2-① 炎獅子と氷豹
何事かとそちらを見遣ると、ぞろぞろと、これまた家主の許可もなく無遠慮にほったて小屋の中に入ってくる男が三人。『家主の許可もなく』は浩然と同じだけれど、決定的に異なるのは、この三人の男と私は、間違いなく初対面であるということだ。
筋骨隆々とした屈強な男が一人、小柄ですばしっこそうな男が一人、それから遅れて入ってきた、二人よりも身なりがいいひょろりとした長身の男が一人。
三人とも趣こそ異なれど、どう見てもカタギではない。
「な、なんだよお前ら! いきなり入ってきて!」
「浩然!」
穏やかに扉を開けたのではなく、先ほどの勢いからして思い切り扉を蹴り開けてくれやがったらしい男達に早速浩然が噛みつく。まずい。相手がどう出るか解らない以上、下手に刺激するわけにはいかない。今にも男達に飛び掛かっていきそうな浩然を、後ろから抱き締めるように押しとどめ、男達には聞こえないようにそっと耳打ちする。
「いい? 私が合図したら、裏口に走って。鏡台の後ろの隠し扉よ。解るわよね?」
「なっ! そん……もがっ!」
「そのまま、町の警吏の元へ。それまでは持ちこたえてみせるわ。お願い」
「……っ!」
今にも怒鳴り出しそうな浩然の口を押え、さらに言葉を続ける。私をこの場に一人で残していくことに納得したわけではないようだけれど、私と自分だけではこの場を切り抜けられないことは理解したのだろう。こくこくと頷きを返してくる彼に「いい子」と小さくささやいて、ようやく腕の中の少年を開放する。
私達のやりとりそのものは聞こえなかっただろうけれど、何かしらやらかそうとしていることは当たり前だけれど見て取ったらしい男達は、にやにやといやらしい笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。
「ご相談は終わりましたか?」
「ええ、おかげさまで。お待ちいただきありがとうございます」
おそらくは三人の中で最も立場が上であると思われる長身の男と、互いに薄ら笑いを浮かべながら相対する。
怯えた様子も見せない、小生意気な女だと思ったのだろう。屈強な男があからさまに舌打ちし、小柄な男がヒュウッと揶揄交じりの口笛を吹く。
完全にこちらを舐め切っている三人の姿は、今の私にとっては好機だ。自らの懐に手を差し入れると、男達が一斉に身構える。けれど、構わない。待たない。
「浩然、行って! 来来!」
懐から取り出した神牌は、精霊ではなく、精霊の力を封じ込めた、一度きりしか使えないもの。火精の炎で木精の枝葉を燃やしたときに生じた煙を封じた神牌だ。私の言葉に従って、黒い煙が神牌から一気に噴き出し、同時に浩然が隠し扉へと駆け出した。
叶うことならば私も一緒に、と実は思っていたのだけれど……現実は、そうは甘くない。
煙をかき分けてやってきた屈強な男と、小柄な男に、左右を完全に固められてしまう。
まあでも浩然だけでも逃がせたのだから良しとしよう、とするのは、我ながら危機感が薄すぎるのだろうけれど。
「お見事。粗末な神牌ではありますが、悪くはない腕ですね」
「……お褒めにあずかり光栄です、と言えばいいかしら?」
目の前に立つ長身の男の、値踏みするような視線が気持ち悪かった。けれどそれをあからさまに顔に出す真似はしない。流石にそこまで相手の機嫌を逆撫でするような真似をするほど私は命知らずではないつもりである。
いいや、でも、この男達は私の命を取るつもりはないだろう。こいつらの目的なんて、考えるまでもない。
「『牌狩り』に目を付けられるほど、私の創牌師としての腕が認められただなんて、喜ぶべきですかね?」
「話が速いお嬢さんだ。ええ、誇りに思ってくださって結構ですよ」
「嬉しくないわ」
「そうでしょうね」
うふふふふふ、はははははは、と、乾いた笑いがこだまする。
正直なところカマをかけただけだったのだけれど、それがドンピシャで大当たりだったことに頭を抱えたくなる。
嘘でしょう、冗談でしょう、なんでまたこんな下町に……と、そこまで思ってから、むしろ警吏の目の行き届かないこんな下町だからこそ、狙われたのかもしれないと気付く。脳裏で養父が「だから言っただろう!」と悲鳴のような怒声を上げるのが聞こえた気がした。ごめんなさい養父様、宝珠は浅はかでございました。
「この近辺に、腕の立つはぐれ創牌師が、安価で平民の神牌の修繕や制作を請け負っているといううわさがね、我々の耳に届きまして。しかも護牌官もいないとのこと。その顔の傷を見ていたいと思う護牌官などいないでしょうから当然でしょうが。ならばここは我々の出番だと、こうして馳せ参じた次第です。芥宝珠さん、あなたで間違いありませんね?」
ここで馬鹿正直に「はいそうです!」と返事する馬鹿がどこにいるというのだろう。だがしかし、馬鹿正直に答えずに沈黙を選んだとしても、その沈黙こそがもう答えになってしまう。なんたることだ。
顏の傷跡についていちいち嫌味を言ってくるところもまた性格の悪さがにじみ出ているなこの男。悪かったキズモノで。おかげさまで外出時には頭から外套を被らなきゃいけませんけどそれが何か。そんなキズモノに対してわざわざここまで出張ってきたあなたがたはなんなんだと心の底から問いかけたい。
そう、なんとも悲しいことに、世の中には『牌狩り』と呼ばれる、創牌師専門の人身売買を請け負う組織が存在するのである。創牌師は『生ける財産』。生活していく上で欠かせない神牌を修繕し制作する優秀な創牌師が一人いれば、その家はそれだけで一生遊んで暮らせるほどの財を成すことすら可能だと言われている。
だからこそ創牌師は、『護牌官』と呼ばれる、専属の護衛を雇うのだ。神牌の扱いに長けた戦士を側に置き、宮仕え、あるいはお貴族様や豪商のお抱えとなることで身の安全を確保する。それが創牌師にとっての常識、なのだけれど。
――下町で細々とやっていく分には、護牌官なんて必要ないと思ってたんだけれど……。
堅苦しい宮仕えも、貴族や豪商のお抱えとなるのもごめんだった。そういうのはそういうことをするにふさわしい創牌師がすればいい。私の神牌は、ごくごく一般的な神牌にすら手を伸ばすことができないような人達にも使ってもらえるような、誰しもに当たり前に手を差し伸べることができる隣人であってほしいのだ。
「さあ、ご理解いただけたならば、宝珠さん。我々と同行していただきましょうか」
長身の男の言葉に、屈強な男と小柄な男が左右から迫ってくる。彼らのその手が私の両腕をそれぞれ拘束しようとした瞬間、私は、笑った。私の笑顔にサッと男達が顔色を変えるが、遅い。わざとたっぷりと布地を使って作ってある両腕の袖口から、私は神牌をそれぞれ取り出しで叫んだ。
「来来!」
――――ゴッ!!
右の神牌からは炎の獅子が、左の神牌からは氷の豹が顕現する。私の今の手持ちの神牌の中でもかなり高位に位置する精霊達だ。
その威厳、その威圧、その雄々しく凛々しき姿。一目でこちらの実力をある程度理解したのか、屈強な男がその巨体に見合わない素早さで後退り、小柄な男は情けなくもその場に尻餅をつく。そして、長身の男は。
「す、すばらしい……! キズモノの醜女風情に何故私が出張らなくてはならないのかと思っていたが、いい、いいぞ、お前のその神牌、私に寄こせ……っ来来!!」
長身の男が懐から取り出した神牌から顕現したのは、金属の羽を持つ大きな鷹だ。彼が創牌師なのかどうかは解らないけれど、神牌を扱うにあたって、かなりの龍氣を秘めていることは確かだろう。金属をひっかくような耳障りな鳴き声を上げて、金属の鷹は大きく羽ばたき、天井をぶち抜いて天高く舞い上がった。
ああああああ私の家が! と悲鳴を上げたくなったけれど、そんなことをしている場合ではない。後で土木工事、住宅建設担当の精霊の神牌を作って、彼らに修復してもらおう……と内心で涙しつつ、私はいったん炎の獅子の背に飛び乗ってほったて小屋から飛び出した。氷の豹は、おいかけてこようとした屈強な男と、へっぴり腰ながらも立ち上がった小柄な男の前に、何本もの鋭く大きなつららを落として足止めをしてくれている。
そう、小屋の修理も何もかも、この場を切り抜けてからしか叶わないのだから。世の中とはかくも世知辛いものである。
「やれ、金鍮! 神牌が作れる程度の腕と頭を残しておけば、後は好きなだけ食らってやれ! 足を狙え、逃がすな!」
長身の男ががなり立てるように、『金鍮』と呼ばれた金属の鷹に命じ、鷹はその言葉通りに空の高いところから一気に旋回してこちらへと急降下してくる。狙いは間違いなく私だ。速い。私を乗せたままの獅子の巨体では、避け切れない。ならば!
「炎よ!」
そっと獅子のたてがみを撫でてそのこうべを上へと向けさせて叫ぶ。賢く敏い私の炎の獅子は、私の思いをそのままくみ取って、大きく口を開いて灼熱の炎を吐き出した。金属の鷹を炎が襲う。けれど若干勢いを殺しただけで、鷹はなおもこちらへと向かってくる。
「馬鹿め! 確かに金精は火精によって溶かされるものだが、我が金鍮とってはその程度の炎など蝋燭の火にも及ばぬ!」
長身の男が勝利を確信したのか、上品に見えていた顔立ちに悪辣な笑みを浮かべた。ウチの子の神牌を欲しいと言っておいてその言いぐさ、随分好き勝手に言ってくれるものだ。
けれど確かに彼の言うことは鑑みると、火剋金、は通用しないようだ。火は金を打ち滅ぼすものだが、男が言いたいのは逆なのだろう。金侮火。強き金が、火を侮る。男はそう言いたいわけだ。でも。
――甘いわ。
そう、甘い。私の神牌が、炎の獅子だけであると誰が言ったのだろう?
気付けば獅子の隣に並んでいた氷の豹に目配せを送ると、豹もまた私の意図を敏くくみ取り、その口から極寒の吹雪を吐き出す。つい一瞬前まで灼熱にさらされていた金属の鷹を、絶対零度が包み込む。異変が起きたのは、次の瞬間だった。
「な、んだと……?」
金属の鷹が、ばらばらになっていく。悲鳴を上げることすらできずに墜落する鷹を、呆然と立ちすくむ長身の男ではなく私が受け止めた。ヒュウヒュウと吐息を漏らす鷹の頭を撫で、懐から取り出した絵筆で、同じく取り出したまっさらな神牌に、鷹の本来の姿である優雅な姿をさらさらと描く。まにあわせにしては上出来の絵姿だ。続いて、謝謝、と呟くと、鷹はその新たな神牌に吸い込まれるようにして封じられた。
この子のための神牌は、後できちんとした形で描いてあげようと心に決めつつ、未だに硬直している長身の男へと視線を向ける。彼はまったく現状が理解できていないようだ。説明してあげる義理はないけれど、放置しておくわけにはいかず、私は口を開いた。
「金属は、急激な熱の変化に弱いのよ。それは神牌においても同じ。精霊が直接生み出した熱気と冷気に、何の対策もなしに唐突にさらされたならばなおさらだわ」
ご理解いただけた? と笑いかけると、長身の男は顔を真っ赤に染めた。更なる神牌を取り出そうと、彼はまた懐に手を入れたけれど、それを黙って見守ってあげるほど私は優しくはない。
氷精たる豹に再び目配せを送ると、彼はフンとつまらなそうに鼻を鳴らして、右の前足で宙を掻いた。そして生まれたるは氷の矢だ。すさまじい勢いで宙を滑ったそれは、長身の男が取り出した何枚もの神牌をまとめて貫く。
長身の男が情けない悲鳴を上げるのを前にして、どうだ、と自慢げにこちらを見上げてくる氷豹の頭を撫でる。炎獅子はそんな氷豹を呆れたように見つめている。性格の違いがよく解るそれぞれの態度に思わず笑いつつ、改めて長身の男に向き直る。
「さて、どうします? このまま私と戦いを続けますか?」
「お、おのれっ! 下賤な醜女が調子に乗りおって……!」
随分なご挨拶である。主観的にも客観的にも、自身が私を生け捕りにするのはもはや極めて難しいことであるということくらい理解しているだろうに、この言いぐさ。その根性、いっそ感心してしまう。
別に今更傷付きなどしないけれど、今後、再び私を狙うような真似などしないように、ここはひとつキツめのお灸をすえさせていただこうかな、と、新たな神牌を取り出そうとした、そのときだ。
「おいっ! こっちを見ろ!」
「この小僧がどうなってもいいのか!?」
「えっ」
突然背後からかけられた声に、反射的にそちらを向く。そして私は、目を見開くことになった。
私と長身の男のやりとりで、すっかり戦意を喪失していたはずの、残りの牌狩りの二人――屈強な男と、小柄な男が、並んでこちらを見つめている。その顔に浮かぶのは先ほどまでとは打って変わった、自分達の勝利を確信した笑み。そして、彼らが拘束しているのは――――……!
「浩然!」
「ごめ、ごめん、宝珠! 俺、俺、宝珠のこと置いて行けなくて、助けたくて、それでっ!」
屈強な男に捕らえられ、しゃくりあげながら謝ってくる少年の姿に、ぐっと胸が詰まる。ああ、そうだった。私は彼に、「警吏を呼んできて」と……ようは「逃げろ」と伝えたけれど、浩然の性格上、それを素直に受け入れるはずがなかったのだ。
彼と私は性別も年齢も違うけれど、このご近所で、確かに友人としての関係を築いてきたのだから。そんな彼が、私を置いて自分一人で逃げられるはずがないのに、どうして私はそこまで考えがいたらなかったのか。自分の浅はかさが悔しくてしょうがない。
「よ、よくやった、お前達!」
長身の男が、我が意を得たりとばかりに、満面の笑みを浮かべる。そしてそのいやらしい笑みを、彼は余裕たっぷりに私へと向けた。
「形勢逆転、というやつですかね。さて、宝珠さん。そこの小僧を無事に解放してほしければ我々に同行していただきます。ああそうだ、その前に、手持ちの神牌と、絵筆のすべてを出してもらいましょうか?」
「……解ったわ。炎獅子公、氷豹公、謝謝」
逆らう、という選択肢はなかった。牌狩り達の卑怯な真似に、それぞれ喉の奥で低い唸り声を上げていた火精と氷精を神牌に送還し、それを地面に置く。ついでに、懐と袖に仕込んでおいた何枚もの神牌と、携帯用の絵筆もまた、その隣に並べる。
私がすべて並べ終えると、それを待っていましたとばかりに、小柄な男が駆け寄ってきて、私の神牌と絵筆をかき集めて、長身の男の元へと運ぶ。
それを満足げに受け取った長身の男は、それでもなお、ねっとりとした視線を私へと向けた。
「はて、これだけですか? 本当に?」
「本当よ。だから浩然を早く解放し……」
「信じられませんね。ああそうだ! 証明のために、その衣装、この場で脱いでいただけませんか?」
「……は?」
何を言い出しやがりましたんですかこいつ。そう私が唖然としたのも無理はない。けれど長身の男も、その部下である残りの二人も、名案だとばかりにいやらしく笑いながら何度も頷く。
「別に恥ずかしがるまでもないでしょう? 私どもとて選ぶ権利はありますからね。あなたのようなキズモノの醜女に手を出すなど、とてもとても」
なるほど、つまり、私の辱め、ただ単に辱めたいがためだけに、私に衣装を脱げと言っているのか。ふつふつと怒りが腹の奥底から湧き上がってくる。こんな奴らのために何が悲しくて、と思えども、駄目だ。浩然が見ている。喚き立てようとしているせいで、屈強な男に口を抑え込まれ、あらゆる抵抗を封じられ、顔を真っ赤にして涙を流している。
彼は心から、私の身を案じてくれている。だから、いいか、と、そう思えた。
「私がすべて衣装を脱いだら、浩然のことは解放してもらえるのかしら」
「それはあなた次第ですね」
「だったら必ず、解放してもらうと確約してちょうだい。そうでなかったら、私は裸になった後、舌を噛んで死ぬわ」
本気よ、と続けると、それまでの気色悪い笑顔をいかにも苛立たしげな表情へ変えた長身の男は、しばしの沈黙ののちに「いいでしょう」と頷いた。
よし、言質は取った。私の自死する覚悟が本気であることくらいは伝わってくれたようで何よりだ。
あとはもう、やることをやるだけ。まさかこんなところで、娼婦まがいのことを始める羽目になるとは思わなかったなぁと思いながら、腰帯に手をかける。
しゅるり、と、ためらいなくその結び目をほどいた、その瞬間。
「――――下手な見世物だね」
……唐突に、割り込んできた、その、声は。誰もが驚きのあまりに言葉を失うに違いないような、魅力的な声だった。耳に心地よい、穏やかな、甘い青年の声。
腰帯をほどく手を思わず止めてそのまま固まる私とは裏腹に、牌狩り達が「誰だ!?」と焦り出す。
牌狩りは、五星国が国を挙げて全摘発を目指している裏社会の組織だ。新たな乱入者の存在が、彼らにとって都合の悪い存在である可能性が高いことを、彼らは理解しているのだろう。
けれどそれは私にとっての『都合のいい存在』であるとは限らない。
割り込んできた声は、頭上から降ってきた。私を含めた誰もが、吸い寄せられるように上を向く。そして、息を呑んだ。