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 ダメダメサラリーマン

 見えない雪が東京を埋め尽くしたら!超高層ビルからそんな雪原に飛び込んだなら!

 そして、新しい世界に行ってしまったなら!


 その新しい世界は誰も想像したことのない世界である事は間違いないでしょう!

 さぁ、見えない雪の向こうにあなたは何を見るのかな?

誰だって自分の生きる世界に不満を持っている。そんな余裕があるのはもちろん平和だからだ。そうじゃなきゃ、そんな生き方出来やしない。まあ、それはいい。

平和に満ち足りたら、次に目指すのは快楽だ。当然のことだろう。誰だってそうだ。

まあ、そうなれば、人は混沌から平和を勝ち取った事などついと忘れて、現状の不満をまき散らしながら、より刺激を求めて生きてしまう。そして、自分が今ここにいる現状を当たり前に感じて、強い刺激を求めて、また混沌の世界を作り上げ、漂ってしまう。そうやって、今まで世界は同じ事の繰り返しを続けて今の今まで生きてきた。

世界が同じ事を繰り返しているという事は、そこにいる人間が同じことを繰り返ししてきたという事だ。そして、その人間はそれを望んでいたからこそ、それを行ってきたのだろう。どの時代にも、どんな体制の時も、どんな思想のもとでも、人は同じ事を繰り返して、より刺激を求めて生きてきたのだ。

そして、ここにもそんな人間の一人がいる。

名前は下田(しもだ)岩男(いわお)と言う。

 彼の生活は単純だ。都会に暮らす普通の男である。

いや多少ひねくれ者で、孤独な男と言う事は言えた。だから、むしろ何もない男とも言えた。

そんな人間、都会にはごろごろしているから、取り立てて彼を特別視する事はないのだけど、始まる物語を止められるものはこの世にはいない。それは、彼が望んでいたのもあるけど、正直別に期待していた訳では無いと思う。ただ、不満があっただけだと思うのだが、そんな彼にでも、何かが起これば、やっぱり変化が起こる。

当然の成り行き。

しかし、偶然の出来事。

人が(つむ)ぐ物語ってそんなものだ。

だから、話は唐突に始まる。岩男の日常からだ。そこからしか始まらないだろう。

彼は、頭に並ぶのが「退屈な」「平凡の」「ありふれた」と言う、そんな日々を過ごしていると、こんなにも何もない日常があっていいのか?なんて、まるで平安貴族みたいな心情になってしまっていた。

朝来て、決まった仕事をこなし、社員食堂で代り映えしない昼食を取り、また仕事をして、誰も待っていないアパートに帰る毎日。経済危機の影響で仕事を求める人をニュースで見る度に、仕事があるだけましなんて口に出したりはするけど、本音では、何か起こらないかと期待している自分がいる。別に今の仕事に不満がある訳ではないけど、自分から求めてやっている仕事じゃない。仕事なんてそんなもんだろう。自分から求めて出来る仕事は、もっと出来のいい奴がかっさらっていき、残りはどうでもいいような仕事が振り分けられるわけだ。だから、誰も自分に期待もしてこないし、そんな責任のある仕事を任される事もない。会社の歯車として、小さな、小さな一角を当てはめられているだけだ。誰でも出来る仕事を、毎日厭()きもしないで何年も続けていれば、誰だってそんな心情になる。

岩男(いわお)はそんな事を思いながらデスクの上を整理していた。

まあ、そんな文句を並べても生活は出来ている訳だし、仕事をそつなくこなしておいて、プライベートを充実させられていたら、日々をこんなにも退屈に感じないのかもしれない。彼女がいたら、岩男だって頭の中は花ビラで埋め尽くされ、むしろ時間が惜しいくらいに感じるのは間違いないだろう。どこかに遊びに行ったり、二人で旅行に行ったり、記念日やイベントを待ち遠しく思ったりして、先にある楽しみを思いながら日々を過ごす事も出来るだろう。それがどんなに楽しい事かは、岩男にだって分かっていた。そして、結婚をして子供なんか出来たら、きっと自分は子煩悩な父親になるはずだ。そんな自分の姿は容易に想像で来たりする。結婚している人からは、もっとよく遊んでから考えても遅くはないと言われたりするけど、自分としてはもうそれを受け入れる順にはしっかり出来ているのだ。結婚願望はある。

しかし、社会人になってから五年、ただの一人の彼女も現れやしなかった。一人寂しく、仕事場と六畳一間のアパートの間を往復する日々。恋する事もなければ、声をかけられる事もなかった。

もちろん、職場に女性はいる。何しろ大きなビルなのだから、幅広い年齢層の女性がいる訳で、適齢期の未婚女性は数えきれないほどいる。適齢期を過ぎている人も範疇(はんちゅう)に含めれば、岩男にも数え切れないほどのチャンスが転がっているとは言えた。

だが、その機会は未だ訪れてはいない。

岩男にだって言い分はあろう。大学を卒業するまでは付き合っていた彼女がいた訳で、そりゃあ、岩男にとってその人が初めて付き合った人とは言え、男の能力に問題がある訳ではない。女性経験が豊富な男には遠く及ばないだろうけど、自分だってそれなりに普通の男だと思っているのだ。背は低いし、あまり明るい方ではないし、運動もそこそこだし、皆の中心となって何かをする事もないけど、それでも、街にいる他の男と比べてもそこまで劣っているとは思えない。だから、街で自分みたいな男が彼女を連れているところを見ると、何とも言えない複雑な心境になってしまう。

ただ、これは自分だけに問題があるとは、岩男は思っていなかった。大体、今自分の周りにいる女性は、全くそんな気を起こさせないのだ。小さい頃はそんな事なんて露とも感じなかったが、大学入学の為に上京してから女性と知り合い、話をしているうちに、あまりのギャップにとても付いていけなかった。周りの友達は様変わりしたかのように生き方を変えていったのにもかかわらず、岩男は取り残されたかのように置き去りのままであった。その時付き合っていた女の子は、一つ年下で同郷の優しい()だったが、岩男が就職をするのを機にすれ違ってしまい、彼女がまだ大学生だった事もあるが、年下の男と浮気されて別れてしまった。五年経った今でも悔しさに心がざわつく事がある。岩男の女性不信は、そこからも影を引きずっているのだろう。

ただ、岩男だって何時までもめそめそしているだけではないし、もう時間も経っているのだから、新しい恋をしたいという気には十分なっているのは間違いない。しかし、社会人として過ごして感じたのだが、職場で会う女性はどこかとっつきにくいオーラを放っていると言うか、仕事をしている女性とそれ以外の話をする切っ掛けがうまくとれないのだ。職場となると、どうも畏まってしまい、普段の自分とは感覚が違うからうまく自分を出せない。彼女達の(まと)う、見えないけど分厚い(よろい)を貫くほどの武器は、岩男は持ち合わせていないのだ。それに、悲しいかな、周りの男友達も同じような状況であり、それを伝手(つて)に女の子と知り合うと言う事も出来なかった。類は友を呼ぶのだろう。

まあ、そうは言っても、向こうから誘ってくるならまんざらでもないし、いつでもお相手願いますけど、なんて、自分勝手な感情でいつも誤魔化しているわけだ。自分に自信がある訳ではないけど、岩男にだってプライドだけは人一倍あるわけで、どうしても女性にへりくだれない自分がいる。背が低いのもその一因になっているかもしれない。男友達の前でなら自分をさらけ出せるのに、女性には心を開けないその原因は、今の女性の方にある、そして時代がそうさせたんだと持論をぶって、女が強くて、自分が受け入れられないのだと納得させている訳だ。

ただ、それを理解してくれた異性は、一人もいないのが現状と言えた。だから、岩男には彼女がいないのだ。

パートナーがいなくても人生を謳歌(おうか)している人は、男女とも数多くこの世界にいるのだろうけど、そんな人はたいてい打ち込む何かを持っているものだ。それは仕事かもしれないし、山登りだったり、一人旅だったり、慈善活動や宗教、またはペットに愛情を注ぐことかもしれない。しかし、岩男にはそのどれもが当てはまらなかった。まっさきに仕事は置いておいて、慈善活動なんて募金すら一度としてやったこと無かったし、宗教を思い浮かべてもあやしいとしか思えない。一人でいるくせにどこかに行こうだなんて面倒くさくて考えもつかないし、ましてや山になんて行こうとも思わない。一人暮らしで、面倒くさがり屋の岩男とペットの組み合わせなんて、混沌(こんとん)しか生み出さないだろう。岩男も嫌いではなかったが、それをよく理解していたので、動物を飼おうとは思わなかった。

だいたい、岩男には趣味と呼べるものがない。

趣味は何?と聞かれても即答出来るものがないのだ。歴史が好きだったり、カラオケが好きだったり、映画を見たりするのは好きだけど、それが趣味と呼べるものかと言うと疑問符が付いてしまう。それにのめり込むほど没頭している訳ではなく、なんとなく好きという程度なのだから。たまにギャンブルもするし、お酒だってよく飲む。最近はもっぱら一人酒だ。一人で行きつけのバーに行く。連れはいない。何と言っても、岩男には友達が少ない。だから仕方無く一人だ。同じ職場の人間と連れだって飲みに行っていたのは、勤め出してから二年目まで。最初は上司に連れていかれ付き合わされたが、岩男の乗りの悪さとかたくなに打ち解けない態度に、次第に誘いも少なくなった。同僚とも仕事以上の付き合いなどもった事無かったし、幼馴染はこっちには出てこないで田舎にいるし、大学の同級生は卒業して働き出してから大分疎遠になってしまった。

だから、いつも一人と言えばそうかもしれない。まあ、今となってはその方が楽であるし、それ以上の関係は(わずら)わしく思ってしまう。

だから、酒を飲みたい時は仕事帰りに、アパートと職場の中間地点にある小さなバーに行く。そのバーに行くと、もっぱら飲むのはバーボンだ。会社とは駅を挟んで反対側にある、歌舞伎町に近いそのバーには年の割に渋く見えて、寡黙だけどそつがないマスターがいた。彼は岩男より一回りは年が上なのだが、こだわりの人で店にはバーボンしか置いてない。ビールすら置いていないし、カクテルなんて作っているのを見た事もない。強い酒の店かと思うと、ラムやテキーラ、ブランデーやウヲッカなどの蒸留酒は置いていないし、ましてや焼酎もない。今ならどこの飲み屋でも一本は置いてある、流行りのワインを見かけた事もないし、ソフトドリンクもミネラルウォーターすら置いていない。

そこにあるのはウィスキー、それも、ほぼバーボンだ。

初めふらりと店の外観に惹かれては入った時に、マスターの後ろにずらりと並んだ様々な種類のバーボンに圧倒されて、もうすっかり魅了されてしまった。その雰囲気に(しび)れてしまったのだ。こだわりの逸品ばかりなので、来る度に驚きを与えられる。だから、岩男の様な何かを求めているのに、満たされないような男に、こんな店に来たいと思わせてしまう魅力があった。しかし、高い。じゃないとやっていけないのだろうけど、それでも岩男みたいな人間が毎日のように通ってしまうのだから、立派に成り立っているのだろう。 

客はやはり男が多くて、だいたい決まった人間しか来ない。それも、岩男と同じように喋らない連中だ。一人でカウンターに座りながら、グラスと琥珀色の液体を眺めて、それに心を通わせているのだ。酒と会話するのだから、他の人間は邪魔でしかないのだろう。だから、岩男がそこで知り合った人間なんて、一人もいやしなかった。もう二年も通っているが、顔を知っている人は何人もいるけど、軽く会釈する程度だ。他の店だったら、酒の力を借りて話なんかするだろうし、それを目的に足しげく通っている人もいるのだろうけど、この場所にはそんな男はいなくて、ただ、自分と向き合うために酒を飲みに来ている訳だ。もちろん、岩男もそのうちの一人である。誰とも会話しないまま、酒を(のど)に流す。

口をきくとしたらマスターくらいだろうか。その茶色い髪を伸ばした口髭の彼は、おべんちゃらも言わないし、客を持ち上げもしない。冗談も言わなければ、作り笑いすらしない。彼は彼の基軸で動いている訳で、客に合わせようとなんてまったくしない。

ただ、喋る時は対外(たいがい)相撲(すもう)の話をしてくる。趣味が変わっているとしか言いようがないが、淡々と力士の名前を口にして、抑揚(よくよう)も付けずに取り組みの感想を漏らしてくる。興味のある人は別だが、ほとんどの客はそれを右から左へ聞き流して、ただ酒を味わう。まあ、音楽がかかっていないこの店のBGMみたいなものだろうか。もちろん、岩男と話が合う訳ではないので、マスターともそれ以上の関係にはなりえ無かった。たまに来る相撲好きのおじさんなんかとは、会話をしているようだが、マニアック過ぎて何を言っているのかは理解できない。相撲で酒が飲める感覚になるには何が必要なのだろうか?酒の肴になりえるのか?まあ、酒飲みには何でもいいのだろうけど、岩男には到底理解できない事だ。確かめた事はないけど、他の常連だってそうだと思う。

店と客の相性なやはりあるもので、酒と相撲以外は興味がないであろうこのマスターの店に居着くのは、やはり変わった人間が多い。まず、女は皆無だ。一見の客ならいるが、常連にはいない。偏った思考は男の特性なのだろうか?まあ、岩男自身はそんなことあまり興味が無くて、ただ美味い酒が飲めればそれで構わないのだ。ただ、マスターが仕事をキッチリとこなしてくれて、自分の領域に不用意に踏み入れずに酒をついでくれれば、岩男に文句はなかった。

ここの氷は最高なのだ。それで十分。

その日も、岩男はその店に来ていた。風が強く寒い日で、珍しく初雪が降りそうに思えるほどだった。こんな心細くなりそうな日は、誰もいない冷たいアパートにまっすぐは帰れない。酒で体を温めなければ、とてもいられやしない。 


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