14、惹かれ合うふたり
柔らかな布を浅黒く骨張った指で握りしめ、ハプーンは返事を待つ。
「好き、っていうか、あたいそれしか出来ないからね」
他に答えようもない。ウェービーは掃除ばかりしてきたが、趣味とは言えない。ハプーンのように、別の目的があるのとも違う。
「いやいや!クズサーチは素晴らしい能力じゃないか」
ハプーンの瞳はきらきらと輝く。歌い上げるような美声に絶賛されて、ウェービーははにかんだ。ハプーンは婚約者の可憐な姿に胸を撃ち抜かれてしまう。
(だめだ!鎮まれ!忘れるんだ。ウェービーどのにはモシホの力を守る使命がある。俺の恋心なんかで邪魔しちゃいけない)
ハプーンは頓珍漢な決断をして、欄干磨きに集中した。話が終わったと思って、ウェービーは立ち去った。
ハプーンは日々気持ちが落ち着かず、前よりも頻繁に宮殿を磨いて回る。公務に支障はないのだが、ふと暇ができるとウェービーの姿が浮かぶ。
ある時は、はにかみ伏せる瞼を飾る銀色のまつ毛の幻に触れてみたくなる。またある時は、食器を操るしなやかな指先の想い出に口付けたくなる。そしてまた別の時には、幻想的に揺れる豊かな銀色の巻き毛の面影に、全身を埋めたくなってしまう。
細い身体で裏切り者の罪人と対峙した姿は、雄々しかった。神秘の海を宿す碧の瞳は、神々しくすらある。神との交流を何でもないことのように語る笑顔は、大らかで安らぐ。
そんな小さな思い出の数々が、ハプーンの心を波だたせ、また満たしてゆく。妻となる人への誇らしさと、気丈な瞳を自分だけに向けて欲しいという独占欲がせめぎ合う。
やりきれなくなり、ハプーンはまたピカピカの妖精となる。
ウェービーもまた、胸をざわつかせながら過ごしていた。温かな人々に囲まれて、つらい経験が癒されてゆく。未来へと血を繋ぐ使命も果たせるだろう。ウェービーを受け入れてくれたモリガスキー海洋王国には感謝している。
ハプーンはモリガスキーで敬愛を受けているようだ。どこに行っても噂を聞く。その度に嬉しく緩む頬を抑えて、独りになれる場所をもとめた。
その先々で、ハプーンが何かを磨いている。初めは掃除の話から、やがて家族や子供時代のこと、好きな食べ物や風景のこと、さまざまな話をした。どれも一言ふた言だけなのだが、気持ちの和らぐ一時だった。
ふたりは苦しい胸のうちを、誰にも打ち明けることが出来ないでいた。モリガスキー国王を始めとする周囲の人々は、彼らがそんな奇妙なすれ違いに胸を痛めていることなど全く知らなかった。
結婚式の前日、ハプーンは港を臨む砂浜に降りて夕陽を眺めていた。
最近のハプーンは、思わず溢す言葉の端々に、ウェービーへの想いが滲んでしまう。うわついた奴と思われないだろうか。嫌われてしまわないだろうか。そう思うと、とうとう磨くことさえ手につかなくなった。今は、ただ悄然として宮殿を逃れ出て来たのだ。
左の目尻に2つ並んだ黒子が、本当の涙のように切なさを添える。潮風に乱れる赤毛は、少しほつれて視界を遮る。サンサ湾は静かに晴れて、外海の怪物などいないかのようである。
夕焼けに染まる雲を、ウェービーは後宮の庭で見上げていた。もう何日も、あの色が頭巾からはみ出す姿を見ていない。透き通ったサンサの内海を映す淡い緑が、さっと逸らされる様子を思い出す。
避けられているのだろうか。恋などにうつつを抜かす愚かな奴と、がっかりされたかも知れない。しかし時おり交わる視線は、優しく艶めいてウェービーの胸に消えない炎を灯すのだ。
「真面目な奴だから。お世継ぎの責務を果たすための婚姻でも、あたいを褒めてくれたり、優しく気を遣ってくれたりするんだ。勘違いしたら恥かく」
だが、そういう誠実な所が好きだった。垂れ目の奥で厳しく光る瞳が、情を含んでゆらめく時は、そのまま浅黒い腕の中へ飛び込んでしまいたくなる。
「あれは、人間としての思いやり」
ウェービーは何度も言い聞かせる。
「あたいは、そのひたむきさに心を打たれただけ」
そう気持ちを否定するたびに、息ができないほど胸が締め付けられてしまう。
太鼓橋の欄干が目に入る。ピカピカ妖精を初めて見つけた場所だ。不思議なことに、モリガスキー王宮の誰ひとりとして、ピカピカ妖精の正体を知らない。それは密かな喜びだった。
「あたいとハプーンだけの、ちっちゃな秘密」
ウェービーの珊瑚のような唇に、ふわりと笑みが浮かぶ。
後宮を後にして、自室に戻ろうとする。モシホ島とは掃溜女神で簡単に行き来出来る。しかし、このモリガスキー王宮にも、ウェービー専用の部屋を用意してくれていた。婚姻後はまた新しい部屋に移るそうだ。
「おや、ウェービーどの」
「あ、こんにちは」
ストーミー捕縛で船旅に同行した精鋭部隊員たちと行き違う。
「ハプーン殿下なら、浜辺のほうへ降りてったみたいですよ」
「何だか最近、元気ないんですよ」
「それは心配だねえ。最近見かけないけど、忙しすぎるんじゃないかな」
避けられているかも知れない、とは言えない。婚姻を控えた身で、この国の王子に嫌われたとなれば、かなり厄介だ。
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続きます