8、聖域
ハプーンは、全力で一夫多妻疑惑を否定する。
「俺は病気だったから、結婚を諦めてたんだけど。元気になって、サンドラどのを紹介されて。まさかこの歳で結婚出来るとは、って」
「でもサンドラ姉様は死んでしまった」
「うん。ちゃんと弔いたい」
「ありがとう」
ふたりは、その場でしばし黙祷を捧げる。ウェービーは、急にサンドラの死を身近に感じた。涙が溢れてくる。あまりのことに心が麻痺して淡々と片付けた島民の死骸が、急に異様な風景として目の前に蘇る。
ウェービーの脳裏には、船の残骸と破片となった島民の姿が鮮烈に蘇る。それが凄惨な情景であったことを、漸く認識した。
「あ、あ、あ」
ウェービーは自分の中から、なにかとてつもなく暗く熱いものが込み上げてくるのを感じた。ハプーンが心配そうにウェービーを見る。躊躇いがちに伸びかける手がウェービーの肩に触れる間際。
「掃溜女神、モシホ島首長ハウス」
「ウェービーどの!」
虚しく伸びる手を拳に握り、ハプーンは真っ赤な眉を寄せてウェービーが消えた虚空を睨む。
「時間が必要か」
ハプーンは、寄り添うことの出来ないもどかしさを感じる。
ウェービーは、モシホ島の首長邸に舞い戻る。急ぎ普段着に着替えると、ものすごい勢いで掃除を始めた。気を落ち着かせる為である。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ウェービーは呟きながら床を掃く。
「勇者の力を持ちながら、守られているだけだった」
歯を食いしばって慟哭を呑み込む。
「勇者の力を持たない島民たちが皆、襲撃を迎え撃ったというのに」
勇者の力は、一族の者にしか現れない。代わりに島民は体術を極める。ウェービーは、モシホの体術であるモシホ拳も学ばなかった。島の民の修練を真似していると、危ないからと止められたのだ。
「悪用はしてない。でも、あたいが卑怯だったから、双柱の神がお怒りになったのでは?」
ウェービーは父の部屋の埃を払う。
「せめて神秘の壁、どこかに手掛かりはないかな」
ウェービーは出来ることを探す。父の部屋にはそれらしい記録はなかった。
その日からウェービーは、島じゅうをクズサーチで移動しながら神秘の壁を維持する秘密を求めた。最初は自分が死にたくないだけだった。生き延びる為に、島から逃げ出そうとした。だが、今は違う。
神秘の壁を維持して、島を守る。人影のなくなった村ではあるが、ここには想い出がある。ウェービーを大切に守ってくれた島民の遺品もある。
クズサーチは、跳んだ先に何があるかわからない。だから、見えている場所以外に使うのは危険だ。そこでウェービーは、何があっても対処できる力を求めた。
「毒使いの家、薬師の家、鍛冶屋の仕事場、板絵に画織物」
ウェービーは探索しながら、記憶を手繰ってモシホ拳も練習する。
ひと月ほど経った。
「だめだぁー。一応動けるようにはなってきたけど、島の隅々まで調べるには無防備すぎるよ」
ウェービーは首長の机に放り出してあった婚姻申込書に目を留める。
「ハプーン」
厳しい目つきの若者。逞しい部下たちには劣るが、病み上がりながらも必死に鍛錬を続ける世継ぎ。自分の立場と役割を知り、堅実に歩む男。
「連れて来られたらいいのに」
クズサーチは自分自身しか運べない。
「あーあ、私も頑張らないとなあ」
挫けそうになりながら部屋を出る。
村の外も少しずつ調べている。埃はどこにでもあるので、倒木や大岩、地面の裂け目などはクズサーチで軽々と越える。向こう側に見えている木や石を目標に定めるのだ。
そんな風にしてウェービーは、薮を分けて島の奥へと進む。
「あれ?こんなところに飾り綱がある」
ウェービーは、髪紐や祭の装飾に使う、糸を編んだ綱を見つけた。集落から離れた山の中である。油を取る実がなる木の幹に、青地に赤で模様が編み込まれた綱が巻き付けられていた。
よく見ると、模様は文字のようだった。
「こ、の、さ、き」
ウェービーは飾り綱に沿って幹を回りながら、文字を読んでゆく。
「うーん?」
ウェービーは首や腰を傾けて、幹を螺旋に下る飾り綱を追い、順番に文字を辿る。
「この先聖域」
ウェービーは息を呑む。
「首長以外の立ち入りを禁ず」
聖域の話は聞いたことがある。首長がさまざまな秘術を行うところだ。
「当たりじゃね?」
ウェービーは前を見る。
「島民の生き残り、私だけだよね?」
素朴な靴が山道を踏む。
「儀式は受けてないけど、首長代行くらいにはなれるよね」
洞窟が見えてきた。
「あれかな、聖域」
ウェービーは意を決して洞窟に入る。急に気温が下がる。
「やばくなったら、クズサーチがあるからね」
退路だけは、常に確保されている。
「あ、そうだ。自分で治せない大怪我したらハプーンの世話になろう 」
過保護に育ったので、なかなかに図々しい。しかも、ハプーンとは二度会っただけなのにすっかり信頼してしまっている。
洞窟の中はひんやりとしている。しばらく進むと、化け物の牙のような尖ったものが天井から幾つも下がっていた。化け物の涎のように、先端からはぴちゃぴちゃと水が滴っている。所々、床からも牙は伸びていた。
ただの鍾乳石である。だがウェービーは知らなかったので、恐ろしそうに震えながら避けてゆく。床の水溜まりに足を取られそうになりながら、緩やかに降りてゆく。
開けた場所に出た。天井には穴が開き、潮の匂いが降ってくる。穴の上には青空が見えた。その真下、鍾乳石の牙に囲まれて円く光が溜まる場所があった。
光は水のように揺れている。じっと見つめていると、温かな金色の光がゆらめいて虹色を帯びてきた。
「モシホの子よ」
光がウェービーに話しかけてくる。ウェービーは息を呑む。
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