25,実験
フィリスとサミュエルは中庭のベンチで待ち合わせをしていた。フィリスはまだ誰もきていないベンチに腰掛け、手にポーチを持ちながら、膝に置いたバスケットを抱きかかえる。
春の陽気はあたたかく、さわさわと若葉の擦れる音も柔らかい。朝早く起きたフィリスが目を閉じると、体がふわりと揺すられ、意識がほわんと和らいだ。
(眠い……)
その時、膝に置いたバスケットが浮いた。フィリスが目を開けると、目の前をバスケットが浮いていく。その向こうにはサミュエルが立っていた。
フィリスがはにかむと、春の風が二人の間を抜けて行く。
彼女の髪が流れて、頬にかかる。彼の空いた手が伸びて、なびいた髪を人差し指にひっかけると彼女の耳へとかける。耳裏を彼の指腹が撫でると彼女の顎の骨から頬をするりと撫でた。
流れていく指先を彼女の視線が追いかける。
「いこう」
彼が踵を返す。
はっと耳と頬に手を寄せたフィリスは、ぽんと火がつくように首筋から額まで一気に朱に染めてていた。背を向けて歩き去っていく背を見つめていれば、振り向いた彼に「どうした」と言われて、我に返る。
「なんでもない」
立ち上がったフィリスはサミュエルを追いかけた。
バスケットを抱えたフィリスを馬にのせて、サミュエルは王宮裏にある草原へとやってきた。
馬から降りたフィリスはサミュエルにバスケットを預け、彼にもらったポーチを開く。中から、鷹の小物を取り出して手にのせた。魔力が注がれると、茶系の体躯が形成され、鋭い嘴と白い胸の羽毛が光沢を放つ。雄々しい鷲が形成されていく過程で、フィリスは空へと鷹を投げた。
空中でばさりと両の翼を広げれば、上下に羽を大きく動かし、鷹は上昇していった。
「高く飛んだわね」
「ずいぶん大きな鷹だな」
「立派になるようにつくったの。凛々しく、雄々しい鷹がいいでしょ」
「前のとはどこが違うんだ」
「前のは火を扱うのよ。私の魔力と呼応して火を纏うの。そのまま相手に攻撃を仕掛けることもできるわ。空を旋回している鷹は、炎の威力を無くしているのよ」
「よくできているな」
「でしょ、しばらくは飛んでいるわ。さあ次は、鳩を飛ばしてみましょう」
フィリスは、鳩の小物を指で十体つまみ上げた。収まった片手の中でもむと、かちゃかちゃとすれる。握っていたポーチの口をパチンと閉めて、手をひろげれば、滑り落ちたポーチの鎖は肘に引っかかった。自由になった手を蓋にして、もう片方の手を包み込む。柔らかい魔力を通せば、内側がむくむくと泡立ってきた。両手が押し広げられて、ぱんと手を広げると、十体の白い球体が浮く。それぞれから足と頭がぴょこんと出てくる。次いで翼が現れ、上下に動けば、一気に鳩は空へと向かって飛んでいった。
十羽はまとまって、左の空へと抜けて、青空へと溶け消える。
「すごいな。ちゃんとできたじゃないか」
「うん、あとは戻ってくれば上出来。魔力を通して、放った場所に回帰するようにつくっているの」
「そういう仕組みも作れるのか」
「うん、魔力を通した人を辿るのよ。そそぐ魔力量を調整すれば、数時間後には戻ってくるようにできるわ。今のも、数時間で戻るはずよ」
「鷹も、鳩も、戻ってくるまでここで待つのか?」
「そうね。だから、お昼作ってきたの。一緒に食べようね」
うまくいったことに高揚するフィリスが満面の笑みを浮かべる。サミュエルは、少し照れるような表情をみせて、「ああ」と口内で返答する。
「お昼まで時間があるから、色々作ってきた小物を試してみるわ」
フィリスはそう言うと、ひとりで草原の中央へと向かった。馬とバスケットの番をするサミュエルは、無邪気に喜ぶ彼女を微笑ましく見つめていたが、徐々に彼女が生み出す土人形の数が増えていくごとに、その表情はこわばっていった。
青い狼、緑の猿、白い鹿、黒い熊、赤い鷹。それぞれが魔力の特性と融合した、明らかに攻撃色の高い土人形である。
フィリスは、青い狼の背を撫で、頭に緑の猿を乗せ、白い鹿の首を叩き、赤い鷹を腕に乗せ、黒い熊に頬ずりした。
「フィリス!」
その様子にサミュエルが、馬とバスケットを置いて、ずんずんフィリスに近づく。
(あんな攻撃的な土人形を作り出して、上官の騎士に見られたら、目をつけられるだろう)
フィリスは何を言われているかわからないようできょとんとしている。サミュエルは焦りながら、すぐに片づけろと大声で叫びたい気持ちを抑えた。
彼女は研究職であり、騎士と共闘する戦闘系の第一魔術師団ではない。ローレンスと付き合いが長いサミュエルは彼女が並々ならない魔力を備えていることも伯爵家の事情も知っていた。
「その土人形はすぐに戻せ!」
フィリスの目には、目の前に迫るサミュエルが怒っているように見えた。かすかに怯えた表情を浮かべた彼女に彼は息つき、表情を緩める。
「頼む。その土人形を戻してくれ」
「うっ、うん」
サミュエルの態度に、『どうして』とフィリスは言えなかった。猿の額に、熊の額に手を添え、魔力を吸い上げれば、ころんと地面に小物が落ちる。しゃがんで拾うとポーチにしまう。
屈みこんだまま見上げたフィリスに、サミュエルは目一杯優し気な目を向ける。
「すまない。今はしまってくれ、フィリス」
苦渋の表情を浮かべるサミュエルは焦っていた。研究職を選ぶようにフィリスに仕向け、第一魔術師団から距離を取らせたがっていたローレンスが脳裏に浮かぶ。
「怒ってない?」
「怒ってないよ」
立ち上がりながら、不安げに眉を歪める彼女に彼は淡く笑んで答える。
フィリスは続いて、鹿の魔力を解いた。
「これでいいのよね」
「ああ」
騎士を志す数歳年上の男児と互角に渡り合うだけの魔術具を作り操った少女フィリス。互いに飽きることなく力をぶつけて遊んでいた頃は気づかない。それがどれだけの魔力と技術を要しているのか。当時は分からずとも、今のサミュエルはよく分かる。
ローレンスは大人しいフィリスが第一魔術師団に目をつけられることを危惧していた。それは、サミュエルの同行を王太子殿下が指示した背景にも通じている。
まごまごしながらも、フィリスは土人形を元の小物へと戻し、残った鷹と狼から魔力を吸い上げようとした時だった。
「その魔獣はなんだ!!」
突如、怒声が飛んできた。声がした木々が生い茂る森側へ二人はばっと顔を向ける。そこから数人の騎士が慌てて飛び出してきた。
(ここを使用しているのは、私たちだけじゃなかったの?)
見慣れない騎士数人が大股で堂々と近づいてくる。フィリスは驚き、サミュエルの背後に隠れた。




