30,夜間演習①
フィリスとサミュエルは真夜中の草原に立つ。慣れないものものしい雰囲気に気後れし、委縮するフィリスは、サミュエルにぴたりと寄り添っていた。
春の恒例行事たる夜間演習のため、周囲は新人騎士と魔術師が立ち並んでいる。騎士と第一魔術師団の新人たちは、緊張した面持ちだ。
そんな新人を経験者がゆったりと取り囲む。この演習は経験者の監視下で新人が実戦の元、評価される。第二、第三魔術師団に所属する者は関係ないため、フィリスも内情は詳しく知らなかった。
(今年の新人が最初に試される演習とは聞いていたけど……。まさか、引っ張り出されるとは思わなかったわ)
フィリスが駆り出されたのも、彼女の力を評価したいという騎士と魔術師の意図がある。ローレンスからそう聞いていた。
魔術師に体形などは関係ないはずであっても、第一魔術師団の面々は男女ともに鍛えているようで、凛とした姿の人が多い。騎士は言わずもがな、男女ともにがっしりとしている。
(場違い感が半端ないわ)
けっして戦闘に向いていない体形のためか、小柄なフィリスは余計目立つ。彼女は心から自分がいかに研究職向きかと思い知る。
(お母様の七光りが良くでないこともあると言ったお兄様は正しいわ)
各々武器を持っている騎士と魔術師に対し、フィリスが持つのはポーチ一つ。戦闘色薄く、いたたまれなさに拍車をかける。
母のように期待されてしまうと分かっていたなら、目立つ魔術具は屋敷で実験していたと今更ながら、フィリスも後悔する。
責任者の副団長が宣誓し、魔術師と騎士達は森の中へと入っていく。足踏みしていたフィリスも、ポーチを握りしめ、集団の最後尾からサミュエルと共に森へと入った。
夜の闇は深い。樹上が空を遮り、星も月もその明かりを通さない。草木を踏みながら奥に進む。
「ごめんね、サミュエル」
「なにが?」
「まさかこんな場に駆り出されるとは思わなかったの。巻き込んじゃったみたいじゃない」
「あの場に副団長が出てくるとは思わなかったからな。仕方ないだろう」
二人は木々に手をかけ、前進する。早いサミュエルの背を追いかけるフィリスは息が切れそうだった。
「ねえ、私はなにをしたらいい?」
「昼はまだ大人しくとも、夜は魔獣が徘徊する林になる。魔獣と出くわしたら、狩る。敵わないとと思ったら逃げることだ」
「逃げ回っていても、かまわないかしら」
「かまわないよ」
「なにもしないで隠れていてもゆるされるかしら」
「監視もいるからな。建前だけでも、動いていた方がいいだろう」
「ねえ、サミュエル。私は山を徘徊できるほど体力はないわ。このままだと私、いざという時に疲れてダメだと思うの」
サミュエルが歩く速度を緩める。
疲れ始めていたフィリスはほっとする。息が切れ始めていた。
「まずは腰を下ろせる場所を捜したいわ」
少し進むと、大木が倒れていた。そこに二人並んで腰を置く。ほっと一息つき、フィリスは安堵した。
「いつも訓練している人とは一緒に動けないわ。私はやっぱり研究職が合っているのよ。お兄様の言う通りね。第一魔術団で活躍していたらしいお母様とは違うのよ」
フィリスはポーチを開いた。がさがさと中を探る。
「このポーチ、ありがとうね。手首にひっかけても、手で持っても丁度いいサイズで使いやすいわ」
サミュエルは照れくさそうにはにかむ。フィリスはポーチから緑の猿の小物を出した。
「猿を使うのか」
「うん」
フィリスはポーチを閉め、手に乗せた小物に魔力を通す。あっという間に、緑の猿が出てきて、二人が腰を預ける幹に飛び乗った。
「この子を監視に出すの。なにか異変があれば、教えてくれるわ」
フィリスは左瞼を閉じて、指先で撫でる。その指先で、猿の瞼に触れた。
「猿の視界と私の左目がつながったわ。右目を閉じれば、猿が見ている景色を覗けるの」
緑の猿が、近場の樹上へと駆けのぼっていく。
フィリスは、右の瞼を閉じて、片手を添えた。左目だけで前方を見ようとすると、景色が変わる。
生い茂る葉を揺らす枝があり、その枝を踏み台にして、どんどん飛び乗って移動する視界が広がる。本来の眼前は地面と木の幹ばかりであるはずが、まったく違う景色だ。フィリスは右目を抑えていた手を降ろした。
サミュエルを見上げて、フィリスは笑む。
「大丈夫、猿の視界がちゃんと見えたわ。少し休んでもいい? さぼっているように見られない?」
「体力が持たないんだろ。猿も動かしているんだ。気兼ねなく休めばいい」
「うん、ありがとう」
目を閉じて、ふっと息をつく。サミュエルがフィリスの方に体を寄せる。彼女の肩と彼の二の腕が触れあった。フィリスが見つめると、サミュエルの表情がどことなく柔らかい。触れ合ったところからじんわりとぬくもってきて、照れくさいフィリスはしゃべりだしてしまう。
「いつもなら、この時間は台所にいるのよ」
「こんな時間に?」
「おつまみを作っているの」
フィリスがへへっと笑うと、サミュエルの表情はさらに緩む。
「この前みたいな手料理を? なんのために」
「作るのが趣味なの。作っているといっつもお兄様がワインを片手にやってくるのよ」
「つまみ目当てで?」
「そう。食べて、おしゃべりするの」
くすりと笑む彼女に、サミュエルは手を伸ばす。指先でさわさわと彼女の頬を撫でた。彼女がくすぐったそうに、首をすぼめる。
「俺にも、作ってくれる?」
「サミュエルに? いいけど……。伯爵家に泊る予定でもあるの?」
訝る彼女に、彼は笑む。
「ないよ」
「……?」
彼女の表情がさらに不思議そうに変わる。
「フィリスがうちに来たら、同じように作ってくれる?」
「侯爵家の台所で? そんな機会あるかしら」
「あるよ。近いうちに」
「どうして?」
「フィリスは俺の婚約者になるから」
「えっ?」
寝耳に水という発言内容に、フィリスの目が点になる。
「聞いていないか。ローレンスから」
「聞いてない、聞いてないわ」
慌てて、サミュエルから体を引いたフィリスが、両手のひらを向けて振る。ポーチの鎖が肘に落ちた。
「じゃあ、この演習が終わったら告げる予定だろうな」
「なんで、なんで。なんで、サミュエルが先に知っているの?」
「今回、伯爵の代理でローレンスが俺の両親と縁談をすすめていたんだ。うちにもちょくちょく顔を出してた。知らなかったのか」
「知らない、全然知らなかったわ」
身を反り返えらせて驚く彼女にむけて、彼が片手を伸ばす。その手は幹をはい、彼女の背後にまわった。反り返る彼女の面を覗き込む。空いた片手で彼女の額を撫でた。
「フィリスが断らなければ、成立する」
前髪がゆれるかと思う距離で息がかかる。体に火がついたような熱さに彼女は視線を横に向ける。
「私が……。どうして……」
彼女の心音は高くなる。開いた手が彼の胸にふれており、そこかからも早い鼓動が伝わってくる。
「ローレンスはそういうやつだろ。フィリスが嫌がるなら、取り下げる。うちでも、そう言っている。俺は、フィリスが断らなければ、いいと、願っている」
(断る? 私が? ……まさか)




