15、月と夕焼け
ウェービーも、もう過保護なだけの首長の娘ではない。人の気持ちや立場も考え、民を率いて行かなければならない身の上だ。神の力を預かる勇者一族の長として。
「様子、見に行って差し上げてくださいませんか?」
「きっとウェービーどのが側にいるだけで、元気出して下さいますから」
「殿下は真面目だから、モシホの首長と縁組むことで肩に力が入っちゃってんですよ」
「ウェービーさんなら、いい具合に風通してくださるでしょ」
精鋭部隊員たちは、すっかり奥方としてウェービーを信頼している。ウェービーは面はゆく感じる。
「あたいが行っても邪魔じゃないかな」
「いや、行ったほうがいいですよ」
「ひとりになりたいのかもよ?」
「とりあえず行ってみたらいいじゃないですか」
やいのやいの言われて、ウェービーも様子を見に行く気になって来た。
「そうだねえ。嫌がられたら戻ればいいか」
ひとまず、遠くからでも様子を見てこよう。精鋭部隊員たちにまで心配されるとは、なにか重大な事件が起きたのかも知れないし。聞いても来ない、と苛立たれている可能性もある。
ウェービーが砂浜に降りると、海辺のオリーブにブランコが下がっているのが目に入る。ふたり座れる木の板がローブで枝に結びつけてあるだけの、簡単なブランコだ。
海に向かって佇む人がその綱を握り、物憂げに揺らしている。ゆったりと白いモリガスキーの民族衣装から、形が良く浅黒い腕が覗く。潮風にはためく白い裾からは、砂を払いもせずに立つ頼もしい脚が見え隠れしている。
その背中を見つけて、ウェービーは胸がいっぱいになってしまった。病に打ち勝ちただ前を向く頼もしい人が、寄る辺もない者のような侘しさを背負っている。
ただ様子を見るだけのつもりだったのに。気がつけばウェービーは、湾曲した坂道を走り降りていた。
足音に振り向いたハプーンは、不意打ちの想い人登場に目を見開く。恋しさが見せる幻影かと疑い、それでも跳ね回る心を浅ましいと自嘲した。
「ハプーン!」
ウェービーは堪えきれずに名前を呼んだ。切なげに自分の名を呼ぶ愛しい乙女は、豊かな銀の巻き毛を夕陽に染めて駆け降りてくる。ハプーンは、自らの赤毛がウェービーの銀髪に絡む錯覚を覚えた。
「ウェービーどの」
ウェービーが近づくにつれ、ハプーンの心は喜びで満たされる。ただ嬉しいという感情に埋め尽くされる。嫌われないように避けて来たのに。
ウェービーは、振り向いたハプーンの顔が綻ぶのを見た。大好きな人の赤い三つ編みは、振り向く拍子に跳ね上がり、空と海との夕陽に溶ける。浜辺を洗う穏やかな波にも夕陽は混ざり、波を縁取るフリルのような泡が銀色に沸き立つ。
綱を手放し駆け出す若者には、ただ砂を蹴る乙女しか見えなくなった。ハプーンは速度を上げて、坂道の下で愛しい人を胸に受け止めた。
ウェービーは何が起きたのかわからない。自分も夢中で駆け寄ったのに。ハプーンが駆けてきたのも、その腕にしっかりと抱きしめられていることも、まったく認識できていなかった。
ハプーンは、高まり溶け合うふたりの心臓に、もう思いを隠すことができなくなった。美しく艶やかな声が夕陽の浜風に乗って、海の彼方へ疾ってゆく。
「好きだ!ウェービー!大好きなんだ。君のことばかり考えている。君がいるからなんでも出来る。俺の妻になる君は、なんと気高く美しい。君が雄々しく頭を上げて見渡す海を、俺も共に超えて行きたい」
ウェービーは驚きに言葉を失った。
「ウェービー、ウェービー、俺の輝き、俺の命、俺の海、俺の宝、怪物の顎を逃れて俺の元へ、荒波を越えて訪れた花嫁さん、ほんとに、ほんとに、来てくれてありがとう!」
ハプーンは一息に言い切ると、もう一度ぎゅうっとウェービーを抱きしめた。ウェービーの胸の内に、じわじわと真心が染み込む。
「ウェービー、生涯、君を愛すると誓うよ」
ハプーンが美しい声で宣言した時には、ウェービーもついに状況を受け入れた。ウェービーは、真摯に愛を乞うハプーンに、真っ直ぐに答える。
「ハプーン、いつまでも共にいると誓う」
それからハプーンは、一旦腕を緩めて真っ直ぐにウェービーの碧を覗き込む。情熱がたぎる淡い緑は、歓びに輝く海の碧に沈んでいった。
ふたりの顔が近づいて、夕陽の赤と月の銀が潮風に促されて優しく戯れ合う。
「ウェービー」
苦しげな吐息は熱く、切ない息は婚約者の名前を呼んだ。
「ハプーン」
返す名前は愛しさに溶け、ふたりの唇はそっと温もりを分かち合う。
寄り添う二人の影は、月が出るまでブランコに揺られていた。
想いが重なり心が触れ合い、婚姻の日がやってきた。月影を映す銀の巻き毛は、モリガスキー風に緩く編まれて一面に真っ白なオレンジの花を飾る。
燃える夕陽の赤髪も、いつもの通り三つ編みにして、モシホ族に伝わる婚礼の飾り紐を付けている。銀と赤とで編まれた平紐は、ウェービーが心を込めて作ったものだ。
宴の間、始終緩んでいたふたりの顔は、新婚の間に引き取ってからますます綻ぶ。
「ウェービー、君が好きだよ」
「あたいも、ハプーン」
夕陽の海に誓った恋は、月の波間に攫われて久遠の愛を実らせた。呼び出されていた勇者も僅かながらモシホ島に戻ってきた。ふたりの間に生まれた子どもたちにも、皆さまざまな勇者能力が備わっていた。
中には、何の役に立つのか分からない、水底観察なる能力もあったのだが。それは、どんな水でも底まで見えるだけの能力だ。
しかし、その能力を持った子が他の兄弟を羨んで拗ねると、決まって父に言われるのだった。
「喜べ、我が子。その力がたった1人の大切な人と、巡り合わせてくれるのさ」
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完結です




