2-② 餓狼
きらきら、と。金色が、風に遊ばれて宙を踊っていた。それがあまりにも美しい、光を弾く髪の一本一本であると、遅れて気付く。私のほったて小屋のすぐ隣の、背の低い長屋の屋根に腰かけている青年は、髪と同色の、やはりきらきらとまばゆく輝く金色の瞳を細めて、穏やかに微笑んでいた。整った眉、すぅっと通った鼻梁、紅をはいているわけでもないだろうに不思議と淡く色づく唇。透けるような白い肌が、太陽の光にぼんやりと浮かびあがっていた。
――なんて、きれいなひと。
場違いにも、そう思ってしまった。年のころはおそらく、十八歳である私よりもいくらか上くらいだろうか。二十代前半と思われる圧倒的な美貌の青年は、そうしてひょいっと軽い足取りで、屋根から飛び降りてくる。そのまま、トンッと着地の衝撃を感じさせずに地面に降り立った彼は、その穏やかな笑みをより深めて、牌狩り達へと視線を向けた。
その魅惑的な視線を真っ向から向けられた男達の顔が、朱に染まる。屈強な男に依然として囚われたままの浩然の顔もまた、先ほどまでとは違った意味で赤くなった。
「そこのお嬢さんがどうするのか、最後まで見ているだけのつもりだったのだけどね。これはだめだ。いただけない。まったくもって興ざめだよ」
つまらないなぁ、と唇を尖らせて、青年……というよりは、ちゃんと『美』青年と言った方がふさわしい気がするほどに美しい彼はそうして袖口から、ばらりと四枚もの札、つまりは神牌を取り出した。
「舞台にふさわしからぬ役者には退場してもらおう。来来」
――――――――――オォンッ!!
美青年の呼び声に従って、神牌から、それぞれ一頭ずつ、つまりは計四頭の狼が飛び出してきた。あれだけの数の、しかもあれだけの高位の精霊の神牌を、一度で操ることができる人なんて見たことがない。思わず「うそでしょ……?」と呆然と呟いてしまうくらいには規格外だ。しかも狼達の毛並みの色から察するに、四頭ともすべて属性が異なっていることが見て取れる。人間と神牌の間には相性が合って、神牌の属性によって得手不得手があるものだけれど、この美青年にはそんなことは関係ないようだった。
そうこうしているうちに、狼達は、浩然を放り出して逃げ惑う牌狩り達をあっという間に壁際に追い詰めてしまう。それぞれの鋭い牙が覗く大きな口からは、火炎や濁流といったそれぞれの属性の力があふれ出している。
「やれ」
そして美青年の号令の下に、その力が一斉に放出された。ドォン! と、すさまじい爆音が響き渡り、粉塵が巻き上がって視界が遮られる。
ちょっ、えっ、これだけの四属性の合わせ技が直撃したらいくらなんでも普通に死んでしまうのでは。それは流石にまずいのではないかと思わず美青年の横を駆け抜けて、牌狩り達の姿を確認した私は、そうしてドッと肩から力が抜けるのを感じた。
「生きてる……」
「そりゃあ殺しはしないよ。貴重な情報源だからね」
狼達は、牌狩り達ではなく、牌狩り達の頭上にあたる壁を狙ったらしい。その衝撃波で、牌狩り達は意識を失ったようだ。そして、浩然もまた、先ほどの爆音の衝撃と、緊張がほどけた勢いで、意識を失って少し離れたところで倒れ伏している。
何はともあれ、どうやら、助かった、らしい。
今更になって笑い始める膝が、そのままガクン! と崩れ落ちる。けれど私が地面に倒れ込むよりも先に、美青年がそんな私をすくい上げ、そのまま横抱きに抱き上げた。
…………いや、なんで!?
「怪我は?」
「な、ない、です、けど」
「そう、それはよかった。お前達も、ご苦労だったね」
私の狼狽などなんのその、美青年は私を横抱きにしたまま、自らの前に並んで頭を垂れている四頭の狼へねぎらいの言葉を向ける。その言葉により深くひれ伏した狼達の姿が薄れていく。あ、と、思わず声を上げてしまった。
神牌から呼び出された精霊は、神牌に再び封じられるのが常だ。『謝謝』という言葉を起点として、彼らは神牌に還っていく。けれど、今のこれは、違う。美青年に抱き上げられたまま、なんとか身をよじって周囲を見回すと、地面に、見事な狼の姿が描かれた神牌が四枚、それぞれ散らばって落ちていた。それらはずたずたのぼろぼろになっており、ちょうど吹き込んできた風に触れた瞬間、まるで灰になるかのようにはらはらと崩れ落ちていった。
「なんてすさまじい龍氣なの……」
そう、神牌は永遠に使えるものではない。扱う者の中の龍氣を流し込まれて使用されるものであるからこそ、その龍氣の質、量、頻度によって、神牌は摩耗し、損傷していく。だからこそそれを修繕し、新たに制作する創牌師が必要とされるのだ。けれど、この美青年の、先ほどの神牌の使い方は、そんじょそこらのものではない。おそらく、ではなく確実に、たったの一度切りで、彼は神牌を使い潰してしまったのだ!
その龍氣がどんなものであるのか、考えるのも恐ろしい。創牌師として、神牌を誰よりも近しい隣人であると常日頃から感じている私だからこそ、余計に恐怖がつのる。震えそうになる身体を叱咤して、至近距離にあるとんでもない美貌を、もう一度見上げた。
「あの、そろそろ下ろしていただけますか? 助けてくださってありがとうございました。もう大丈夫ですから、あの」
「でも、下ろしたら逃げるでしょう」
「え? いえ、もちろん私にできるお礼はしますよ?」
「あ、ほんとに? なんでも?」
「なんでもと言われますと……」
それはちょっと困るかも、と、つい本音を続けると、青年はにっこりと笑った。……何故だろう。今、ものすごい寒気が全身を走り抜けていった。ぞくり、どころではなく、なんというかこう、ごおおおおおおおっ! という感じに。
「あ、の……」
「うん、君にしよう」
「え」
「創牌師としての腕は折り紙付き。度胸も責任感もある。何より、僕の顔にごまかされないところが気に入った」
「は」
「ごめんね?」
「え?」
美青年が私を片腕に抱き直したかと思うと、彼は空いたもう一方の手で、一枚の神牌を取り出した。それが何かを確認するよりも先に、彼は「来来」と呟く。途端に、神牌から甘いような苦いような匂いがただよい、それを反射的に思い切り吸い込んでしまった私は、くらりと視界が歪むのを感じた。
――薬物系の神牌……!?
そう気付いてももう遅く、私の意識は、そのまま闇に飲まれていった。