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出社したら

 何が起こるのでしょうか?

次の日の朝、岩男は寒さで目が覚めた。

気がつくと、布団はすっかり自分から遠いところに行っており、自分もトランクスにTシャツ姿なのに気がついた。傍に誰かいたら、優しく布団もかけ直してくれようものだけど、一人暮らしの岩男にはとてもじゃないけど叶わぬ事だ。ベットの周りには、漫画本や雑誌、ゲームのコントローラーや食べかけの菓子(かし)(ぶくろ)など物が散乱しており、ほぼ足場がない状態だ。そして、玄関からベットに続く様に、昨日来ていたコートやらスーツの上着、そしてズボンが落ちていた。

脱ぎ散らかしたスーツがそのまま床に置かれているのを見て、大きく溜息をつき、誰か片付けてくれよと思いながら目を(こす)ると、自然な動きで目覚まし時計に視線を送った。

「まずい!!!」

岩男はそう叫ぶと、慌てて置き上がって風呂場に駆け込んだ。なんで目覚ましかけなかったんだ!と自分を罵倒(ばとう)しながら、今日は朝から会議がある事を思い浮かべて、慌てて身だしなみを整えだした。 

ぎりぎりの時間だ。むしろ、目が覚めた事が奇跡的と言える。

岩男は起ききらない頭をフル回転させると、ぼさぼさの頭を水で適当に整え、リステリンで口を(ゆす)ぐと、大急ぎでハンガーから新しいスーツを引っ張り出して着替えだした。床に転がった皺だらけのスーツでは出社できない。ネクタイは電車で結ぼう。飯も食う暇がない!

岩男はとりあえず身なりを整えると、玄関に転がっていたコートを手に取り、鞄を忘れそうになりながらも、玄関から飛び出して行った。

玄関を開けた途端、前を開けたコートの隙間に冷たい風が差し込んできて、頬を突き刺すような吹き下ろしに、岩男は体を震わせた。 

寒いはずだ。外には少し雪が舞っている。今年の初雪かもしれないが、今の岩男にそんな事をゆっくり考えている時間は無かった。脇目も振らず駆け出すと、白い息を吐き出しながら地下鉄の入口に駆け込んでいった。

急いだ甲斐もあり、ギリギリの時間で何とか出勤には間に合った。岩男の勤めている会社は新宿の高層ビルの一つで、近くにある都庁にも負けないほどの高さのその建物には、岩男と同じような会社員が数えきれないほどたくさんの出入りしている。この時間ほど異様な光景は無いかもしれないだろう。年齢もバラバラの奥の男女があらゆる方向から一つの建物に集約される様子は、もしかしたら見ていて面白いかもしれない。

まあ、岩男はそんな事興味もなかったし、今はそれどころではなかった。急ぎ足でエレベーターに駆け込みながら、一緒に乗ってきた同僚らと軽い挨拶をかわしながら、自分のフロアーに向かった。岩男は(ひげ)が濃い方じゃないからまだ助かっていたが、アルコールの方はまだ少し残っている気がした。公衆が気になって仕方が無くて、エレベーターの中で気がつかれないかとびくびくしていたが、周りの人間はそれほど気にもしていないように見れる。まあ、彼らも本心ではどう思っているか分からないけど、すぐ口にしてこないところを見ると、()()えずは大丈夫みたいだ。だから、岩男は自分のフロアーに降りると、走ってすっかり熱くなった体と息を整えて、何食わぬ顔をしながら自分の部者に向かった。

 着くとすぐに朝礼が始まる時間だったので、お茶も飲めないままそれに参加しなければならず、少しも落ち着かないままだった。ただ、運がいい事に課長の話はいつもより手短に終わった。まあ、会議があるからなのだが、岩男は会議の準備よりもまず、お茶を汲みに行って、給湯室で立ちながら一息ついた。

飲み過ぎたせいもあるが、まったくやる気が起きない。いつもの事ではあるけど、モチベーションを上げる方法が未だに掴めていない。情けない事だけど、最近は、週二日気力のある日があればいい方だ。それでも自分の仕事がこなせるのが、ここで働くメリットと言えた。世間では不況で厳しいご時世(じせい)とは言え、この会社の様に大きいと、そんな怠け社員でも抱えていけるゆとりがあるのだ。

こんな日は十五分はお茶を飲みながら、デスクの上で何も考えない時間を取りたいものだ。しかし、会議の時間は迫っていたので、岩男は無い力を振り絞ると、重い頭を揺らしながら自分のデスクに向かい、会議の資料を手に取った。

会議は全くつまらないけど、この三十五階の会議室からの眺めは素晴らしいものがある。新宿からの東京湾に至る景色が一望でき、そびえたつビル群の屋上の風景や、眼下に広がるに雑踏も、そこで蠢く虫の様に小さい自動車や人もなんとか確認できる。すぐ南に広がる代々木公園を見れば東京にも意外に緑があると分かるし、それと同時に本当に東京ってところは建物に埋め尽くされていて、天高く延びるガラス張りの大木が密集するジャングルであり、世界有数の都市だと言う事を再認識するだろう。

それに、空が澄み切っていて西の彼方に連なる山々にガスが掛かっていなければ、富士山の白い頭を見る事も出来るし、南に目を向ければ遠くのお台場の大きな観覧車や、目のいい人だったら横浜のランドマークだってうっすらと見る事が出来る。この平野に建物が全く無かったら、いったいどんな景色が広がるのだろうか。

岩男は会議に出席するたびにいつもそう思う。

この会議室のつくりからしたら、窓際は末席にあたる。そして、いつもその席は岩男の場所になっていた。やる気がないと自然とそうなってしまうのだろうか。誰もそんなこと気にもしない様子だし、今日だって相も変わらず岩男はその席に座り会議は始まった。

課長が司会となって、会議は淡々と進められていく。岩男は話を聞くだけの事が多いし、意見を求められることは無かったけど、それでも普段なら会議の話はちゃんと聞いていたし、どんなに綺麗な景色だとしても、窓の外に見とれたりなんかする事は無かった。それが、仕事だという認識はもちろんあるわけで、自分の受け持つ仕事にも影響する訳だから話ぐらいは真剣に耳を傾ける。

だけど、今日はどうしても外に目を奪われてしまった。

それは、雪が降っていたからである。

去年も今頃降っただろうか?いや、暖冬、暖冬と騒がれていたから、もう少し遅れていたかもしれない。年を越して、二月も半ばの頃だったろうか。岩男が雪国の生まれではないからかもしれないが、雪が降ると妙に嬉しく感じてしまう。そんな自分は子供っぽいのかもしれないけど、それは自然な衝動とも言えた。雪を研究する事だけに一生を費やす研究者もいる訳だし、非現実な世界を感じるのに雪ほどおあつらえ向きな気象現象は無いだろう。人類が幻想的と考える自然現象は、流星群や日食、オーロラだろうけど、それは、本当に特別な時期や場所に限定されてしまう。自分の目でリアルに見る事は難しいだろうし、ましてや触れる事なんで出来やしないのだ。その点、雪は身近な部類だろう。交通機関に多大な影響を及ぼすんだろうけど。

しかし、よく考えてみれば、こんな高い所から降る雪を眺めるなんてした事あまりないかもしれない。この会社には何年も務めているけど、今日みたいに目を奪われるほど眺めた事は記憶にないと思う。雪が降る日が数えるほどしかない事もあるけど、今日の雪は今まで見た事もないくらいキラキラと輝いていて、まるで、雪の結晶一つ一つがくっきりと見える。窓一面にダイアモンドダストが起きているかのように岩男には見えた。今が会議中であるという事も、時間が進んでいく事も忘れてしまいそうだ。

この会議室にいる皆も、こんな綺麗な雪が降っているのには気が付いているのだろうけど、会議に集中しているせいか窓の外に目を向ける人間は一人もいなかった。まったく気にも留めていないようだし、そもそも窓に目を向ける人間がいない。まあ、会議中なのだからあたり前とは言え、こんなにも美しい光景に目を向けないだなんてもったいないや、そんな事を思いながらも岩男は間が出来る度に、窓に目を向けた。

雪の粒が少し大きくなったろうか。さらさらとした粉雪になりだしており、それが少し灰色がかった空からハラリハラリと絶え間なく降り続いている。そのさまは、窓一枚隔てているせいかまるでスクリーンの世界を覗いているみたいで現実味がなかった。部屋に暖房が利いていて、寒さを感じないせいかもしれない。

これは本格的になってきた、岩男はそう感じて同僚達の横顔を窺ったが、彼らは会議に集中しているのか、全く反応を感じられない。彼らだって遠くから来ているものもいるし、これから取引先に行くものだっているだろうに、まったく意にも介していないようだ。

世間では、交通機関が乱れたり、転んでけがする人もいるのかもしれない。毎年そんなニュースが流れているし、季節の風物詩的な扱いだ。昔は喜ぶ子供達の映像館かがよく流れたけど、今はどうなのだろう。まあ、きっと喜びやしないのだろうけど。

まあ、今日は外に出る予定はないし、地下鉄通勤である自分は帰る時だけしか関係ないので、まるで他人事(ひとごと)ではあった。しかし、少し雪が降っただけで、機能がマヒしてしまうこの街は、(ほこり)(ちり)一つで動かなくなる精密機械そのものだ。そのうち、風が吹いただけで動かなくなるんじゃないか、そしたら滑稽(こっけい)なものだな。

そんな事を考えてにやけ顔の岩男は、なんとなく上司の視線を感じて、慌てて窓から視線を逸らした。しかし、上司は特に何かを言う事もなく、会議を滞りなく進行させているようだ。

岩男の頭の中には会議の内容が全て、正確に入ってはいなかったけど、ほかの社員ならいざ知らず、自分にとってそれは重要じゃないのは分かっていた。結局、今日の会議はそんな内容なのだ。自分の仕事内容に関わりがあるから出席している訳では無くて、何となく頭数に入っていて、なんとなく聞いていた方がいいだろう、と言う事で一緒にいるのだから、巌だって自然とそんな態度になってしまうし、上司や同僚だってそれは分かっている。しかし、はっきりとした事を表さないのが、まあ、日本的とは言える。岩男はそちらの方が気分が楽だし、きっと彼らだってそうだろう。

だから、また上の空の様子で窓の外に目を向けると、岩男は声にこそ出さなかったが、大げさに口を開いた。

なんだか、さっきより雪の粒が大きくなっているように感じられたのだ。粉雪から、細雪に代わっている。それに、雪が落ちる間隔と言うのだろうか、それが短くなっている時がするし、全体的な量も増えた様な気がする。遠くに目をやると、雑居ビルの屋上や、そのすこし先に見える住宅街の屋根とかがすっかり白く変わっているし、車が行き交う大通りもすっかりアスファルトが見えなくなっているみたいだ。

思ったよりも積もるのかもしれない。朝の天気予報なんて見ている暇なかったけど、昨日も一昨日もニュースで今日雪が降るなんて予報だしていなかったけどなぁ。まあ、天気予報は予測なのだから、必ずしも当たらないとは言え、最近の精度は目を見張るものがあるのに。誰も分からなかったのだろうか?気象庁や天気に関わる人間はごまんといるだろうに。

外の雪は別に吹雪く事もなく、ただ重力のまま落ちているようなのだけど、確実にその量が増えているようにみえる。牡丹(ぼたん)(ゆき)と言うのだろうか、見る見る内に一円玉サイズの雪の粒が十円玉サイズになっていた。


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