7,あげる
「フィリス、その声……」
サミュエルに声と言われて、フィリスは緊張してしまう。慌てて、拳を作り、咳き込む真似をしてみせた。
「ごめん、ちょっと風邪の治りかけで……」
再びフィリスはあからさまに咳き込む。
(こんなことで誤魔化せるわけがないんだけど……)
気休めと分かっていても、演技せずにいられなかった。
サミュエルは何も言わない。
顎を引き、顔を下方に向け、目だけサミュエルに向けるフィリス。色素の薄い柔らかい強さを称えた端整なサミュエルの顔があった。
(私には縁のないきれいな顔ね)
そんな彼の手に、小鳥はゆったりと佇んでいる。
(ああ、もう。どうして、サミュエルのとこなんかに飛んでいくのよ)
内心悪態をついても、所詮道具がしたことに文句は言えない。結局それは、作った自分に返ってくるとフィリスも重々承知している。
「作りかけだから、返して……」
フィリスはおずおずと小鳥に手を伸ばした。
サミュエルは伸びてくる彼女の手に小鳥が移るように近づける。
小鳥が、ちょんと向きを変えた。フィリスの方を向き、小首をかしいだかと思うと、翼を広げた。
(あっ、飛ぶ)
フィリスが気づくより小鳥は素早く翼を上下に動かした。ぶわっと天井に向かって飛び立ってしまう。二人の手が触れ合いそうな距離で残される。
見つめていた小鳥の仕切りが失われ、二人の視線がおのずと絡む。
サミュエルが、目を丸くする。気まずいフィリスは誤魔化し笑いを浮かべていた。
今まですれ違っても、知らないふりをしてきたのに。そもそも接点がなくなって、挨拶をする間柄でもなくなっていたはずなのに、だ。
(きっ、気まずいよぉ。どうしよう)
フィリスが困っていると、小鳥はまたサミュエルの頭にのった。さすがのフィリスも仰天し、平静でいられない。
(なんで、そこにとまっちゃうのよ~)
サミュエルの目線が上を向く。視線が外れ、フィリスは解き放たれたように、鞄を強く抱え込んだ。一つの小鳥なんて、どうでもよくなってしまう。
「いいわ。それ、あげる!」
捨て台詞とともに、フィリスが向きを変えようとするなり、ぐいっとサミュエルに腕を掴まれた。
反動で鞄を抱えたまま、背面にすっ転ぶかとひやっとする。体に緊張感が走り、その背がどんと硬い壁にぶつかった。
(壁なんかなかったはず)
フィリスは目をぱちくりする。
「この小鳥はなんなんだ、フィリス」
上からサミュエルの声が降ってきた。恐る恐る顎をあげると、後頭部がすりっと硬いものに触れる。さらに目だけ上へ動かすと、彼の顔の真下にフィリスはいた。
フィリスの後頭部がすれたのは、サミュエルの胸だった。
(なんで、こうなってるの!)
フィリスはへたり込みそうになるのを必死に我慢する。彼の問いを脳内で反芻し、小声で言った。
「ただの土人形よ……」
土人形と聞けば、土埃ばかり散らかす茶色い人型の巨体をサミュエルは思い描く。あんな可愛らしい小鳥が同じものだとは、なかなかつながらなかった。
「小鳥がか?」
「ただの応用なの。実験中よ。実用化とか、まだまだなんだから……」
答えていくうちにフィリスの呼吸も整う。足裏は地面についている。足に力を入れ、フィリスは自分の力ですっくと立ちなおし、サミュエルから半歩距離をとった。彼の腕はフィリスの腕を離していない。
捕まれた腕を基点にフィリスは体を半回転させ、彼と向き合う。ちらっとつかむ腕を見て、彼の顔を見返した。
やっとサミュエルはフィリスから手を離した。
フィリスは嘆息してから、困り顔に笑みを浮かべる。
「この子鳥は、まだ実用化は遠いし、誰の役に立つか分からないの」
サミュエルがもう一度頭部に手を添えると小鳥は彼の手を好んでとまった。
「でも、それはあなたが好きなようね。ただの小鳥にしかならない小物だから、良かったもらって。魔力が切れたら、捨てても構わないわよ」
サミュエルの表情がありありと驚きの色に染まる。
「俺なんかに、いいのか」
(俺なんか?)
フィリスはためらうサミュエルを不思議に思う。
「いいわよ、あげるわ」
「……そっか」
サミュエルは呟き、口元をほころばせた。
フィリスはプライベートなスペースに戻ると両肘をついてため息を吐く。小箱を元にもどして、別の引き出しから書類を出した。
(今日は書類を片づけて、整理でもしてよっと)
実験報告のため用意している書類に目通しし、文面を精査する。期日までにサインを求められている書類も処理した。
サミュエルに性別がばれなかったフィリスは(積極的に誰とも関わらなければ、気づかれないんじゃない)と都合よく思い始めていた。
(こんな機会でなければ、整理なんてできないわ)
書類仕事を終えてから、引き出しを片づけようとフィリスは決めた。
周囲の同僚が、なにやらフィリスが引き出しをひっくり返しているぞと覗き見ていたが、彼女はかまいもせずに、黙々と作業を続けた。
幸い、作業に集中する彼女に声をかける同僚も折らず、時間はあっという間に夕方になった。
一日ばれなかったフィリスはご機嫌だ。
(すっごい。普段どれだけ男の子みたいだったかと思い知らされるのはちょっと切ないけど、差し引いても、ばれなかったんだから、良しとしよう)
調子にのるフィリスは良からぬことを考える。
フィリスが台所で料理をするときに、参考にしているもののひとつに屋台があった。メイン通りは右と左に馬車が通る道があり、その中心が細長い芝生が広がる公園になっている。夜になると、そこにどこからともなく屋台が並び、ランタンが灯り、人がひしめき合う酒場に変わるのだ。
なかなか珍しい料理も並ぶ。地方から出てきた人々が郷土料理を並べて、売り始めたのが発端であり、人気が出て小道に店を開業する者もいる。
平民から、貴族のお忍びまで、色々な人がごった返す自然発生する酒場は、都心の治安の良さと活気を物語る、もちろん観光名所にもなっていた。
他国の貴族や王族も、実は外遊や外交で来る際の楽しみにしているという噂まである。それはそうだろう。国中の郷土料理が個性豊かに並ぶのだ。周辺地域をまわらずとも、様々な味に出会える喜びは人の心を和ませる。
仕事終わりの大人の憩い。公演は昼間は子ども達が遊び、老人たちがくつろぎ、ボードゲームや柔軟運動に勤しみ、体を鍛える一団が走り込みをしているような健全な場が、夜の帳と共に一転する。
腐っても貴族の娘であったフィリスには、一人でふらふら夜道の屋台をのぞく度胸はなかった。
帰りの馬車から、公園の賑わいを見て、通り過ぎていたのだ。女一人で足を踏み入れるのも気が引けていた。魔術師の恰好をしていれば、職業もすぐばれる。
(でも、今日は男の子だし。ちょっとぐらい、いいんじゃないかしら)
そんな軽い気持ちで、一杯ひっかけて帰ることにして、フィリスはにんまりと笑ったのだった。
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