8,屋台
フィリスが夕闇に紛れて、黒いローブを身につけたまま屋台が並ぶ公園におり立った。
宵闇に街灯の火が落ちる。各屋台には工夫を凝らしたランタンが飾られていた。それぞれの光が重なり合い、ゆらゆらと幻想的に空間を染め上げる。
(すごい、すごい、すごい)
しなりのいい若木から細く加工しやすい串をつくり、串細工に紙を張り付けた装飾をランタンにかぶせている店もある。オレンジの光が紙に透けると、光はより淡くなり、黄に近づいた色合いが、心をくすぐる。
金属製の鳴り物を飾る店もある。夜風に吹かれれば、しゃらんしゃらんと艶めいた音を鳴らし、まるで男を誘う遊女のように、兄さんこっちはいかかがと鳴いている。
(やばい! はまりそう)
肉の焼ける音はたまらない。大鍋で煮詰めている赤茶のどろっとしたスープも、白濁した野菜と魚介のスープも魅力的だ。蒸しあげた香りは甘く、燻された肉の油はこうばしい。
各店、食材や料理をどんと飾り、客を誘う。
大皿に大きな平たい魚を甘じょっぱくに詰めた逸品をまるで宣伝用とばかりに見せつけている店もある。その場で焼きあげた肉の油が風にのって飛んでくれば唾が垂れたまま、舌を出してはっはっと息を吐きながら、尻尾を振る犬に成り下がってしまいそうだった。
草食家畜の一足を丸焼きにして晒す店もある。冷えないように下から炙り、堂々と店先に吊るしている。それを薄く削ぎ落せば、表面の茶色から覗く薄紅の表面に肉汁が浮かびあがる。肉汁はランタンの光をきらりと跳ね返した。
大ぶりの貝殻にぷりっとした身をのせ、煽るように飲み込む男の喉が動く。目が離せず、フィリスは生唾を飲み込んだ。
どの店も、酒類も個性豊かに並べている。瓶を背後に並べる店や、酒樽を屋台の高いところに設置し、その栓を開けば、どくどくと琥珀色の泡立った液体をグラスに流しいれる店もある。ここまでくれば、すでに大道芸のような食の見世物だ。
今日しか来れないと分かっているフィリスは、左右をきょろきょろしながら、歩く。連れ立った人々が談笑する合間を縫うようにフィリスは進んだ。前からも後ろからも、どこから人がわいてきたのだと思うほどだった。
ほんのりと甘い香りが漂ってきた。果物のまろやかな香りだった。果実の香りに酒の芳香が混ざり合う。フィリスは誘われるように、一軒の屋台に顔をだした。
ガラスのピッチャーに赤々とした葡萄酒が入り、なかに色鮮やかな果実がつけられていた。さらにずらっと並ぶ四角い蓋つきのガラス瓶には、黄色い果実、紫の果実、オレンジの果実などがつけられている。
「いらっしゃい」
柔和な店主が、焦げ茶の髪を揺らして、愛想のよい笑顔で迎えてくれた。慣れないフィリスはぺこりと頭を下げた。
「おや、坊ちゃんか」
「黒いローブってことは、魔術師かい」
隣に立っている男二人連れに声をかけられた。
「若いわね」
「こういうところ、初めてなの」
向かいに立って飲んでいる女性二人連れからも声をかけられた。
「あっ……、はい」
フィリスは緊張のあまり、甲高い声で返事をしてしまう。男女ともにくすっと笑った。
「どうぞ、どうぞ、一言さん大歓迎ですよ」
そう言うと店主は立ち飲みの台にグラスをとんと置いた。
フィリスは誘われるように、グラスを両手で包んだ。
「まずは一杯どう?」
そう言われると、フィリスはピッチャーに入った多種類の果物をつけた赤々しい飲み物に視線が流れた。店主は見過ごさず、「これかい」と愛想よく、ピッチャーに手をかけた。
「そそぐよ」
「あっ、お願いします」
フィリスが両手で包んだグラスに店主がとくとくと赤い液体を注ぎ入れると、柑橘系の香り弾けた。
(良い香り)
グラスの縁に唇をつける。口に含み、喉へと流す。多種類の果糖が混ざりあったワインは、まろやかな舌触りだった。
(甘い! おっ、いしい~)
まなじりを下げたフィリスが顔をあげた。
「果物屋の道楽果実酒屋台にようこそ。魔術師さん」
店主がにっと笑う。
(果物屋? どうりで果物を使ったお酒が多いのね)
「ここはお酒ばかりならんでますが、つまみはあるんですか?」
「あるよ。果物も甘くないものもあるし、濃厚な味わいのもの、無味な歯触りを楽しむものもある。うちは果物屋の道楽店だからね」
「へえ、じゃあ、なにかおすすめの下さいよ」
「任せて」
店主は、片手にナイフ、もう片方の手に果実を握る。
手にすっぽりはまる黒い楕円の果実にナイフの刃先に入れた。果実をくるりと手で回せばナイフが果肉を切る。一周させたナイフを置き、両手で果実を握った店主が、軽くひねると果実は真っ二つに分かれた。
なかには茶色く丸い種があった。
種がくっついていない半分を作業台に置くと、再び店主はナイフを手にする。
「さあさ、見ておくれ。果実の種にナイフを刺す時は注意がいるんだよ」
くるくると手元で店主はナイフを回す。
「果物には妖精がとどまりやすい。特にこんな大きな果実の種は、妖精がお昼寝していることがある。だから、種を取る時は、ぐさっと刺してはいけないよ。
種の中に妖精がいたら、一緒に刺し殺してしまうからね。
もし妖精を刺し殺してしまったら、その殺してしまった地から半径何メートルも不毛の土地に変わってしまう。
だから、こういう種を取り出す時は、まずは叩く」
ナイフの白刃で、店主はぺちぺちと種を叩いた。
「もし妖精がいたら、これで起きる。やばいと思った妖精は種から逃げていく。そうして、やっと種をとりだせるってわけだ」
店主はにやっと笑い、ナイフの先を種に突き刺し、ひねると、ぽろんと種が実からきれいに分離した。種を刺したナイフと、実を持った両手を広げて、笑う。
ふっと店主の視線がフィリスの後ろにながれた。
「いらっしゃい。嬉しいねえ。今日は大繁盛だ。魔術師さんに、騎士さんもきてくれるなんて、ねっ」
(騎士?)
フィリスは店主の笑顔に流されて振り向く。目の前に騎士の衣装の胸元が映り、視線をあげれば、知った顔があった。
「サミュエル!」
サミュエルがフィリスの背後を覆うように立っている。小鳥が飛んできて、今度はフィリスの頭にぽんっと乗った。
「ひゃぁつ」
軽い感触でも、突然頭に触れればビックリする。酔いが回り始めていたフィリスは変な声をあげてしまった。
サミュエルはフィリスを一瞥し、店主に顔を向けた。
「店主、俺にも同じものを」
「おやおや、待ち合わせでしたか。お二人連れだったんですね。お酒は、すぐに用意しますよ」
(なんで、サミュエルがここに?)
突然現れたサミュエルに、フィリスは目を白黒させる。