緑の目は水の中に!
もしかしてそこはパラダイスなのでは・・・。
岩男達はゆっくりとその炎の海の中に入っていったのだが、水面にたどり着くや否や、足の先からその青い火に包まれて靴が燃えだした。やがて、その炎はズボン、上着と燃え移り、気がつくと、岩男は下着も履いていない真っ裸になっていた。
ただ、痛くもかゆくもない。やけどもない。燃えたのは服だけだ。
不思議はそれだけでは無い。
水面に入ると、いつの間にか上下が逆になっており、自分は入っていると思っているのに、いつの間にか頭を水面に突き出しているのだ。前のめりで沈んでいると思っていたのに、進行方向とは逆に顔を出している。屈折しているみたいなのだ。
それに、そこは水の中ではなく、違う世界が広がっていた。
さっきいたところの重苦しい空気とはまるで違う、穏やかな空気が岩男を取り巻いたし、まず明るかった。顔を出した途端に柔らかな明かりが照らされて、思わず目をつぶってしまったほどだ。
しかし、目が慣れてくると、辺りの様子がよく分かった。
そこは、まるで原色の世界だ。明るさと生命力で溢れていて、強張った岩男の心を一気に解放させた。
水面を境にして、あまりにも違う世界が広がっているだなんて。
岩男は驚きに目を見張り、興奮して思わず叫びそうになった。
さっきまで死を感じていた自分が嘘のようだ。
しかし、一番驚いたのは女の様子である。
彼女は気がつくと、岩男にぴったり身を寄せて、まるで、長年連れ添っていた恋人のごとくしなだれかかっていたのだ。それに、さっきみたいに彼女の手に触れられていても、冷たくも痛くも感じない。それどころか、人肌程度の熱を放っていて、それが心地よく感じられた。岩男は裸なのである。しかも、完全に反応していた。
しかし、その女は表情一つ崩しもしなくて、岩男の傍にいるのが心地よいかのように目を閉じていた。一つ気になるのは、その女の肌の感触がまるっきり陶器の様であるという事だ。最高級の白磁で出来たマネキンみたいで、やや光沢があり、驚くほど滑らかなのだ。それに、ナイロンの様な質感の髪の毛は、艶々(つやつや)と輝きながら彼女の臍あたりまで伸びていた。
向こうの世界では、全体を舞妓さんの様にアップさせ、外側だけ内巻きにカールさせ肩口まで垂らした様な、見た事無いような不思議なヘアースタイルをしていたのに、いつの間にか滑らかなストレートヘアーになっている。まるで、乙女のようだ。
向うの世界の男達は粘土みたいであったし、この女は陶器の様な体である。それを、岩男には全く理解できなかったし、どうしてこんな人間が存在しているのか知る由もなかった。
ただ、岩男はそれを受け入れた。理由は簡単だ。あまりにも彼女が魅力的だったからだ。
岩男は自分の胸の中で、子猫のように丸まっている、陶器の女に囁いた。
「ここは?」
そう声を出すと、女はクスクスと笑いながら、さっきとは明らかに違う声色で答えてきた。
「ここは女の都よ。緑の(ー)眼」
女の都?緑の眼?いったい何の事だ?
それに、この女の、まるで、離れ離れになっていた恋人に会えて嬉しいような表情は何なのだろう。当たり前の様に自分に向けている。勘違いしてしまいそうだ。
岩男は慣れない状況に戸惑い、女の艶めかしい香りに溶けそうになりながら、だらしなく口を緩ませた。
「緑の目?」
岩男がそう口にすると、女は細く白い指を、彼の胸に悪戯っぽく突き立てた。
「あなたの事よ」
女はまたクスクスと笑うと、突き立てた指先で自分の髪の毛を弄んだ。そして、また岩男に甘えるように身を寄せてきた。心臓の鼓動が自分でも分かる。
緑の眼をした人って、・・・俺の事か?
なるほど、そう言えば、昨日から緑のカラーコンタクトをしたままではないか。今の今まで忘れていた。
あの爺さんが言っていた事は嘘ではなかった。本当に違う世界に来てしまったんだ!
自分の想像の枠を超えた出来事が、現実に起きてしまった。まさか、こんな事が起きるなんて。違う世界に行きたいと思っていたけど、本当に来てしまうなんて。なんて事だ。
岩男は状況をうっすらと感じて、額に汗を滲ませた。冷たい汗だ。
ただ、驚いてばかりもいられない。
そうと分かれば、少しは考える事も出来る。
岩男は若干の冷静さを取り戻すと、また女に話しかけた。
「さっきのところは?」
女は岩男の顔を覗き込みながら、当たり前の様に答えた。
「男の都」
男の都・・・。確かに男だらけだったけど、都って何なのだろう?女と男の都・・・。それがこの世界なのだろうか?
「君は?」
岩男は女の顔をまじまじと見た。
「女よ。緑の眼」
岩男は首を振った。
「いや、名前だよ。なんて言う名前なんだい?」
すると、女は裸になっている岩男の腹をゆっくりと指先でなぞりながら、甘えた様な声を出してきた。
「名前って何?それより、これを飲んで」
女はそう言って岩男から体を離すと、龍の鬣の中を探りだし、深い白い毛の中から、紫色の液体が入った小さなクリスタルの小瓶を出してきた。
何だ、それは?岩男は目を細めた。
すると、女は岩男の懐に入りながら、それをゆっくりと彼の鼻先で揺らした。岩男が女の表情を窺うと、彼女はうっとりした眼をその瓶に向けて、口元をゆるましている。大切なものでも見るかのようだ。岩男が同じようにその紫の瓶を見ると、いつの間にか女が潤んだ目で見つめていた。
「これは何だい?」
岩男が尋ねると、女は熱い息を吐き出した。
「小瓶よ」
岩男は首を振った。
「いや、中身の方だよ」
すると、女は艶めかしく体をよじらした。
「梵よ」
女はそう言って、岩男の瞳を覗いてきた。
岩男は視線を投げ返す。二人はしばらく見つめ合った。
女性とこんな距離で見つめ合うのは何年振りだろうか?
白磁の肌は滑らかで皺もない。この女も男の都では冷たくて、硬くて、近寄りがたい感じだったのに、今はまるで逆だ。むしろ、完全に自分に惚れており、子猫の様に身を寄せて甘えている。
女の世界に戻ったからだろうか?
「梵?」
岩男は、興奮を隠しきれない様子でそう口にすると、鼻を膨らませた。すると、女は生暖かな息を、岩男の胸に吹きかけてきた。
「そうよ、梵よ。緑の目」
女はそう言って、また紫色の小瓶を振った。それは、岩男の聞いた事のない飲み物であったが、警戒心は女の声にかき消され、好奇心と興奮が間欠泉のように噴出してくる。岩男のお粗末な代物はすっかり舞い上がっており、中身の事などどうでもよくなっていた。
女の瞳は、岩男の言葉を導き出す。
「これを飲めばいいのか?」
岩男がそう口にすると、女は身をよじらして、瞳を潤ませながら口を開いた。
「そうよ。美しいもの」
女は勿体ぶった手つきで、その紫の小瓶を岩男に渡してきた。彼女の手に触れると、すっかり熱を帯びている。
岩男の興奮は高まり、百円ライターほどの自分自身を為すがままにしながら、その小瓶を受け取ると、女がゆっくりと蓋を開けた。
甘い匂いが漂ってくる。
「飲んで」
女の促すような声に、岩男は視線を彼女に映した。相変わらず子猫の様に甘えた笑顔のまま、その悩ましげな体全体で飲むように促してくる。岩男は思わず目じりを下げて口元を緩ませながら、もう一度、紫色に光る液体を見つめた。確かに美しい液体だ。光に翳すと、紫の光が岩男の顔を照らした。
岩男は一つ息を呑んだ。
「さあ、飲んで。緑の眼」
女に促されて、岩男は覚悟を決めた。そして、眼を瞑って天を仰ぐと、一気に喉にその液体を流し込んだ。
喉を微かに刺激しながら、その液体は体に入り込み、胃の中でシュワシュワと弾けると、アッといく間に体中にしみわたった。
岩男は思わず息を吐き出しと、目尻に涙を滲ませながら女を見た。
すると、どうだろう!
体中が熱を帯びて来て、いたるところから力が漲ってきた。瞬く間に岩男の細い軟弱な体に隆々とした筋肉が盛り上がり、均整のとれた体つきになってきた。まるで雑誌のモデルの様である。
そして驚くべき事に、岩男のお粗末だった代物は、まるでびっくり映像のごとく天高くそそり立っていた。2リットルのペットボトルほどもあるだろうか。
岩男は驚愕の眼差しを女に向けたが、女の表情には驚きもなかったし、岩男の股間にも目を向けてもいない。ただ、岩男がその液体を飲んだのを確認すると、穏やかにほほ笑みながら岩男に背を向けた。そして、龍に何やら呟くと、女は前方を指差して
「見て」
と言って岩男にそちらを見るように促した。