7-④ 簪
「いらっしゃいませ。どのようなものをお探しで?」
「彼女に似合うもの……そうだな、かんざしなんてどうかと思ってね。おすすめをいくつか出してもらえるかな」
「かしこまりました」
いくら怪しくても、私達がまとっているその外套が、それなり以上に上等なものであることに、店主はすぐに気付いたらしい。店をひやかすだけの通行人ではなく、れっきとした上客として私達を扱うべきだと判断したらしい彼は、「それならば」と頷いて、店先に並ぶ安価のものではなく、あろうことかなんと、鍵のかけられた棚へと向かう。
そしてそのまま店主は、棚の鍵を開けて、一見さんであればとうていお目にかかれないような逸品のかんざしをいくつも盆の上に並べて、私達の前に差し出してきた。
「このあたりなどいかがでしょうか。皇宮への献上品も作り上げる職人が、手ずから作った品々にございます」
「ふうん。宝珠、どれがいい?」
「ど、どれがいいと言われましても、そんな、夜昊様、私などにはもったいなさすぎます……!」
選んでいいよ、と言われましても、じゃあこれを、とほいほい選べるようなお値段の逸品ではないだろう。というか別に私はかんざしに限らず装飾品のたぐいは必要としていないと、以前にもお伝えしたはずだったのだけれど、あれ、通じていなかったのだろうか。それともわざと忘れたふりをしていらっしゃるのか。どちらにしろ、この場で「これをお願いします!」と意気揚々と選べるほど、私の神経は図太くない。
「夜昊様、本当に私は大丈夫ですから。どれも本当にすばらしいご作品ですもの。私などにはもったいなさすぎますし、そもそも似合うはずがございません」
「でも、せっかくの逢引なのに」
「おや、逢引でいらっしゃる?」
せっかくの逢引、という台詞をここぞとばかりに強調した夜昊様のその台詞を、店主は聞き逃がさなかった。彼の商人としての瞳がきらりと輝き、目の前の上客を逃すまいとばかりにますますその表情が強気なものになる。
「でしたらこちらなどいかがでしょう。紅水晶で作った梅の細工のかんざしは、季節を問わずに縁起物として人気ですよ。ああ、こちらの黒曜石のものは、造形こそ単純ではございますが、ほら、ご覧ください。特殊な削り方をしているので、七色に光を反射する逸品です」
「へえ、それはすばらしい。ほら、宝珠、試しに髪にあててみるだけでもしてみたらどうだい。店主、構わないだろう?」
「もちろんですとも」
「え、いいいえ、ですからそんな、恐れ多いです……!」
勘弁してください! と後退りしたその瞬間、まるで狙いすましたかのように、店内に風が吹き込んでくる。荒ぶり乱れるような強い風ではなかったけれど、すっかり油断していた私と夜昊様の頭巾を落とすのには十分な威力のある風だった。
あ、と思う間もなく、視界が明るくなる。隣の夜昊様は誰もが見惚れる美貌をさらして「しまったな」なんて小さく呟いている。その姿に、店主と、もう一人の店員さんである娘さんが、呆けたように見入っている。解る、解るぞ。夜昊様のご尊顔、つい見惚れてしまいますよね。びっくりするほどの麗しさですもんね。男も女も老いも若きも関係なく、そりゃあうっとりと見惚れてしまうといったものだろう。
なんとなく口を出すのもはばかられて黙っていると、ハッと先に正気に戻った店主が、顔を赤らめながら改めて、かんざしが並ぶ盆をぐいぐいと前へ押し出してきた。
「お、お客様ほどのお美しさならば、どのかんざしもさぞかしお似合いになられるでしょう! なあ鈴玲、お前もそう思うだろう?」
「えっええ、もちろんあたしもそう思うわ、父さん! お客様、良ければあたしに、お客様にいちばんお似合いのかんざしを選ばせていただけませんか?」
店主に声をかけられて、頬を真っ赤に紅潮させた娘さんが、さして広いとも言えない店内をわざわざ小走りでこちらまでやってきて、やはりうっとりとした瞳で夜昊様を見上げる。
けれどそんな乙女の熱っぽいまなざしなど、慣れたものだとばかりに平然と受け止めた夜昊様は、困ったように眉尻を下げた。
「申し出はありがたいけれどね。僕は、自分のためのかんざしではなく、こちらの彼女のためのかんざしを探しているんだ」
「ひゃっ」
突然腕を引かれて抱き寄せられ、反射的に声を上げる。ええええ、この状況でそういうことを言ってしまうのかこのお方。夜昊様の美貌に見惚れ、すっかり私のことなど忘れていたらしい店主と娘さんは、夜昊様に引き寄せられた私を見て、その瞳をそれぞれ大きく見開かせた。
二人の視線が辿るのは、私の顔に走る大きな傷痕。遠慮も会釈もあったものではない、不躾すぎる視線だ。こんな風に見られるのは久々だなぁ、と思う間もなく、「ぷっ」と、耐えきれなくなったように笑いを噴き出す声が耳朶を打つ。それは当然引っ込むことはなく、むしろそのまま大きな笑いとなって、店主と娘さんの口からこぼれ出た。くつくつ、くすくすと笑う二人は、顔を見合わせてから頷き合う。
「当店の品々はどれも一級品であるという自負がございますが、申し訳ございません。一級品であるからこそ、誰もにお似合いになる、というわけではないのですよ」
「そのお顔の傷痕以上の装飾品は、当店では生憎ご用意できませんわ。ね、それよりお客様。お連れ様には相応のお店を紹介させていただきますから、その間、ぜひあたしとゆっくり、お茶でもしながら当店の逸品をご覧になりません?」
非常に解りやすく馬鹿にされている。とはいえ今更傷つくことはない。こんなことを言われたことくらい、もう数えきれないくらい山とある。商売人としては失格なんじゃないかな~と思わないでもないけれど、こんなキズモノにお店自慢の逸品を使われたら、お店の名前に傷がつくと思われてもまあ仕方がない話だ。
たぶんこうなるだろうと思っていたし、娘さんはすっかり夜昊様に首ったけらしいので、この辺でいったん別行動するのもいいのでは……と、思い始めたころ、がしり、と、いきなり手が掴まれる。え、と何度か瞬いた次の瞬間、私はぐいっと大きくその手を引かれた。夜昊様だ。彼が私の手を引っ張って、大股でさっさと店から出ていこうとしている。
「お客様!?」
「邪魔したね。悪いけれど失礼するよ」
それまでとは一転して低い声となり、振り向きもせずに私を引きずるようにしながら店を後にする夜昊様の背に、店主の声が追いかけてくるけれど、構うことなく彼はずんずんと店から離れていく。私も彼も頭巾を外したままだからすっかり注目の的になってしまっているのに、彼にとってはそんなことはどうでもいいようだった。
「や、夜昊様!」
ぐいぐいと痛いくらいに手を引っ張られて、彼と私の歩幅ではもう私は速足どころかほとんど駆け足にならないとついていけないくらいで、それでも彼はその足を止めてはくれず、とうとう私は大きくその名前を呼んだ。その途端、ぴたりと彼の足が止まり、不意打ちに私は彼の背中に鼻先からぶつかってしまう。痛い。酷い。いったいぜんたい、もう、なんだというのだろうこのお方は。
「夜昊様、どうなさったのですか」
「何が?」
「何がって……」
こちらを振り返ることもなく問い返されて、反射的に口ごもる。いや、何がも何もないだろう。
「急に店を出なさるから、何かあったのかと思いまして。夜昊様のお気に障るようなことでもございましたか?」
「……それは、君でしょう」
「え」
「どうして怒らないの」
「ええ?」
と、言われましても。ちらりともこちらを振り返らずに背を向けたまま、ただ痛いほど私の手を握り締めている夜昊様に、首を傾げるほどはない。怒る? 何に対して? そうは言われても思い当たる節がない……って、まさかとは、思うけれど。
「私の傷痕についてですか?」
そんなまさかね、と内心で笑いつつ言ってみると、なんと返ってきたのは否定ではなく沈黙だった。つまり、肯定だ。夜昊様は、私が装飾品店の二人に馬鹿にされたことに対して思うところがあるらしい。あらまあ、と素直に驚く。別にあれくらいの反応、想定内だし予想の範疇だし、ここ十年ですっかり慣れたものなのだけれど、それなのに夜昊様はあれがどうにもお気に召さなかった、ということか。いいや、お気に召さない、どころか。
「夜昊様」
「なに」
「もしかして、怒ってくださってます?」
「…………」
こちらをちらりとも見ない彼の肩がわずかに震える。そして、肩越しに振り返ってきた彼のかんばせには、いつもの穏やかで鷹揚な笑みとは異なる、どこからどう見ても不機嫌極まりない、ド迫力の怒りがにじんでいた。
そんな顔を見せ付けられたら、いつもであれば悲鳴を上げて反射的に「申し訳ありませんでした!」と頭を下げたに違いないのに、何故だろう。今ばかりは、夜昊様のことが、ちっとも怖いとは感じられなかった。
「悪い?」
信じれないほど低い声で問いかけられる。でも、やはり怖くはなくて。
「悪くはございませんが……なんと申しますか……」
「何が言いたいの」
イライラと明らかに苛立ちをあらわにしてこちらを見つめてくる金色の瞳を見上げたら、もうだめだった。くふ、と喉から笑いが込み上げてくる。留めようにも留め切れず、そのまま私は小さく、けれども確かに思い切り笑い出し始めてしまった。
「ふふ、ふふふっ」
「……何がおかしい?」
「だって、私が怒るよりも、よっぽど夜昊様のほうが怒ってくださっているんですもの。私が怒るまでもなくなってしまいましたね」
「……」
まさかこの方に、自分が馬鹿にされたことについて怒りを覚えてもらえるだなんて思わなかった。自他ともに認めるキズモノにとっては過ぎたる栄誉だろう。美しいかんざしに憧れがないわけではない。手に取ってみたいと思ったこともある。けれど身の程をわきまえるのは人生において大切なことで、妥協と諦めもまた同様だ。手に入れることが叶わなくても、先ほどあんなにも近くで見事な逸品を見られただけで十分すぎる。
そう私がうんうんと頷いていると、視線を感じた。そちらを見上げると、輝かしい金色の瞳が、なんとも表現しがたい、怒っているのか悲しんでいるのか、はたまた呆れているのか心配しているのか、どれが正解なのか解らない、実に悩ましげな複雑極まりない表情とともに、こちらを見つめていた。
「宝珠」
「はい」
「ちょっとここで待っててくれる?」
「はい?」
ここ、と示されたのは、当たり前だが城下の繁華街、その一角の、ちょうど休憩用の長椅子が置かれている場所だ。いまだに掴まれたままだった手を引かれ、その長椅子に導かれるようにして座らされる。ええと、どういうことでしょうか? とばかりに座ったまま夜昊様を見上げると、彼はいつもの笑顔ではない、驚くほど生真面目な表情で、口を開いた。
「すぐに戻るから。待っていて。知らない相手に勝手についていかないようにね」
まるで幼子に言い聞かせるかのようにそう言い残し、夜昊様は頭巾を被り直して、人混みの中に消えていった。残されたのは、当たり前だが私だけだ。
「待ってろって……」
このまま私がここぞとばかりに逃げ出すとは考えないのだろうか。いや運よく逃げおおせたとしても、あの夜昊様のことだ、どんな手を使ってでも連れ戻される気がしてならないのが恐ろしいところだけれども。
本当に、このまま、逃げてしまおうかな。当たり前だけれどそんな考えが頭を占める。けれど、「待っていて」と言い残していった夜昊様の表情がどうにもこうにも忘れられなくて、長椅子に座ったまま動けない。
頭巾も被らずにぶらぶらと足を揺らす私のことを、道行く人々は遠巻きにちらちらと見つめてくる。その視線の先にあるのはやはりこの顔に走る大きな傷痕で、人目を避けたいのであればさっさと頭巾を被るべきなのだろう。そうしないのは、私が誰にも声をかけられたくないからだ。そういう意味では、この顔の傷は人避けとしてとても便利なのである。この傷跡が顔に刻まれていることを、厭ったことがない、わけではない。けれどこの傷跡があったからこそ得られる利点が意外と多くて、結局私は今日にいたるまでこの傷跡をさらしている。そう、別に気にしていないのだ。こんな傷痕くらい。それなのに。
「馬鹿にされて、怒ってもらえたの、久しぶりだなぁ」
私自身が馬鹿にされて当然と思っているのに、夜昊様はいつものいけしゃあしゃあとした余裕をぶん投げる勢いで、明らかに怒りをあらわにしてくださった。なんだかそれがとてもくすぐったくて、ふふ、と笑みをこぼした、そのとき。
「――――お前っ! あのときの醜女だな!」
「えっ!?」
耳朶に叩きつけられた悪意に満ちた罵声に、びくぅっと座ったままその場で跳ね上がる。何事かと周囲がざわめき始める中、その罵声が聞こえてきた方向を見た私は、「げ」と顔が引きつるのを感じた。




