10-① 朱妃戦(前)
登場からぶちかました私を、誰もが唖然と見つめている。お妃様方もまたしかり。そんな彼女達に深々と一礼してから、ゆるりと周囲へ視線を巡らせると、目が合った人々――それこそ老若男女を問わない観客達は、なぜか一様に顔をぼんっと赤らめ、とろんとまなじりを下げて、いかにもうっとりとしたまなざしをこちらへと向けてくる。
――掴みは上々ってところかしら。
キズモノだと散々嘲笑ってくれた皆々様だが、私がちょっと本気を出して化粧しただけでこの反応。私が相手でこれでは、夜昊様の御前では普段からさぞかし大変な思いをなさっているに違いない。
そう私が薄く浮かべた微笑みの下で呆れていると、ようやく正気を取り戻した、今回の香煙牌における審判である将軍が、お妃様方の前に、一つの箱を差し出した。ちょうど上から手がぎりぎり入れられるくらいの穴が開いているだけの、中身は解らない箱だ。なんだろう、と思う間もなく、将軍はエヘンと咳払いをして、お妃様方の前にひざまずく。
「一から四までの数字を記した札が入っております。お妃様方におかれましては、こちらにて、芥宝珠との香煙牌の順番を決めていただきたく」
あ、なるほど、そういうことか。私には決めさせてもらえないんですね、まあ解っていましたけどね、なんて思いつつそちらを見つめていると、お妃様方は順番に箱に手を差し入れて、一枚ずつ札を取り出した。
それぞれを確認した将軍は一つ頷くと、私に説明することもなく、「それでは」と口火を切った。
「第一戦。朱妃、夏燦麗様」
その言葉にざっと足を踏み出されたのは、名指しされた朱妃様だ。
他のお妃様方は心得たように自らの天幕に戻っていかれ、鍛錬場の中心に残されたのは、私と朱妃様、そして朱妃様の護牌官である煉鵬様のみとなる。
「ちょっと! ええと、芥宝珠!」
「えっ、あ、はい!」
突然その朱妃様から名指しされて、反射的に姿勢を正すと、ギッと朱妃様はその赤の瞳をつり上げて、燃え盛る炎のような光をそこに宿して、私をにらみ付けてきた。大層おかんむりな表情だが、そんなところもまたこの上なく愛らしいと賞賛するに値する美貌なのだからいっそ感心してしまう。
ほけっとその花のかんばせに見惚れる私のその態度を、彼女は自身が馬鹿にされているのだと認識したらしい。ますますそのまなざしを鋭くして、彼女は叫んだ。
「ちょーっと傷痕がなくなって、その、まあ、そ、それなり? に見られる顔になったからって、調子に乗らないでいただける!? お前なんて、他の姉妃様方が出張られるまでもなくてよ、あたくしが燃やし尽くしてあげるんだから!」
あらまあなんて勇ましいことを……なんて重ねて感心している場合ではないことくらい解っている。香煙牌というこの場において、彼女が言う『燃やし尽くす』は、文字通りそのままの意味である。大人しくしていたら、本当に骨すら残らず灰塵にされかねない。あっ養父様、あなたのお名前そのままですね、なんて笑えない冗談を言っている場合でもない。
大層威勢よく啖呵を切られてしまった。そしてそんな彼女を守るように背に庇い、その年齢に見合わない冷静な光を宿した瞳でこちらを見つめてくる煉鵬様は、間違いなく自身の主人たる朱妃様の望みを叶えるように動くのだろう。
対する私が頼りになるのは、私自身だけ。この手にある、絵筆だけ。
「恐れながら申し上げます、朱妃様」
「何よ!」
「朱妃様の炎と私めの炎、どちらがより燃え盛り熱を呼ぶか……この香煙牌にて、夜昊様のご覧に入れようではございませんか」
「なっ!?」
火を司る妃であり、火属性の神牌の制作をもっとも得手とする朱妃様に対して申し上げるには、あまりにも不遜な物言いだ。我ながら無礼すぎるな、という自覚はある。
案の定朱妃様は顔を真っ赤にしてこちらをますますにらみ付け、冷静な表情を崩さなかった煉鵬様すら、不快げにその眉をひそめた。
そして、いよいよ。私と朱妃様の香煙牌の開始を告げる銅鑼が、大きく鳴り響いた。
私と朱妃様は、ほとんど同時に、用意されたまっさらな神牌に筆を滑らせ始めた。香煙牌において創牌師に求められるのは、元より持ち合わせている絵心もさることながら、その絵を完成させる速度もまた同様だ。いくら優れた神牌を描き上げることができると言っても、その完成に時間をかけていたら、あっという間に相手の神牌を使った護牌官によって屠られることとなってしまう。
私が先ほど口にした、明らかな挑発に、朱妃様は見事に引っかかってくださった。彼女は彼女が描ける、もっとも高位の精霊を喚ぶ神牌を描いているらしい。その分、当然時間がかかってしまっている。それをいいことに、私は次から次へと、二枚や三枚ばかりではない数の神牌を描き上げていく。
「来来!」
そしてそれらを宙に放り投げて召喚したるは、燃え盛る炎の翅を持つ蝶だ。当然一羽や二羽ばかりではない。来来、来来、と、描き上げるたびになおも呼び続ける火の蝶は、やがて群れとなって渦を成す。
「これだけの量の神牌を一度にとは。なるほど、陛下の寵愛を頂戴する程度の実力は持っているということですか」
未だに一枚の神牌に筆を走らせ続ける朱妃様を庇いながら、煉鵬様がやはり冷静にそう評価してくださった。その評価のわりにちっとも焦った様子がないところがなんとも子憎たらしい。ありがとうございます、お褒めにあずかり光栄ですわ、なんて皮肉を内心で返しつつ、さらに筆を滑らせ続ける。私が呼び続けるのは、やはり火の蝶。火の粉の鱗粉をまき散らしながら舞い続ける蝶の群れの中でも、朱妃様は筆を動かす手を止めず、煉鵬様は動じない。
そして、とうとう朱妃様が、「できた!」と、誇らしげに喜色に満ちた声を上げた。
「ふんっ! この程度の下位精霊をいくら呼んだって無駄なんだから! 煉鵬! これでやっておしまい!」
「ご随意に、我が姫君――――――――――来来!」
――――ごぉっ!!
煉鵬様が高く掲げた神牌から、灼熱の炎がごおごおと噴き出した。それらは私が呼んだ蝶達を巻き上げ、ちりぢりに破壊しながら、一羽の大きな鳥の形を形作る。
左右に広がる、赤く燃え盛る大きなその翼。それがばさりとはためくと、蝶達はもはや群れを形成し続けることは叶わなくなり、翼が生んだ風に遊ばれるだけの他愛もない存在に成り下がる。
ばさり、ばさりと翼を翻す巨大な火の鳥。その名を、私は知っている。それは私が創牌師であるからではなく、五星国の民であれば誰もが知る、四神と呼ばれる神獣の一角であるからこそ。そう、この炎の鳥は。
「夏家が象徴、我が姫の最高傑作、その名を朱雀。芥宝珠、我が姫に対する数々の無礼、その身で贖っていただきましょう」
煉鵬様が大きく手をひらめかせると同時に、その号令に従って、朱雀が空へと舞い上がった。その羽ばたきにより熱気が降り注ぎ、全身から汗が噴き出す。いいや、この汗はただ熱気が熱いから、というだけではない。今、この場で、私の命がかけられているのだという恐怖による冷や汗もまた、全身から噴き出している。
けれど、だからなんだ。怖いのは当たり前。朱妃様が朱雀を描くであろうと予測して彼女を挑発したのは、私自身。だからこそ焦りはない。冷や汗はまるで清流のように私の焦燥を冷静へと塗り替える。
「来来!」
朱雀が私をめがけて降り注がせる、炎の羽の矢を避けながら、休むことなく筆を走らせ続け、そして呼ぶ。繰り返し繰り返し、筆を動かし、龍氣を込めて呼び続ける。
「あーら! いくら下位精霊を呼んでも無駄だって言ってるのに、まだ続けるつもりなのね? ここで敗北を認めたら、やめてあげてもいいのに。ねえ煉鵬、お前もそう思うでしょ?」
「さようですね。無駄なあがきほど見苦しいものはない」
きゃらきゃらと笑う朱妃様と、神の一柱とすら呼ばれる朱雀を自らの龍氣で軽々と使役しながら汗一つ掻いていない煉鵬様。お二人の言う通りだと、観客達は思っていることだろう。私がいくら火の蝶を呼び、それを降り注ぐ火の羽矢にぶつかることで身を守っていても、しょせんそれはどこまでもその場しのぎでしかない。人の身に宿る龍氣は限りあるもので、底なしの資源であるというわけではない。いずれ私の龍氣が尽きたならば、もう神牌を扱うどころか作ること自体が叶わなくなり、必然的に私は朱雀の炎に飲み込まれることとなる。
そんなことは解っている。解っていても、ここでやめるわけにはいかなかった。
「来来! 来来! 来来!」
蝶を。蝶を。蝶を。描いては呼び、呼んでは描いてを繰り返す。そうして、数えきれないほどの火の蝶が、再び群れを形成し始める。
そんな光景を前にして、「もう!」とさもじれったそうに朱妃様が地団駄を踏んだ。
「いい加減にしなさいよ! 負けを認めるなら、命を奪うまではしないって言ってあげてるじゃない!」
「……ありがたきお言葉、恐悦至極に存じますわ。ですが」
来来、と重ねて呟く。また一羽、二羽、と、私が描き上げたばかりの神牌から、火の蝶が飛び出していく。
「私にも、ここで引けぬ理由がございます」
だからこそ手を休めない。どれだけ汗で手が滑りそうになったとしても、絶対に筆を手放さない。その筆先で蝶の姿を描き続け、そしてまた一羽、二羽……十、二十と新たに火の蝶を呼ぶ。
そんな私の頭上で、大きく旋回した朱雀が高く鳴いた。心地よい鳴き声はそのまま炎の渦となり、太陽のような燃え盛る炎の球となって、すさまじい勢いで私へと向かってくる。
「っ!!」
宙を舞うばかりだった蝶の群れを一気に集め、その火球にぶつけることでぎりぎりしのぐ。爆風が巻き起こり、吹き飛ばされそうになったところをなんとか耐える。さ、さすがにヒヤッとした……どころの騒ぎではなく、本当に死ぬかと思った。
ばくばくとうるさくなる心臓を押さえると、そんな私に、心底呆れたような視線が向けられる。煉鵬様だ。「ちょっと煉鵬! やりすぎよ!」ときゃんきゃんと騒ぎ立てる朱妃様を制しつつ、少年は私を、呆れと軽蔑がにじむまなざしで見つめ、そうして一つ溜息を吐いた。
「投降を勧めます。姫様の慈悲を無駄にする真似、僕はこれ以上看過できません」
つまりその台詞が最後通牒であるというわけだ。これが最後の警告であり、次からはいよいよ容赦はしないと、彼はわざわざ私に助言してくれているらしい。それは私のため、ではないのだろう。彼が危惧するのは、朱妃様のお心だ。ここでもしも私が命を落としたら、たとえそれが香煙牌であるからこそと言われたとしても、朱妃様のお心に何らかの翳りがもたらされるかもしれないから。なにせ、朱妃様は、私のことを燃やし尽くすと最初に宣言なさったくせに、今こちらを見つめる赤の瞳のまなざしに宿る光には、ちっとも音を上げようとしない私に対する苛立ちと、確かな心配が宿っているのだから。




