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後衛戦闘

 

 鼻をつく硝煙の匂いで目を覚ました。

 体の至る所が鈍い痛みを発している。

 朦朧とした意識のまま、鈍痛を発している頭に手を当てる。

 生暖かい液体が指先に触れた。


 徐々に覚醒する意識。

 必死に今自分が置かれている状況を把握しようとする。どうやら、自分は今床に倒れているようだ。


「──か───う───!」


 誰かに強引に引き起こされる。

 刹那、強烈な衝撃が頬を襲った。右頰、左頬と続いたそれは、海軍兵学校で一号生徒から散々喰らった鉄拳制裁に似ていた。


「───ちょう。艦長!……起きてください!」


 鬼の形相で叫ぶ男はさらにビンタを張るべく、右手を振り上げた。


「じゅ、十分だ。先任(センニン)。もう起きた」


 意識の覚醒に至った海軍瓜生清世(ウリュウ キヨセ)中佐は手を挙げて先任海曹の動きを制した。

 先任は経験豊富な下士官しかなれないため、瓜生よりも年上である。まるで父親に殴られているような気分だった。


 そのような思いを頭の隅に追いやると、ふらつく足腰に鞭打って立ち上がった。床に転がっていた制帽を拾い、被る。側頭部に痛みを感じ、裂傷ができていることに気付いたが、それは目の前に広がる惨状によってすぐさま忘れられた。


「被害報告は、聞かなくても良さそうだな」


 瓜生は苦々しい表情を浮かべたまま、艦橋内を見渡した。


 下の甲板や海面が丸見えになるほど、右側が床がごっそりと抉り取られている。

 前方や側方への視界を提供していた防片の窓ガラスはすべて割れており、その下に並んでいた伝声管はひん曲がっているか切断されている。天井からは断線した回路が垂れ下がり、近づくのも憚られる大きさのスパークを発していた。


 瓜生は胃酸が込み上がってくるのを感じた。


 あたりは血の泥濘と化し、体の一部分または大半を欠損した将兵の遺体が散乱しているからだ。一部の亡骸は焼かれ、肉が焼ける名状し難い不愉快さを孕んだ匂いがあたりを満たしていた。


 何が起こったかは容易に想像できた。


 戦艦の主砲弾が直撃したのだ。


「艦橋の生き残りは我々だけです」


 先任海曹は無精髭に覆われた口をへの字に歪めながら言った。顔は苦渋に歪んでいる。それもそのはずだろう。ここで死んでいる兵は自分より年下であることに加え、その多くが自分の生徒のような存在だったのだ。


「これが海戦、いや、戦争……か」


 瓜生は、今や艦橋内部からも拝むことができるようになった空を見上げた。束の間、自分はここで何をしているのだろう、という気持ちになる。意外にも贅沢な気分になった。


 しかし、現実は、士官の精神的逃避を一瞬たりとも許さない状況に陥っている。


 瓜生が艦長を務める嚮導巡洋艦「斬雪(ザンセツ)」は、傾国の香りをたっぷりと含んだ祖国の海を、ひたすら味方領域目指して逃走していた。

 周囲には、「斬雪」と似たり寄ったりの傷を負った駆逐艦が三隻──「八重雲(ヤエグモ)」「龍雲(リュウグモ)」「紅雲(ベニグモ)」と、航洋水雷艇「(ミゾレ)」が、敵の攻撃を回避しつつ必死に編隊を維持している。


 瓜生は視線を空から僚艦に移した。その艦上や発揮している速度を数秒観察する。

 幸いなことに、いずれの艦も致命的な損害は受けていないようだった。


「先任。指揮所を後部艦橋へ移動する。伝声管は生きてるか?」


 今や艦長の顔に戻った瓜生は訊ねた。


「辛うじて一本だけ」


「よろしい。後部艦橋の峯田(ミネタ)副長にこっちの状況を伝えろ。発光信号はどうだ」


「だめですな。敵弾が艦橋を横凪にしたもので。左右の信号所は全滅です」


「手旗信号ならあるだろう。海図台の下にしまってある。『龍雲』に信号伝達。“我ニ代ワリテ臨時ニ指揮ヲ取レ“だ」


 復唱後、先任海曹は弾かれたように動き出した。

 瓜生はその様子を確認すると、踵を返して階段(ラッタル)を降り、甲板に降り立った。


 瓜生は目の前に広がった光景に、思わず呻き声を上げた。


 後部艦橋にたどり着くためには、艦中央部の甲板上を進まなければならない。だがそこは、敵弾にずたずたにされ、人肉とひん曲がった金属が散乱する荒れ放題の道だった。

 それに、至近弾として艦の隣に落下する敵弾が噴き上げる水柱が、時折滝のようにして降り注ぐ。巻き込まれたら、海に引き摺り込まれてしまう。


 瓜生は純白の上着を脱ぎ、右腕に巻きつけた。これで、鋭利な残骸を乗り越える際の怪我が少なく済むだろう。海水に関しては、龍神に祈って身にかからないようにしてもらおうと考えた。つまりは無対策であった。


 後部艦橋への荒れた道を必死に進みながら、瓜生はちらっと艦後方の水平線に目をやった。

 そこには、目下祖国を侵略しつつある〈ブラウ〉帝国の艦隊が、小癪な東洋の小戦隊を叩き潰すべく砲火を放ちつつ迫ってきている。しかもその中心は、南天領(ナンシュウ)沖の決戦で我が軍を震撼させたオッペンハイマー級超弩級最新鋭戦艦ときた。


「ああ糞。畜生。急がねぇと」


 周りに部下がいなくなると、生来の口の悪さが出る。


「艦隊司令部の阿保どもが。尻拭い押し付けやがって」


 半壊し、たまに肉片が転がっている甲板を歩く苦労が、イライラを募らせる。自然と悪態は、この状況になってしまった元凶へと向いていた。

 瓜生の戦隊は、ほんの数時間前に大敗北を喫した主力の撤退援護のため、敵艦隊の矢面に立たされているのだ。


(いや。違うか)


 めくり上がった甲板を進みつつ、瓜生はかぶりを振った。


 とある艦隊参謀の顔が頭に浮かぶ。

 俺のことが大っ嫌いな秀才艦隊参謀。


 主力が脱出する際の殿(シンガリ)として、瓜生戦隊を強く推した姿が簡単に目に浮かんだ。

 『元凶』とするならば、艦隊司令部ではなく奴個人だろう。


 同時に、瓜生の脳裏にとある記憶が浮かび上がってきた。


 快楽と、甘い生娘の香り。自分の腕の中で身を捩る女の姿。


 それが艦隊参謀の娘だと知ったのは、行為の後だった。

 艦隊参謀が、自分の娘を艦隊司令長官の息子と結婚させ、海軍内で確固たる地位を得ようと画策していたと知ったのは、海軍内での自分の扱いが目に見えて悪くなり始めた頃になる。


「あの糞野郎。ケロッと生還して一発殴ってやるよ」


 呪詛の言葉をぶつぶつと吐きながら進むこと七分。

 瓜生は後部艦橋に到達した。途中からは峯田が差し向けてきた水兵のでも借りたが、両手や膝は傷だらけになっている。


「艦長!」


 心配する峯田を無視し、乱暴に言った。


「戦隊内電話をよこせ」


 瓜生の頭の中では、急速に反撃計画が組み上げられていた。


 




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