戦いの後に
女を守る男。男に守られる女。
そこに何があるのか?
愛か?憎しみか?それとも・・・。
岩男はそれを上から見下ろしながら、脂っこい肌をしていたから燃えるかと思ったけど、こんなにも燃えやすいだなんて思ってもみなかったな、と思いながら、しばらく彼らが燃えていく様子を眺めていた。自分で引き起こした事とは言え、まったく地獄絵図だ。
男達を燃やした炎は、彼らが火だるまになりながら走り出した為、すでに倒れていた仲間にも燃え移っていった。なので、広場はすっかり火に包まれ、煙りこそ出なかったが真っ赤な炎で、辺りは昼間の様に明るくなっている。さっき火に飲み込まれなかった粘土人も、燃え広がってしまった後に何人か飲み込まれてしまったようだ。
まだ玉座にいる楓の様子を窺うと、びっくりしているようだが、岩男の存在に気が付いているらしく、心配そうな目を向けていた。
岩男が手を振ると、彼女も手を振りかけたが、すぐに視線を下に向けた。岩男がその視線の先を目で追うと、もう一人のボディガードの男が、彼女に向かって駆けているのが目に入った。
上手に燃えさかる火をよけながら、ジグザグに前に進んでいる。岩男はいても立ってもいられず、柱の上から勢いよく飛びおりると、両手をついて地面に降り立った。その衝撃で体中がしびれ、体を覆っていたからもすっかり砕け落ち、梵の力も使い果たしたのか、隆々としていた筋肉もその張りが衰えて、すっかり普段の岩男の体に戻ってしまった。
しかし、岩男はそんなこと気にもしないで、全速力で楓の元に向かった。燃え盛る炎に体をあぶられて、うっすらと体毛が焦げる匂いがしても、噴き出す汗が目に入ってきても、岩男は足を動かすのを止めなかった。
考えるよりも早く、体が動いているのだ。
「彼女に近づくな!」
岩男はボディーガードが楓にたどり着く前に、二人の間に立ちはだかると、両手を広げてゆく手を遮った。さっきの筋肉質だった体は見る影もなく、ひょろりとしてきゃしゃな体で大の字を作て行くてを遮る岩男に、目の前にいる彼は立ち止り、悠々と岩男を見下ろしてきた。背が十五センチほどは違うだろうか、体のつくりも見た目は彼の方が頑丈そうである。それに、あろうことか岩男は真っ裸であり、股間にぶら下がっているものも、今やすっかり小さく縮こまってしまって、後ろにいる楓にも判別がつかないありさまだった。
しかし、岩男の顔つきだけは、しっかりと威勢を放っていた。
目の前にいる粘土ハンサム男を睨めつけながら口をくいしばっているのが、周りに燃え盛る炎がオレンジ色に照らし出しているので、まるで閻魔大王の様な迫力を放っている。
それに、圧倒されているのか、ボディーガードの男は構えこそすれ、勢いを殺され攻めあぐねている。
岩男はゆっくりと、息を整えると、顔だけ楓に向けた。
「大丈夫か?」
すると、楓は大きく首を縦に振り、岩男の傍に駆け寄ろうとした。
その時、その隙をついて、男が岩男に飛びかかってきた。岩男は楓の顔の変化でそれに気が付き、とっさに顔を彼に向けると、反射的に右ストレートを前に繰り出した。
渾身の一撃である。
粘土色の肌をしたハンサム男の顔は、そのパンチを受けて大きくひしゃげ、首をねじらすと、岩男の拳が顔にめり込んで、くの字型に折れ曲がった。そして、その場で一瞬動きを止めると、二・三歩ふらふらと足を動かしたかと思うと、その場に体が崩れ落ちた。
岩男は息を切らせながらも、殴った方の拳を押さえながら、男の崩れた体に目線を落とした。すると、男は顔がつぶれたままそれでも起き上がり、もう一度岩男に突進してきて、拳を突き立ててきた。
「うりゃ!」
岩男もそれに反応して、二つの拳は楓の目の前でぶつかりあった。楓の金切り声が響くと同時に、粘土人の拳は瞬く間に吹き飛び、辺りに飛び散ると、岩男の拳はそのまま粘土人の体を貫き、完全に沈黙させた。
岩男はドキドキと脈打つ心臓を鳴らしっぱなしにして、ただ、殴り切った格好のまま息を吐き出した。
俺がやったのか!生身の俺が!俺の実力だ!
岩男は自分の拳をしばらく見つめると、涙を流しそうになった。なぜか泣けてきたのだ。
しかし、涙は流さなかった。楓の存在に気がついたからだ。
岩男は周りを見渡し、もう粘土人達がいないことを確認すると、安心したかのように肩の力を抜いた。
皆、燃えてしまっている。
「岩男!」
楓がそう声をかけてきたので、岩男はゆっくりと振り返った。
まるで、ヒーローの気分である。
いや、今、彼女にとって自分は間違いなくヒーローではないか!
自分は迫りくる脅威を一掃させたのだから!
なので、岩男は余裕の笑みを浮かべながら、彼女が抱きついて来るのを待ち構えた。すると、彼女は勢いよく玉座から飛び降りると、炎をよけながら岩男の元に駆け寄ってきた。
その顔は喜びに満ちているように見えるし、興奮に突き動かされているようにも見える。
岩男は彼女は自分を祝福して、感謝してくると思い、一瞬冷静に心の高ぶりを抑えながらも、顔には万弁の笑みを誇らしく浮かべて、両手を広げて彼女を迎え入れた。
「楓!」
しかし、近づいてくると、彼女は岩男の前で一瞬立ち止まり、あからさまに嫌な顔をした。そして、頭を抱えたかと思うと、胸に手を当てて大きく息を吐いて、弱く握りしめた右手を軽く自分の頭に添えて、三回ほど叩くふりをした。自分を窘めている様である。
そんな胸をなでおろしている楓の様子に、岩男は一瞬虚をつかれてしまって、言葉を発する機会を奪われてしまった。なんだもう少しで抱きつけるところだったのに。
そんな岩男に、楓が自分の羽織っていたストールを投げてよこしてきたので、それを受け止めた。
「前くらい隠しなさいよ」
冷たくそう言ってくる楓に、岩男ははっとして自分の股間をそれで隠した。さっきからモロ出しの代物は、戦闘のおかげで見るも無残なありさまであったのだ。
体中を締め付けるほどの恥ずかしさと、言葉に出来ない悔しさとやるせなさが一緒に沸き起こってきたので、岩男はあたふたとしながら、ストールをスカートみたい腰に巻き付けた。
とんだヒーローである。
すっかり縮こまっている股間が、行き場のない感情を風に揺れるままにしていたので、岩男はその場にいるのも耐えられなくなった。
しかし、楓はそんな岩男を見ながら、さっき震えていた女と同一人物とは思えないような声を出して、片手で彼の腕を強く掴んだ。
「ちょっと来てよ!いいから。早く!」
楓はそう言って、目も合わせないで、頭を真っ白にさせている岩男を引っ張ると、ずかずかと火の間を縫って歩き出した。
「なんだよ、離せよ!」
力無くそう口にした岩男だったが、もうどうにでもなれという気持ちで、楓のなすがままにした。
一体、自分は何の為に戦ったのだろうか?
自分の為?楓の為?
どちらにしても・・・空しい。
さすがに、ここまでしたのに、彼女が全く褒めも、感謝もしてくれないだなんて思いもしなかった。なので、思い知らせてやろうとも思い浮かべたが、正直なところ、打ちひしがれすぎて、彼女に抵抗する気力も体力もないのだ。
そんな岩男に、彼女は目も合わせないで言葉をかけてきた。
「遅いわよ!」
なんて、女だ!労えよ!
岩男が大きく溜息をつくと、楓は大きな黒い瞳で岩男を睨みつけてきた。
「なんか言った?」
「何でもないよ。言ってない」
岩男はそうぶっきら棒に答えながら、ある種の違和感に陥った。
あれ、何かおかしいぞ!?
なんだろう?
岩男がそう考えながら頭をひねっていると、楓が不意に立ち止まった。
「どうした?」
岩男がそう言って、楓の前に視線を送ると、そこは広場の中心で、ぱっくりと割れた大きな水晶の前にやってきていた。楓はその水晶の傍に膝を折ってしゃがむと、その中に手を伸ばした。
いったい何がしたいんだ?
岩男がそう思って声を掛けようかとしたら、楓が小さく声を上げて、岩男に両手を差し出してきた。岩男はそれを覗き込んだ。
彼女の手には、二つの長方形のケースが握られていて、そのケースの中には、透明な二つの球体が入っているみたいだ。
彼女は黒い瞳を岩男に向けながら、白い歯を覗かせた。
「あの老人が言っていた通り、ここにあったわ」
岩男は彼女の言っている意味が分からなかったが、次に彼女が取った行動には驚かされた。
彼女は自分の瞳に指をあて、眼をまさぐったのだ。そして、コンタクトレンズを取り出した。
色の付いていない、まったく透明のコンタクトレンズを。
「それは・・」
岩男が思わずそう漏らすと、彼女はもう片方のコンタクトを取りだしながら口を開いた。
「路地裏でおばあさんの行商人にもらったのよ。違う世界が見れるからって。ただで」
その言葉に、岩男も唾を吐きだしながら、噴き出すように声を出した。
「お、俺も貰ったよ、コンタクト。新宿の路地裏で、あやしい爺さんに!ほら!」
岩男はそう言いながら自分のカラーコンタクトを取り外したが、驚く事に指先のコンタクトレンズは、緑色では無く透明になっていた。すっかり色が飛んでしまっている。
驚いて、楓の顔を見ると、大きく頷いている。
「貰った時は緑だったのに・・・」
「私のもよ」
「そんな、どうして・・・」
「それよりもこれを見てよ」
楓はそう言って、さっきのケースを岩男に差し出した。そこには、さっきはただの透明な球体だけしか見えなかったのに、今はそこに金色に輝くカラーコンタクトがはめられているのが分かった。
「これは?」
不思議そうな顔をする岩男に、楓はケースを開けながら答えた。
「あなたが来る前に、さっきの、あなたがつき落とした老人に話を聞いたの。老人達には理解できないものらしいけど、とにかく神聖視してたから。あやしいと思ったのよ」
楓がそう言って、前まではめていたコンタクトをそこらに放り投げ、新しい金色のコンタクトを指に取るのを見て、岩男は慌てて口を開いた。
「お、おい、まさか、それ付けるんじゃないだろな!」
岩男が口を開くよりも早く、彼女は頷くと、少しほほ笑みながら、一つを片目に付けた。そして、もう一つあるケースを岩男に渡した。同じような金色のカラーコンタクトが入っている。
「まさか、俺にも付けろって?」
楓は無言で頷いた。金色の片目が真っ直ぐに岩男を貫く。その眼で見られると弱いんだ。
それに、もう岩男に断る気力は無かった。