。なんでも揃えよう」
「~~~~だったら!」
陛下の気が変わる前に、見ていただきたいものがある。そうと決まれば善は急げ。私は陛下に勢いよく一礼してから彼の前を離れ、この作業場の片隅にまとめておいた神牌の束をかき集めて、再び陛下の前に駆け戻る。
「これ! この子達のための顔料を!」
「……これは…………」
「もちろん覚えておいででしょうが、陛下が使われた神牌です。その中でも、特に高位の子達……いいえ、高位の方々、です。できうる限り修繕し、顕現までは叶いました。しかし、その青い鳥さんと同様に、完全なる姿を取り戻せたわけではありません。陛下がこの方々のための顔料を手に入れてくださるならば、今度こそ私は、この方々を完璧な姿で、再び陛下の御目にご覧に入れてみせましょう」
「は?」
きょとん、と大きく陛下の金色の瞳が見開かれる。あ、ああそうか、いきなり私程度の創牌師に「顕現が~」なんて言われても、にわかには信じられないだろう。それはそれ、ごもっともだ。ならば。
「申し訳ございません、ご覧に入れてみせましょう。来来!」
――――――――――豪ッ!
抱えていた神牌の束が、一気に舞い上がる。同時にそこから、様々な神獣や、天の国に住まうという仙人や天女達が飛び出してきた。彼らは一様に嬉しげに、誇らしげにそのかんばせに笑みをはき、そうして陛下の前に額づいた。
なぜか唖然と固まっている陛下を見て、楽しそうに頷き合った彼らは、そうして私にちゃめっけたっぷりに片眼を閉じてみせたり、してやったりとばかりに深く頷いてみせたりする。うん、上出来だ。
「この通りですわ、陛下。皆様も、私ごときの召喚に応えてくださりありがとうございます。それでは、謝謝」
私が送還を願う一言とともに一礼を返すと、高位に属する精霊達は皆、元の神牌の中へと再び封じられていった。宙を舞っていた神牌は、すべて私の手元に落ちてくる。それらを受け止めて、そうして、しばしの静寂が横たわる。
一応これでも、私の創牌師としての画力は、それなり以上のものであるはずだという自負がある。だからこそ、高位精霊を封じた神牌の修繕に携わることができて、陛下の強すぎる龍氣によって無残な姿になった神牌すらも、ある程度は修繕できた。そう、『ある程度』は。
神牌の修繕も制作も、創牌師の画力だけではだめなのだ。そこに宿る精霊にもっともふさわしい顔料を使うこともまた、創牌師は求められる。私の手持ちの顔料では、今こうして陛下に見せている高位精霊の皆様の神牌を完全に修繕することは叶わなかった。
そんな未熟な私でも、彼らは今こうして、私の声に応えてくれたのだ。だからこそ余計に陛下が顔料を用意してくださるのならば、私は、必ずやこの方々を……と、そこまで思ったところで、不意に、陛下の手が、私の手からその高位精霊達の神牌の束をさらっていった。え、と思う間もなく、彼は一枚一枚確認するようにそれをめくっていく。
「この神牌達を、修繕? 完璧ではないにしろ、顕現が可能なまでに? 君が?」
信じられない、と言わんばかりに目を見開いて、神牌と私の顔を陛下は見比べる。なんとなく疑われている気がしたので、確かに私が修繕したんですよ、という気持ちを込めてこくこくと何度も頷きを返す。すると、すとんっと陛下の花のようなかんばせから、一瞬、すべての感情が抜け落ちて無になって、そして。
「ふ、ふふっ! はははははははっ!」
いきなり大爆笑である。え、と固まる私を置き去りに、陛下は笑い続け、まなじりに涙まで浮かべて、腹を抱えてさらに笑い、そして、引き笑いにまで至ってから、ようやく「ああ、面白い」と呟いた。
「君の腕がまさかここまでとはね。この神牌達は、宮中の創牌師達が皆、文字通り筆を投げたもの達だ。修繕すれば逆に精霊を殺すことになると、誰もが諦めてしまってね。封じられている精霊が、開放するにはあまりにも惜しすぎる特級精霊達ばかりだったせいで、ただ手をこまねいていることしかできなかったんだけど……なるほど。手持ちの安い顔料で、顕現させるまで修繕したのか! ふふ、ふ、いやはや、僕は君を見くびりすぎていたようだ」
ごめんね、と何故か頭を撫でられた。いや、謝られましても、「はあ」とあいまいに頷き返すことしかできないんですが。
これは褒められている、と、考えていい……の、だろう、たぶん。あまりにも陛下の爆笑ぶりがすごくて、素直に褒められている気にはなれないのだけれども。
あ、あとついでに。
「ちなみに、こちらが新たに作らせていただいた神牌です。精霊そのものではなく、その純粋な力を封じたものなので、こちらならば一度切りの使い潰しでも問題はないかと」
新たに別の場所に置いておいた真新しい神牌の束を、さらに陛下の手に押し付ける。
そう、問題はないが、個人的には非常に不本意だ。精霊が託してくれた力を出し惜しみしろとは言わないけれど、もっと大切に使ってほしいと思う私は絶対に間違っていないはずだ。
陛下は私が渡した新しい神牌を確認し、「へえ」と感心したような溜息をこぼす。
「異国の神霊の力まで借りたのか。風神、雷神なんて、僕もまだ諸外国の絵姿でしか見たことがないのに。本当に君は規格外だね」
「規格外とおっしゃっていただけるほどではないと思いますが」
「ああそう? まあ自覚がないならそれでもいいよ」
くつくつと喉を鳴らして笑う陛下に、今度は馬鹿にされているような気分になる。こちらとしては何一つ面白いことなどないのだけれど、陛下はとても面白そうだし楽しそうだ。
出会ってこの方、本当にこのお方のことが解らない。お妃様方を追い出したらなんでも望みを叶えてくれる、というのが彼からの『賭け』だけれど、そもそもそのお妃様方、未だに顔も姿も声も、名前すらも知らない。陛下は一体どうするつもりなのか……と、ついついじっと彼の顔を見上げる。不意打ちで、ばちん、と目が合った。なんとなくぎくりとする私に、陛下は笑みを深めて、ぽん、と私の肩を叩く。
「これなら大丈夫そうだね」
「何が、でしょうか」
「僕と君の『賭け』だよ」
他に何があるというのかと言わんばかりに、「当たり前でしょう?」と小首を傾げてくる彼の姿に、今度こそ本当にぎくりとした。
まさかとは思うけれど心を読まれたのかと思った。いやいやいや、うん、まさかのまさかだ。いくら覇王サマとはいえ、そんな真似ができるわけがない。そう自分に言い聞かせる私をにこにこと見下ろす陛下は、「そういうわけだから」と口火を切る。
「頑張ってね」
「も、もちろん、『賭け』には勝つつもりでおります」
「うんうん、その調子だ。そのまま調子に乗って、早速頑張ってもらうよ」
「え」
何を。そう問いかけるよりも先に、陛下は口角を吊り上げる。穏やかで甘い笑みとは異なる、なんというかこう……そう、いかにも意地の悪い、ぞくりとするような笑み。
「妃達が君と顔合わせがしたいって言ってきていてね。茶会を開いてくれるそうだよ」
「……お、ちゃ、かい?」
「そう。妃達が揃って茶会をするなんて、確か初めてだったんじゃないかな。おめでとう、宝珠。君はその茶会の初めての客人だ」
「お妃様方のお茶会にお客様として招かれる女官なんて聞いたことありませんけど!?」
「うん、だから初めてだって言っているじゃない」
にこにこ飄飄と笑う陛下の顔、その白い頬をせめて三秒でいいからつねり上げさせてくれないだろうか。それくらいは許されてしかるべきだと思う。
この言いぶり、そのお茶会とやらは確定事項であり、私が参加することもまた確定事項なのだろう。遅かれ早かれこうなっていたのかもしれないけれど、せめて前触れくらい教えてくれてもよかったのでは。いくらなんでも突然すぎる。どうしよう、既に緊張で汗がにじんできた。
「ち、ちなみに」
「うん」
「そのお茶会は、いつ……」
「今日」
「は」
「今日の午後。つまりこの後すぐ。僕も呼ばれているから、一緒に頑張ろう」
ね? と微笑む陛下の顔を、つねるどころか今度こそ拳をめりこませたくなった私は、絶対に悪くない。悪くないったら悪くない。実行に移さなかった私は、きっと来世では豪商にかわいがられるまるまるとした猫になれるに違いない。