美女登場!
自分と同じ物を見てくれるそんな存在ってとても大切ですよね!
そして、それは恋の予感を感じさせます!
可愛らしい受付の女性からの不思議そうな視線を感じて、岩男は汗だくの自分に気がつくと、慌てて彼女の所に駆け寄った。
「ゆ、雪だよね?!」
岩男はそう言って、すっかり雪でふさがっている玄関を指差した。すると、受付嬢は驚いたものの自分の胸につけている名札を見ながら、苦笑いしていた。
「私は、柚木です」
彼女はそう言って、岩男を馬鹿にしたような眼をしてきた。噛み合わない会話に、岩男は一瞬キョトンとしたが、意味が分かると顔を赤らめてその場から離れた。そして、叫び出したいのを押さえながら、ゆっくりと元来た方に戻っていった。
いったいどうなっているのだろうか?誰にも見えていないみたいじゃないか!
理解出来ない事態に困惑を隠せないまま、岩男が自分の部署のあるフロアーに戻りエレベーターから降りてみると、窓の外はもうすっかり雪に覆われており、その階からは何も見えなくなっていた。岩男はパニックになりながら、ある事を思いつき、またエレベーターに乗り込んだ。
屋上に行くしかない!
真っ白な頭の中にはそれしかなく、すっかり冷静さをなくした岩男はただ屋上を目指した。直接屋上に通じるエレベーターなどは無いが、最上階から階段を使って屋上まで行く事が出来る。ただ、普段はドアに鍵がかかっているはずだ。
しかし、今の岩男にはそんな事関係なかった。
不安と恐怖心が心を覆っていたから、何としてでも上に上がらなければ、とそれだけしか頭になかったからだ。だから、最上階までたどり着き、ドアの前に立って初めてその事に気がついた。
しまったと思いながらも、とにかく開かないものかとノブに手をかけた途端、ドアがゆっくりと開いた。
鍵がかかってない!?
どうして?と思う前に岩男は駆け出していた。とにかくラッキーだ。汗が噴き出るのもかまわずに、白いペンキを塗られた鉄製の階段を駆け上って一番上までたどり着くと、半分祈りながら、屋上に通じる扉を手前に引いた。
ドアを開けた途端、強く冷たい風が岩男の頬を撫でた。
雪が堆く積もっているかと思ったがそうでも無くて、目の前には人一人が通れる道が出来ており、両端に雪の壁が出来ていた。岩男は見た途端、誰かが先にいる事を感じた。
岩男は警戒しながらも、雪に触れて、その冷たさを指に感じながら先を歩いていくと、細い灰色の空しか見えなかったのが急に視界が広がり、広々とした景色が広がった。
屋上のヘリポーとだと思うのだが、緑色の大きな丸と『H』の文字のところが雪を掻き出されてはっきりと姿を現しており、その中心には誰かがいるのが見えた。誰かが大きなちりとりのような道具を使いながら、ヘリポートの縁に雪を寄せている。
女性だ。すぐにそれが分かり、そして、その女性があの朝比奈楓だと分かると、岩男は言葉を失いながら、ただ導かれる様に歩み寄った。
何で彼女がここに?そう思っていると、向こうもこちらの存在に気がついたようだ。
「やあ!」
岩男がそう声をかけると、朝比奈楓は軽く睨んだ後、また作業を始めた。雪を掻きだしている。間違いなく、彼女にはこの雪が見えているようだ。上を見上げると、このビルの上だけ雲が薄くなっており、日の日差しが出ている。雪もさっき見ていた雪だるまの様な雪が降っている訳ではなく、もっと粒子の細かい粉雪になっている。ただ、周りには相変わらず雪だるまが降り積もっていて、その大きさも二メートル近いものばかりだった。岩男はその様子を不思議そうに見たり、足元も確かめながら、ゆっくりと楓の近くに寄って行った。彼女は、ピンクのストールを纏い、黒いタートルネックのセーターを腕の部分でまくりあげ、白くきめ細やかな細い腕を出していた。腰元が細いからか、ボリュームのある胸の膨らみがさらに強調されており、形のいい引き締まったお尻をインディゴ染めのスリムジーンズに収めていた。スリムで均整の取れた足の先には、何故か穴あきスリッパを履いている。慌ててここに駆けつけてきたのだろうか?
岩男は彼女を上から下まで見回すと、今度は絶対聞こえる位の大きな声を出した。
「君、この雪が見えるの?」
岩男がそう言うと、彼女は手を止めて、大きな声を上げた。
「何言ってんの!見たらわかるでしょ!」
彼女は顔を赤らめながら、そう言ってまた手を動かすと、掻き出した雪を端に寄せた。白い息が、少し赤らんだ顔から漏れている。長くてブラウン色の髪の毛が、彼女が動くごとに靡いて光を放っている。岩男は少し恐縮しながらも、雪の事よりも彼女にドキドキしてしまった。
しかし、イントネーションが少し訛って聞こえるのは気のせいだろうか?いや、それよりも重要なのは、彼女もこの雪が見えると言う事だ。岩男は興奮したように彼女に近寄ると、嬉しそうに彼女に声をかけた。
「ほんとに見えるんだね!この雪が!信じられない!自分以外にも見える人がいただなんて!」
岩男がそう言うと、彼女は怪訝そうな顔をしながら、
「見えるもなにも、こんなに積もってるんだから」
と言ってきた。他の人とは違う意味で、岩男を馬鹿にしているような顔をしている。しかし、本人はそんな事頭の片隅にもない様子で、ただ、この雪を見た驚きを共有できる喜びを感じながら、万弁の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「そうだよね!ただ、皆には見えないみたいだから」
岩男がそう言って楓の眼を覗き込むと、彼女の眼が綺麗な緑色をしているのに気がついた。「目が・・・緑」思わず岩男はそう口走りそうになったが、彼女も岩男の顔を覗いてきたので、恥ずかしくなって口をつぐんだ。
「そんなの知らないわ。だって私には見えてるんだもん」
「いつからいるの?」
「ついさっき来たばかりよ。いきなり雪が降り積もったから」
なんだかいい感じじゃないか。俺が、まともに朝比奈楓と会話をしているだなんて。岩男は気分が良くなって、調子に乗った。
「だよね。びっくり」
岩男は笑顔になって、さらに彼女に近づいた。
「こんなに雪が降ったら下の人達は大変だね、朝比奈さん」
岩男がそう言って、大げさに笑みを浮かべると、楓は体ごと向き直って、腰に手をあてて睨んできた。
「あなた、この会社の人?」
「え?」
「私の名前知ってるなんて」
「え?いや、その」
岩男は突然そんな事を言われたので、戸惑ってしまった。まさか、顔を覚えられていなかったなんて。いくら人が多いからって、同じフロアーで働いていたら、顔ぐらい知っているはずだろうに。
岩男はあまりのショックにどう説明していいか分からなくて、ようやく自分の部署を名乗り出ようとしたが、それを楓の声が遮った。
「そんな事より、こっちに来てみてよ!」
楓は大きなちりとりを手放すと、岩男を手招きしながら歩き出した。嬉しそうな表情を浮かべて、まるで子供の様だ。普段、会社の中で今の様なしている彼女を、岩男は一度として見た事が無かった。だから、岩男は戸惑いながらも、楓の魅力にあらがう事が出来ずに、導かれるままに付いていった。
彼女が雪を掻きだしていたため、低い雪の丘がヘリポートの周りに出来上がっており、岩男はまずそれを乗り越えねばならなかった。不思議な雪だ。服についてもしみ込みもしないし、やけにサラサラしている。いつの間にか、二人の頭上の空から日差しが差し込んできて、眩しく照らし出した。雪も止んできたし、聞こえるのは二人が雪を踏みしめる音と、ビルの上を吹く風の音だけだ。
楓は岩男とは反対側のヘリポートの丘の上に立っており、天使の様な笑顔を浮かべながら、長い髪をなびかせている。そして、振り返って両手を広げると、やっとヘリポートの真ん中までやってきた岩男に少し興奮気味な表情で声をかけてきた。
「見てよ、この景色!」
岩男は肩で息をしながら、彼女に導かれるままに自分も丘の上まで登ると、その景色を目にした途端、あまりの光景に息をのんだ。
そこには雪原が広がっていた。
雪が降ったのだから当然そうなるのだろうけど、一つ違うのは東京の街がすっぽりと雪で覆われており、見渡す限りの白い絨毯が遠くの方まで広がっていたのだ。すぐ近くに都庁の二つの頭が出ていたり、北は池袋のサンシャイン、南には六本木ヒルズ、そして、少し遠くに東京タワーの頭だけが顔を出しているのが見えた。ところどころ顔を出している建物はあるが、他は全部雪に埋もれて見えないのだ。その雪原に、所々開いた雲間から何本のもの光の柱が射し込んでおり、それらの建物や純白の雪原を照らし出していた。
今までこんな景色は見た事がない。岩男の想像を遥かに超える美しさと、圧倒的な迫力になにも考える事が出来ないくらい魅了された。隣にいる楓も同じような顔をしている。
それに、信じられないくらい静かだ。ここが大東京の中心街であり、一日中止む事のない喧騒の渦の中心部であるという意識は、すっかり吹き飛ばされてしまう。ビルや車の騒音や、人々の織りなす音は一切聞こえては来なくて、耳に入ってくるのは頬を揺らす僅かな風の音しか聞こえない。まるで、二人を残して世界が沈黙してしまったかのようだ。
異様なようで、必然とも感じてしまう幻想が、二人の目の前に光のカーテンを浴びた白絨毯として、見渡す限り広がっていた。
「すごい」
しばらく見とれていた岩男は、一言それだけ口にした。それ以上の表現語句を岩男は持ち得ていなかったし、あまりの事に思考回路は直結しか出来なかった。
「最高!」
楓はそれだけ言うと、二人が立っていた雪の丘を下り、さらに先まで歩きだした。誰も足を踏み入れていないまっさらな雪の上に、彼女は膝下まで足を踏み入れて、雪を掻きながら先に進んでいく。当然深く積もっていた雪なので、長く細い彼女の足はみるみる飲み込まれたが、彼女は気にもしない様子で先に先にと、這う様にして進んでいった。まるで、はしゃぐ犬みたいに無邪気だ。
岩男は「危ないよ!」と声をかけたが、彼女は聞く耳を持たない様子で、時折抜けるようなはしゃぎ声を上げながら、その場に立ちすくんだ岩男を置きっぱなしで、雪を楽しんでいた。岩男はとっさにそこまで出来なかったし、足元の見えないような状況を歩く気になんかなれなかったし、寒さのせいか徐々に冷静さを取り戻していた。白い雪の上を、楓の黒く長い髪の毛が舞っているのは十分にそそられるのだが、いつどこで大きな穴があって埋まってしまうかもしれないかと思うと、怖くて体が動かなかった。
「あなたもこっちに来なさいよ!」
彼女の声が聞こえたが、岩男はなかなか後を追えない。
何しろ、いくら雪が積もっているとは言え、ここはビルの屋上なのだ。何が起こるか知れたものではない。ここから眺めているだけで充分だろうに、彼女はこれ以上何をしたいというのだろうか。
「は、早く帰ろうよ。寒いし、そっちは危ないよ」
巌がそう言うと、彼女の朝日みたいな笑顔に雲が差し、すぐに雷交じりの嵐が吹き荒れた。
「え?聞こえない」
彼女の冷たい視線に岩男は体を固まらせて、違う恐怖を感じてこめかみに一筋の汗をたらした。
「来ないならいいわ。あなただけ帰ればいいじゃん」
そう言って楓は背を向けてしまったので、岩男は慌てて口を開くと、恐る恐る足を前に踏み出した。
「い、いやそう言う訳じゃなくて、その」
こんなチャンスめったにないと思いながら、岩男は恐怖も相まって決断出来なくてもじもじとしていた。
「来るの?来ないの?」
茜の高い声が雪原に響き、その背中からは目に見せそうな苛立ちが煙っていた。岩男は乾き切った喉を震わせた。
「行きます!」
岩男の声が響いた。すると、楓は万弁の笑みを浮かべて「早く、早く」と可愛らしく顔の近くで手招きしてきた。まるで、猫を呼ぶようである。
岩男は瞬間的に胸を掴まれた様な熱に席巻され、周りの雪が解けてしまいそうなほど体中を赤らめると、尻尾を振るかのごとく楓の後を付いて行った。雪の丘を下ると、しばらく平らな雪原が広がっているのだが、全てが雪で埋め尽くされて真っ白なので、ビルの切れ目と下の境目がはっきりと分からない。ただ、楓が先行しているので、岩男としてはその踏みならされた道を通ればいいので少し安心だった。だから、すぐに楓の隣までたどり着く事が出来た。岩男はかすかに漂う楓の香りを感じて、有頂天になりながら鼻息を荒げた。