20,実は……
馬車に乗り込み、草原を後にしたフィリスとローレンス。二人は王宮の政務関係の部署が集まる建物へ到着した。
降りるなり、その高い建物を見上げて、フィリスはぽかんと口をあけてしまう。
政務の中心地だけに、王宮内でも重厚感のある造りに、佇まいだけで威圧感を感じてしまった。
「ねえ、いいの。私が入っても……」
「かまわないよ。今日はそんなに人もいないし。魔術師でも出入りする人は沢山いるんだからね」
そうは言われても、フィリスは足踏みしてしまう。
「おいで、フィリス。お茶でも飲んでからお帰り」
「お兄様。私、少し出かけてから帰ろうと思っていますので……」
両手のひらを向けて、フィリスは首を振って遠慮したいと態度で示す。
「出かけるのか、どこに、誰と」
「先日、サミュエルと飲んだ店主が営む果物屋さんに寄ってみようと思っていて……。あっ、もちろん一人でですよ」
「おい、一人なのか……」
「はい」
フィリスのあどけない表情に、ローレンスは呆れた目を向ける。
「服装は……」
「このまま行きますよ。仕事帰りにちょっと寄るだけですもの」
「はっ!? フィリス、ここは領地とは違うんだぞ」
「はあ、それはそうですね……。でも、私、街に行く時、いつもこの格好ですよ」
「フィリス~。いったい何年ここに住んでるんだ」
「えーっと。十年ほど、なか」
フィリスとローレンスは互いのかみ合わない意識に、驚きと戸惑いの表情を浮かべ、見つめ合う。
「おお、ローレンスにフィリス嬢。先についていたか」
背後から、王太子殿下の声がして、兄妹は振り向く。先んじて戻っていたと思っていた、王太子殿下とサミュエルが歩いてきた。
「先に馬を走らせた私が後から来たのが不思議か? 厩で少々時間をつぶしてきただけだ。どうした、なにかあったか? 兄妹二人で面白い顔をしているぞ」
王太子殿下はくくっと笑う。
ローレンスはかいつまんでフィリスの予定を話した。だんだんと王太子殿下の笑いが止まらなくなり、フィリスはなんとも言えない表情で地面を見つめてしまう。
「……ったく、面白いなフィリス嬢は」
「すいません……」
答えようがなく顔を伏したまま、フィリスは謝っていた。
「サミュエル。フィリス嬢に付き添って、一緒に行ってやれ。お前も行った屋台なんだろう。フィリス嬢一人で行ってはおかしいだろ」
フィリスはばっと顔をあげた。
サミュエルは、変わりばえない表情で淡々飄々としているようにフィリスには見えた。
「後、店に寄る前に彼女にどこかでワンピースでも見繕ってあげなさい。なんなら、私のプレゼントでいいぞ。領収書を持ってきてくれれば支払おう」
「それぐらなら……」
「細かいことは、サミュエルの好きにするといいさ」
「良かったな、フィリス」
ローレンスが複雑な顔の妹に意味深い視線を向ける。
フィリスだけが当事者なのにぽつんと取り残される。
王太子殿下が歩きだし、通り過ぎる際にフィリスはぺこっと頭を下げた。
殿下は笑顔で進む。その背を追いローレンスが歩き出した。
フィリスの隣に立ったサミュエルに「行こうか」と声をかけられ、フィリスは顔をあげた。
(サミュエルと一緒!?)
事態を把握したフィリスは、今更ながら唖然とする。
王太子殿下とローレンスは歩きながら言葉を交わす。
「王太子殿下、グッジョブです」
「なにもしてないぞ。今日の功労者は彼女だ。労いの品を贈るのは当然だろう」
「それにしてもです。あの恰好のまま一人で行こうとしていたんですから」
「まさか」
「そのまさかです」
王太子殿下はふっと笑い。ローレンスは眉を歪めて、困り顔を浮かべる。
「フィリス嬢は何かと話題に出るから、どんな娘かと思えば、ああいう感じなのだな。会ってみれば、なるほどと思うよ」
「魔術師としての勉強ばかりで、友達もろくに作れませんでしたからね」
「魔術師としての腕は確かだな」
「母譲りですから」
「伯爵家の奥方は有名な魔術師だ。最近は、表には出なくなった方だが健在なのだな。娘への英才教育も抜かりないようだ」
「はい。魔力に関しては、すべて妹が受け継ぎました。私は父似なのです」
「髪も瞳もそっくりなのに、中身はちがうか。ローレンスは大丈夫か。母を妹にとられていたのだろう」
「殿下、私は幼子ではありませんよ。むしろ、母がフィリスを囲わざるえなかったのです」
「だろうな。彼女はそうとう魔力がある。あれは二人分抱えているようなものだな」
ローレンスが王太子殿下の前に進み出る。横の扉に手をかけて開き、王太子殿下は歩調を落とすことなく執務室へと入る。
ソファー席があり、まずはどかりとそこへ座った。
ローレンスは専属の執事のように部屋の片隅に置かれたティーセットを扱い始める。
「ローレンス。妹を巻き込むのは嫌か」
ローレンスの手が止まる。
「嫌だろうな。だが、あの技術力だ。いずれは巻き込まれるだろう」
ローレンスは再び手を動かし始めた。茶葉を入れたティーポットに、魔術具で保温されていたお湯を注ぐ。
「望む望まないに関わらず、私に知られたなら、どうなるか、分かるだろう」
「分かります……」
「それも含めて、今日、連れてきたのだな」
「はい」
「どうせ、ローレンスからじゃなくても、繋がりはできたと思うが。少し急いだのだろう」
ローレンスは答えない。茶葉が躍り、落ちる様を見入っていた。
「母君もフィリスを研究職で終わらせたかったのだろうな」
「フィリスが巻き込まれるなら、なるべく彼女にとって安全な場所に近づけたかったのです。あの子は母ではない。違う人間です」
「そうだな。だが、そう見ない者もいる。それを懸念しているのだな」
「ええ。ですが、フィリスの技術を見れば、彼女を最も囲いたくなるのは王太子殿下です」
「よく分かっているな」
「分かっていますとも。どれほどの付き合いだと思っているのですか」
茶葉が落ち切り、カップに茶を注ぎ入れる。ソーサーに置き、ローレンスは王太子殿下へと運ぶ。
「フィリス嬢を私に近づけた方が、彼女を守ることができると考えたか」
「殿下から見たら、喉から手が出るほど、欲しかった才能ではないですか」
「その通りだ」
口元だけ笑う王太子殿下の目は笑っていなかった。
「その代わり、妹を守ってほしい。そう言いたいのだな」
ローレンスは深く頭を下げた。王太子殿下は、ローレンスに一緒に紅茶を飲もうと誘う。自身の分をそそぎ入れたカップを持って、促されるままにローレンスもソファーに座った。
「話は変わるが、噂の婚約者同士は、本当に進展しないな」
「その件については……、まったく頭が痛い限りですよ」
「二人とも申し分ないなら、さっさとすすめてあげればいいではないか」
紅茶のカップを手にしたローレンスは饒舌になる。
「サミュエルはフィリスに関してはてんで奥手すぎて話しにならないんですよ。フィリスはフィリスで、魔術オタクの朴念仁なので、無理にすすめても、当人たちだけ仮面夫婦と勘違いするでしょうね」
「なんだ、それは」
「サミュエルは奥手の上に遠慮し、遠慮するからフィリスが嫌われていると思う。勘違いしたフィリスは余計に仕事へ没頭し、さらに余計なことを考えて、自分は邪魔だとでも勘違いして避け続ける。追いかけっこどころか、互いに逃げ続けて終わりますから、間違いなく!
せててもう少し、不甲斐ないサミュエルからアプローチの兆しが見えてからと両家は黙認し放置しているのです。内々の、内々には婚約者として両家は認めてますけどね、本人たちだけが無自覚なのですよ」
そこで、ローレンスは深くため息を吐いた。
「今回、屋台には一緒に行ったのだろ。小鳥のプレゼントももらっているなら、やっと動き出せるだろう」
「そうです。本当に、やっと。やっと、進展したんですよ!!」




