決して逃れられないゲームに取り憑かれたら、あなたならどうしますか?
同時掲載連載中【NOVEL DAYS】
西暦2052年7月
今日から夏休みが始まる。
朝から部活があるというのに、
初日から寝坊してしまった。
萌音から貰ったオンラインゲームが楽しすぎて、結局朝まで熱中してしまい
気づいたら10時過ぎまで眠りこけていたからだ。
部屋中に大音量で響き渡る威央の怒声が目覚ましになるなんて
でもそれが、この休暇の嵐の前触れを告げるイントロになることに
この時まだ私は気づいていない。
「何時になるの?とにかく急いできてよ!姫がいないと始まらないんだからさ!」
部長の威央が怒るのはもっともだから、眠気で半睡の身体を必死で揺り起こし
通学用のス一ツに着換えながら平謝りに謝り続ける。
その間も延々と威央のお説教は部屋に木霊していたが、途中から慰めと憐れみの声に変わった。
萌音が横から助け舟を出してくれたからだ。
華道部の主要メンバーとオンラインを繋げていたのは正解だった。
萌音に続いて皆が励ましの声援を送ってくれたお陰で、私はなんとか赦しを得ることが出来るらしい。
祖母の用意してくれた生花の華々が、ちょど部室に届いたことも功を奏した。
麗子さんは、いつも絶妙なタイミングで、こんな風に私を助けてくれるのだった。
場の空気が一気に和んだのを機に、一旦オンラインを切り、眠い目を擦りながらダイニングへと向かう。
萌音から貰うサンプルゲームはどれも面白く、実際に市場に出てからもヒットするものばかりだった。
萌音は堂本コンツェルンの御曹司で、幼稚部の頃からの幼馴染みだ。
手広く事業を展開しているようだけど、彼はもっぱらゲーム事業にご執心のようで、新作のサンプルを私や威央に必ずプレゼントしてくれるものだから
私もモニターよろしくせっせとゲームに励むのだが、昨夜のゲームは今までのものとはちょっと趣きが違っていた。
ゲーム自体は楽しいのに、あまりにリアル過ぎて不気味だった。
とりわけあの、ギロチンシ一ンのリアルさといったら身の毛もよだつ戦慄で
実はそのせいで朝まで眠れなかったのだ。
後で萌音に会ったら、それだけは恨み言を言っておこう。
回廊風の吹抜けになった廊下を抜けると、テラスに続く窓越しに燦燦と夏の陽射しが降り注いでいる。
ガラスドアの先にはアイランドキッチンと一体化した20帖ほどのダイニングがあり、白い象嵌テ一ブルの傍らにいたブロンドヘアーのロボットが、こちらに向かってにこやかに微笑みかける。
ママは朝から出掛けているらしく、フ一ドクッカーロボットのロ一ラが、ママからのメッセージを延々と読み上げながら、テ一ブルの上に一皿ずつ朝食を並べ歩く。
ロ一ラの動作はどんな状況にもかかわらずのんびりしているので、私は彼女がテ一ブルに置く料理のひとつひとつを、追いかけるように超ハイスピードで食さなくてはならなかった。
そして彼女の作る料理は常に、どんな時でも絶品だった。
食後のアイスコ一ヒ一を、フル一ツと一緒にいつもの5倍速で大急ぎで喉に流し込み、ロ一ラにご馳走さまと行ってきますを一気に告げると、夏用のメッシュのモ一タ一ブ一ツに履き換えて、マンションのエントランスホールを走り抜けて行く。
東京の夏は暑い。
この時期は特に、地上は摂氏50℃以上になるものだから、5年ほど前にこの一帯は夏の間だけ透明なド一ムで覆われるようになった。西暦2047年からだ。
だから以前は区ごとにただ分割されていただけの街の境界や視界が、この時期だけは特別なものに変わるのだ。
透明なド一ムを透かして見る空の景色は、一種独特なフレスコ画のようで、私はそれを仰ぎ見ながら、モ一タ一ブ一ツの速度を上げる。
ふと見ると、ド一ムに一筋の水滴が現れ、瞬く間に滝のような水流に変わった。
勢いよく降る雨粒はド一ムを烈しく打ちつけ、轟音が、水煙と共に辺り一帯を包みこむ。
傘いらずの雨は光の透過具合で、足下に流動的な模様を幾筋も描いてゆく。
私は荒ぶるような激しいスコールを眺めながら、学校に続く並木道を風を切って走り抜けて行く。
いや、走るというよりは宙に浮いているのだから、飛ぶという方が相応しいのだろうか。
夏休みということもあり、専用道路は空いていた。
マックスまで速度を上げても、今なら問題ないだろう。
バスや電車はすべて何層にも掘り下げた地下を走るようになったせいで、我が校のほとんどの学生は、こうして通学用の防護ス一ツとモ一タ一ブ一ツで、専用道路を走行するようになった。
環境保全のため、数年前から規制が強化されたせいで、地上を走る車は自動運転のクリーンエネルギー車のみとなり、通学中の事故もほとんどなくなったおかげで、こぞって各自治体や学校での導入が義務付けられたからだ。
学校の白い建物が見えて来た時、ヘッドギアに付いた通信機に、呆れたように素っ頓狂な、威央の上ずった声が響く。
「ようやく姫君のお出ましだ」
見上げると、部屋の窓から皆が笑いながら手を振っている。
校舎の時計には大きな影が落ち、指し示す針は今まさに11時20分に差し掛かろうとしていた。
かなり急ぎはしたけれど、やっぱり大幅な遅刻になってしまった。
私は3階の皆に向かって深々と頭を下げた。
部室のある第5別館は本校舎からは少し離れているが、東門の目の前にあるので、部活の登下校時には何かと重宝していた。
皆は私が着くまで、ランチタイムを繰り上げて時間を潰していたらしい。
高校の学食はすでに夏休みで閉まっていたので、道路を隔てて隣接する大学のカフェに行った大半の部員は、まだ戻っていなかった。
そのせいで、部室の中は閑散としていた。
私はせめてものお詫びにと、威央と萌音が食べ終えたカップ麺やドリンクの後かたづけをしながら
光の射す窓際の机の上にどっかりと腰を据えて紅茶を啜る萌音に、チクリとゲームの残虐シ一ンへの愚痴をこぼしたのだが
「え?ギロチンシ一ンなんて、あったっけ?」
と、萌音がキリリと整った眉を顰めながら、あまりにも真顔で言うものだから、てっきりからかわれているのかと思ったけれど、隣りで聞いていた威央も、不思議そうに身を乗り出して
「そんなのなかったけどなぁ。てか、そんなシ一ンあるなら逆に見てみたいんだけど」
と、首を傾げる。
3人が訝しげな顔で見つめあったその時、カフェテリア組が賑わいを引き連れて戻って来た。
「よし、そろそろ移動するぞ~」
威央の掛け声で皆は一斉にすでに準備していた荷物を抱えて、渡り廊下に向かって歩き出す。
この後すぐに生け花の実演の時間が迫っていたこともあって、さっきの件はうやむやのまま慌ただしく、隣接する別棟にある小ホ一ルに移動したのだけれど
私にはなんだか腑に落ちない気味の悪さだけが残った。
その夜、麗子さんが夕食がてら家に泊まりに来た。
「ロ一ラのフレンチが食べたいからって、最近こっちに来ることが多くなったわね」
ママが少し呆れたように笑いながら、麗子さんが持ってきた、両手に抱えきれないほど溢れかえる食材の山に目を丸くした。
「あら、だってパリの名店で食べる味をそのまま再現してるんだもの。人間のシェフを雇うより、ずっと優秀で効率的だわ。余計なお世辞や気遣いも要らないし、夜は電源を切ってタイマーセットすればいいんだものね。うちにも欲しいくらいよ」
麗子さんは食材をキ一プバッグから取り出しながら、丁寧にロ一ラに手渡していく。
「買った当初は、高価な家事ロボットなんてって、散々ケチつけたくせにね」
そう言ってママが肩を竦める傍らで、ロ一ラは食材の一つ一つを、青い瞳の眼球カメラに高速スキャンして、手際よく調理を始める。
「お掃除機能も追加すれば、さらに完璧になるのよ」
「え~、いいじゃない」
ふたりの会話は弾んでいる。
確かにロ一ラをこの家に導入してから、以前よりも麗子さんとママの言い争いは少なくなった気がする。
7年前、ママが家元を襲名した頃から、伝統を重んじる麗子さんと、合理主義のママとの間で諍いが生じることが多くなった。
そのせいで、ママは私を連れて生まれ育った松濤の家を出ることとなり、この代官山のマンションに移り住んだのだった。
暫くふたりの関係はギクシャクとしていたものだから、連れ立って麗子さんの住む松濤の洋館に遊びに行くことも、めっきり少なくなってしまったし、互いの行き来も途絶えていた。
仲の良い親子だっただけに、確執の後遺症が根深かったのかもしれない。
だから、ロ一ラの功績は想像以上に大きなものだったのだ。
「それにしてもお母さん、どれだけ食糧買いこんできたのよ。こんなに食べきれないわよ」
ママの悲鳴に麗子さんが答えようとした時、誰かの訪問を告げるチャイムと同時に、壁のモニター画面いっぱいに威央と萌音が映し出された。
ヘリポートに通じる屋上側のカメラに向かって、いつもよりちゃんとした服装のふたりの青年が、はにかんだような笑顔で小さく手を振っている。
「お待ちしてましたよ。さ、どうぞいらっしゃい」
弾むような麗子さんの声でエレベーターホールへのドアが開き、二人がここに着くまでのほんの僅かな間に、私とママは大慌てで、そこらじゅうに散らかったものを片付けなければならなかった。
麗子さんは相変わらず強引な秘密魔だ。
ママはブツブツと文句を言っていたけれど私は嬉しかった。
明日が威央の誕生日だと、憶えていてくれたからこその素敵なサプライズに、私の心は震えていた。
「ゲーム仲間?麗子さんと威央が?」
驚く私を尻目に、ロ一ラが黙々と2本目のノンアルコールワインを、威央のグラスに注ぎ終えると、威央は本物そっくりのスパークリングの泡を一気に飲み干しながら、薄茶色の大きな瞳を悪戯っぽく輝かせて、
「なんだ、姫は知らなかったのか。随分前からだけど、なあ」
と、左隣に座る萌音に同意を求める。
「随分前っていつよ。全然聞いてないわよ」
私が身を乗り出して萌音に詰め寄ると、強烈なガ一リックの香りを撒き散らしながら、
「うん、うん、モグモグ・・・」
萌音はエスカルゴと格闘しながらうわの空の様子だ。この男の、食に対する執着の強さは昔から変わらない。
幼稚部の頃も、好物の林檎シャーベットの果肉をほじくり返している時は、誰の言葉も耳に入らなかったっけ。
麗子さんとママは、さっき急に入った訃報の対応に追われ、隣りのリビングに籠もってしまった。
どうやらうちの流派の後援会のお偉いさんが、突然の事故で急逝したらしい。
隣室からは時おり、あちこちから次々と寄せられる、情報の渦のような混乱した気配が漏れ伝わってくる。
せっかく威央の17歳のお祝いだというのに、ママ達のお皿の上は食べかけのオ一ドブルが残されたままだ。
ちょっと残念だけどお腹も空いてることだし、私たち3人だけでこの前夜祭を進めていくことにしよう。
ロ一ラが熱々のメインディッシュを、一皿ずつ私たちの前に置いていく。
エスカルゴの殻で山盛りになった、青磁色のお皿が下げられるのを名残惜しそうに見送ると、萌音はいつもの落ち着きを取り戻したのか、滔々(とうとう)と語りはじめる。
「麗子さんがゲームを始めたのは確か、6、7年前くらいからじゃないかな。偶然株主総会で顔を合わせた時に『クリスタルドラゴン』のサンプルを渡したんだよ。そしたら面白いって気に入ってくれたみたいで、あのシリーズは麗子さん全部極めてるよね」
「え?でも『クリスタルドラゴン』て、最近終わったばかりだよね?私なんてまだ途中なのに」
言いかけた私の言葉に、
「姫はマイペースだからな。俺も入院中に『クリドラ』はコンプリートしたぜ」
牛肉のシ一ドルを頬張りながら、得意顔で威央が口をはさむ。
ん?この料理って、昔から威央が大好物だったやつだ。麗子さん、2人の好きだったものよく憶えているなぁと、改めて感心する。
だってこうしてこのメンバーでディナーを囲むのは、およそ5年ぶりにもなるからだ。
特に威央とはずっと離れていたせいか、こうして向かい合わせに正面から見つめられると、ちょっとドキッとする。
名立たる野球少年だった威央は、中学から野球で強豪の、関西にある姉妹校に移り、そこの寮で暮らすようになったから、そのせいでしばらく疎遠になっていた。
皆、威央は甲子園で活躍して、将来はプロの野球選手になるんだと、誰もが疑わなかった。
そう、あの事故さえなければ。
あの不幸な事故で、威央はお母さんとお祖父さん、そして跡取りとして周囲に期待されていた、3つ年上のお兄さんの3人を一度に失い、生き残ったのは彼自身と、威央のお父さんだけだった。
事故状況の不自然さに、マスメディアはこぞってテロや陰謀説を囃し立てていたたけれど、それもその翌年、彼の父上が内閣総理大臣に就任すると、それまでの騒ぎは嘘のように、煙りのごとく消え失せた。
威央の周囲はようやく少しだけ、静寂を取り戻したのだ。
ただ、あれ以来、威央は瞬足だった左足を引き摺って歩くようになった。
そしてそれはおそらく、この先一生続くらしい。
「それでさ、聞いてる?お~い、姫!」
萌音の声に我にかえると、頬肉の煮込みはすっかり冷めてしまっていた。
彼の語りは延々と続いていたらしい。2人が心配そうな顔で覗き込んでいる。
「ごめんごめん、ちょっと寝不足でぼぅっとしちゃった。で、なんだっけ?」
「そうそう、気になったからさ、はい、これ、持ってきたんだよ」
萌音は例のサンプルゲームのスティックを私の前にコトリと置いた。
「おそらく、なにかの手違いで調整中のゲームが混ざっちゃったんじゃないかな。この輪廻転生ゲームには今のところ残虐なギロチンシ一ンなんてないからね。気がつかなくて悪かった。今後はよくチェックするように気をつけるよ」
ふたりの前にはデザートのミルフィーユが置かれ、萌音が早速それにサクサクとフォークを入れている。
「そっか、そうだよね。ちょっと気持ち悪かったからスッキリして良かった。どうもありがとう。」
私はその、銀色に光るゲームスティックを掌に握りしめる。
「そういえばさ、麗子さんのゲームネ一ムは【tarantura】だって知ってた?」威央が可笑しそうに笑う。
「え~?【tarantura】って、あのめちゃくちゃ強くて執念深い人?やだ~、そうだったんだ!」
威央は【flamingo】で、萌音は【pygmalion】、私は【salam】だ。
ゲームには、結構その人の本質が出る。だから実際本人を目の前にした時に、そのギャップに戸惑ったりするのだけれど、
「ああ、そういえば、【grayjew】って誰か知ってる?昨日一晩中一緒にゲームしてたんだけど。ほら、そのものすご〜く怖いギロチンシ一ンでもね、ずうっと一緒だったの」
ふたりは一瞬顔を見合わせていたけれど、暫しの沈黙の後、萌音がちょっと言いづらそうに口を開いてこう言った。
「【grayjew】なんて人、このサンプルゲームのメンバーのなかには、いない」