18,狩り当日
王宮の一部は山と接触し、なだらかな斜面から続く林に隣接する草原が広がる。そこは山から下る獣を狩り、馬を走らせ、時には騎士たちの訓練や競技の場として利用されていた。
山間に住む鹿、草原では穴を掘る兎、高い草の間から兎を狙う狐が顔出すこともあるものの、獣との出会いは偶然である。
王太子殿下は馬を駆るだけで帰ることも少なくない。どこまでも自然には逆らわない殿下はそれでよしとしていた。
本心では残念がっていると勘づいているローレンスは、フィリスの魔術具は慰めになると判断した。
断りなく土人形を紛らわせると気分を害す性分の殿下である。事前に伺うと、真新しい試みを面白がり、二つ返事で了承した。
狩りの当日。
フィリスは土人形を仕掛けるため、早朝の馬車に揺られローレンスと先んじて草原にやってきた。王太子殿下とサミュエルはまだ来ていない。
フィリスは、眠くてあくびを繰り返す。片やローレンスは清々しい顔をしている。
(いったいお兄様はいつ寝ているのかしら)
どんな騎士よりも魔術師よりも、超人的に見えるローレンスの生活がフィリスには不可思議だ。
広い草地と彼方の木々は静かである。獣は隠れひっそりとしていた。
「あまり獣の気配はないのね」
「ここは狩り場であると獣も分かっている。警戒しているんだよ」
「そっか。獣はみんな隠れちゃうのね」
「そう。春先には騎士たちが山を散策することもあるから、この時期はとくに隠れているよ」
「そんな騎士のイベントがあるの」
「古くから続く新米の訓練があるんだよ」
ローレンスの説明を聞きながら、フィリスは手元の小箱を兄に渡した。
兄に持ってもらった小箱の蓋を開く。まずは一回り大きい鳥の小物をポケットに入れた。小箱に転がる小物から、狐三匹と雉三羽、ついでに作った兎二羽を模った小物をつまみ上げて片手に乗せる。
「これだけあれば十分よね」
「すごいな、短期間でこれだけ作れるのか」
「うん。土いじりは昔からやっているでしょ」
「ちがいない」
フィリスのおどけた自虐に、ローレンスは笑う。
両手で小物を包み込む。ふうっと息を吹きかけて、魔力を通す。手のなかで魔力が広がり、指と指の間から青白い光が漏れる。
合わせた手からキラキラと魔力の欠片が零れ落ちて、小ぶりな真珠のような雫も零れ落ちた。雫はくるりと回転し、耳が立ち、足が生え、地におり立った。前足をきれいにそろえ、両の後ろ脚で立つ二羽の白い兎に変化した。
フィリスの指間から漏れる光が四方に散って空中でまとまると、三羽の雉が出現し、空を旋回する。両手を広げると、中央に魔力の玉が浮く。魔力の玉から三方に光が飛び地に叩きつけられる。光が消えると三匹の狐が現れた。
ローレンスは小箱の蓋を閉めた。
「上出来だ。ありがとう、フィリス」
「王太子殿下がいらっしゃる前に野に放った方が良いわよね」
「もちろん」
フィリスが指笛を吹く。土人形たちは野原へと駆けていき、それぞれ草間に隠れた。見届け、ほっとしたフィリスがローレンスと向き合う。
「お兄様は狩りはされないの」
「しないよ」
「昔はされていたでしょう」
「嗜む程度にはね。基本的に向かないし、なにより時世が悪いしね」
(時世が悪い?)
フィリスが兄の言葉に引っかかったところで、蹄の音が響いてくる。
王太子殿下とサミュエルが馬を駆ってやってきた。二人は馬から降りると、まっすぐにフィリスとローレンスの元へと闊歩してくる。
(殿下って大きな人だったんだ。身長も三人のなかで一番高いわ)
フィリスは金髪碧眼の男性を見上げた。大柄で、サミュエルよりもずっとがっしりとしている。
赤毛の小柄の兄と、細身のサミュエルは、このがっしりとした強そうな王太子殿下と学園時代からの馴染である。二人より一歳年上で、学園の生徒会で親睦を深めたとローレンスからフィリスも聞いている。
編入した時すでに学園を卒業していた王太子殿下とフィリスは面識がなかった。フィリスが深く挨拶すると、王太子殿下は笑った。
「初めて会うが、初めて会う気がしないな。色んな方面から噂を聞く娘だ」
「噂とは兄からでしょうか」
「ああ、ローレンスからもきくぞ。最近の一番は、マリアンヌからだ」
「まあ……」
フィリスは目も口も丸くなる。そんなところでマリアンヌ姫の名が出るとは思わなかった。
「マリアンヌは、梟をとても喜んでいた。私の魔力を注いで可愛がっているよ。今日はフィリス嬢の作品と私もきき、楽しみにしていたよ」
「ありがとうございます。お役に立ち、魔術師冥利につきます」
「すでに野に放っているのか」
「さようでございます」
「そうか、どれほどのものか楽しみだな。なあ、サミュエル」
控えていたサミュエルが静かに一礼した。
狩りでは魔力を使わない。それが暗黙のルールだった。魔力は戦時下では人を退けるために使われても、元は魔獣や死霊、悪魔という魔に属する物を払うための力である。動物と魔物は明確に違う。故に、獣を狩る場合は魔力を使うのはふさわしくないとされていた。
サミュエルと王太子殿下は広い敷地を馬で走り弓を射る。兎も狐も上手に隠れながら、殿下の様子を伺い、逃げ回る。
まるで本物の動物と違わない動きだった。
「土人形だと言われないと分からないぐらいだね」
「うん、あそこまでうまく動くとは思わなかったわ」
「ところで、フィリス。さっき、小箱から先に出したのはなんだい」
「あれ? あれも同じよ」
「兎でも狐でもないものかな」
目ざといローレンスには隠しようがない。
「そうね。あれは、鷹」
「鷹?」
「狩りなら、鷹を操ってみたらどうかと思ったのよ」
「それはなかなかカッコいいね。見せてって言ったら、見せてくれる」
「かまわないわ」
フィリスはポケットからさっきより一回り大きな鷹の小物を取り出した。握った鷹の小物を指先で回し、反対の手の甲に乗せる。フラフラとよろめいて、ピタリと止まる。魔力の煙が鷹の置物の足元から立ち上ると、それは火を噴いた。
「ふぃ……フィリス! これは、これは、なんだ!!」
フィリスの手の甲で炎が立ち上せる。炎のなかから大きな翼をはためかせる鷹が誕生する。精悍な顔立ちの鷹は威風堂々と胸を逸らせた。
「お兄様、どうされました」
「おい、でかいだろ。本物の鷹より一回りはでかいだろ!」
「はい、炎を纏う鷹ですので、狙った獲物に爪を引っかけましたら、そこから熱してとどめをさせます」
ローレンスはこめかみに指を押し当て、(おいおい)と内心呆れた。
「……狩りだぞ、それはやりすぎだろう。狩りに魔法はなあ」
「知っております。王太子殿下が危機に瀕した際の護身用です」
「護身用!? これがか、攻撃用の間違いだろ」
「攻撃は最大の防御と言うではないですか」
「おいおい……、フィリス、君は曲がりなりにも女の子だろう」
ローレンスが嘆息していると、勇壮な鷹を見止めた王太子殿下が興味津々という顔で近寄ってきた。
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