3,無作法な趣味
仕事を終え、帰宅したフィリス。夕食や寝る用意も終え、くつろぐ時間をむかえる。
使用人たちも仕事を終え、住み込み用の部屋へと帰る時刻。人気が無くなり、伯爵家の屋敷はひっそりと静まり返る。
部屋から出たフィリスは、薄暗い廊下をにんまりと眺め、足音を立てずに歩き出した。
どんどんと奥に進む。使用人用の家事室や作業場があり、大きな台所が併設されている。フィリスは人気のない台所に立つと、入り口横にある壁面の棚に置いたランタンを手に取った。
魔力を注ぐとぱっと光る。
僅かな魔力を注げば蝋燭ぐらいの火が灯る魔術具は、暗がりでキッチンに入る際の事故が減ったと、使用人たちも喜んだ。魔力量が貧弱な平民の少数の魔力持ちでも、フィリスの魔術具は精度が高く、よく感応する。
もちろんそれなりの魔力を保有するフィリスが灯せば、室内全体を煌々と照らすことができる。
魔術具を作ることが仕事なら、フィリスの趣味は料理だ。共通することは、素材を厳選し、組み合わせて、目的の品を作り上げること。
フィリスは生来、このような創作が好きなのだ。
いつものように竈の下に薪を並べる。重ねられた薪の間に挟められたごわつく硬い紙をねじる。指先をこすり合わせ魔力で生み出した火を紙の先端に近づける。簡単に火がつき、すぐさま竈の薪の上にほおり投げた。
近くのふいごで風を二回送り、立ち上がる。踏んでも使えるしようとなっているため、フィリスは動きながら、時々、ふいごを踏んで風を送った。
宝箱のような箱が隅に置かれている。開くとひんやりとした冷気が頬にかかる。魔力で冷やされた氷嚢がおかれ、箱内部をきんきんに冷やしていた。鮮度を保ちたい生ものや冷やすと美味しい食べ物を入れていた。
フィリスが作成した氷嚢箱もまた、使用人たちが便利だと喜んでくれた逸品だ。たまにこうやって夜に台所を使わせてもらう時に、氷嚢に魔力を補充しておく。そうすれば、氷嚢の魔力切れもなく、食材も保存し続けられた。
フィリスは、バターとクリームチーズ、薄く削がれ酢でつけらえたサーモンを取り出した。先日残して置いた半分の玉ねぎも残っていた。
氷嚢箱の上部は棚になっており、そこには瓶や缶詰が並んでいる。
フィリスはラベルを確認する。半分だけ使われた黒いオリーブの小瓶を手に取った。棚の端には籠にパンと卵が入れられており、そこからベーグルと卵をそれぞれ二つほど拝借した。
フィリスが夜食を作ることは知られており、使用人たちは彼女の使いやすい食材を残すように片づけをすませている。
竈の前には、フライパンやフライ返しなど必要な道具がそろっていた。
小さなボウルに卵を割り溶く。バターを入れたフライパンをぐるっと回して竈におく。熱されたところで、卵を流しいれた。クリームチーズをスプーンですくってぽろぽろとこぼすと卵に触れじゅわっと溶けあう。
フライパンをとんとんと叩いて、くりんと卵をくるめた。フライパンを返して、クリームチーズ入りのオムレツをお皿に盛る。
玉ねぎはスライスし、水にさらす。魔法で氷を出し、水の中に陥れる。半分に裂いたベーグルにバターとクリームチーズを塗り、酢漬けの薄切りサーモンを数枚のせた。水につけたスライスした玉ねぎをふきんでしっかりと水気を切って乗せる。その上に荒く引いた胡椒を振りかけて、片割れのベーグルで蓋をした。ベーグルサンドは二つ。
残ったスライスした玉ねぎと刻んだ黒オリーブを混ぜ合わせる。サーモンの酢漬けにざっくりと混ぜた。そこに塩と胡椒を振りかけて、オリーブオイルを振りかける。もう一度、スプーンで底から混ぜあわせればできあがり。
(今日も、美味しそう)
フィリスは作るのも好きだが、食べることも好きだった。
楽しみの前はお片付け。フライパンなど使った道具は一通り洗っておく。くすぶっている竈の火は燃料が無くなれば消えるだろう。お皿さえ洗えばおわりと準備は万端。
さあ、楽しもうとした時だった。
「いい身分だなあ、フィリス」
呆れた声が飛んできた。
フィリスは扉の方を向く。
「ごきげんよう。お兄様」
「私の分もあると嬉しいな」
にこやかな笑顔をむける兄、抱えたワインの瓶を振って見せるローレンスが立っていた。壁に肘をつけ、頭部を支える。爽やかそうな笑顔でも、なかなか食えない性格だとフィリスもよく知っている。
同じ髪色と瞳の色なのに、親の良い性質は全部兄にもっていかれていた。
フィリスの兄は、名をローレンス・マーシャルと言う。王太子殿下の補佐官として働いており、近衛であるサミュエルとは王太子殿下を通して仕事上も繋がりを持つ。
作業台の上に並べた食事量は、最初から二人分あった。こういう時には必ず現れる兄の分もフィリスは用意していた。
フィリス自身もよく食べるので、二人分あっても困らない。
グラスを二つ取り出した兄は、お皿の傍に置き、すでに空いているワインを注ぐ。フィリスを待ちきれなかったのか、兄はすでにワインを半分もあけていた。
(のみすぎじゃないの)
そう思っても口にはしない。フィリスと兄ではそもそも酒量が違う。
兄へフォークを渡す。互いに好きなつまみを適当にフォークに刺したり、からめて口にする。卵を割るとチーズはすでに溶けきっており、半熟の卵とよく絡んだ。くちにいれると卵の濃厚な味が広がった。
「今日はマリアンヌ姫様のところに行ったんだろう」
「よく知ってるわね。お兄様」
「仕事柄、色々耳に入るんだよ。姫様のことだ、他愛ない依頼ばかりだろう」
「そうで、でも楽しいわよ。可愛らしい依頼だもの。今日だって飼い犬の首輪を作ってほしいよ」
「さすが姫様だな」
兄がふきだし、口元に拳を寄せた。
ふたり立ったまま、つまみをつつく。
「魔術具の平和利用なんだから、いいじゃない」
「まあ、そうだよな。武器や暗殺具、拘束具、契約や制約にかかわるものばかりだとイメージが悪くなる。相手への報復や罰も込みな道具だ」
「そうそう。マリアンヌ決め様のご依頼は、そういうのでないからいいのよ」
「でも、応用なんだろ。そういう道具のさ」
「まあね。今回は手錠の応用」
「手錠と首輪か、確かに似ている」
「でしょ。初めから新しいものなんて思いつかないわ」
フィリスもワインをちびちびとすすめる。
「しかし、伯爵家のご令嬢にしては、良い趣味だよな」
「こういう無作法って一回始めると、やめられないのよ」
「最もだ」
そう言って兄と妹はクスクスと笑った。
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