16,過去
(なにを話したらいいんだろう。なんで手を繋いじゃったんだろう)
フィリスは悶々としたまま、サミュエルの手を握っていた。振りほどくには人通りが多く、ふと目をそらすと迷子になってしまいそうだった。
(どうしよう。距離感がわかんない)
フィリスは見上げる程、高くなった彼の首筋から顎の流れをまじまじと見つめてしまう。
心音が高くなり、体中がほんのり暖かくなる。人ごみに紛れたせいじゃない。互いの手から伝わる優しさが離れがたかった。
(昔は、ばかな男の子だったのに……)
フィリスとサミュエルの出会いは、十年前までさかのぼる。
八歳のローレンスが学園に通い出したら、母と子二人は王都に移住する予定であった。しかし、四歳のフィリスは魔力のコントロールが苦手で、事故が起きてはいけないと、元魔術師の母と領地に残り、訓練を重ねていた。
フィリスが魔力を上手に扱えるようになったのは、九歳であり、非常に遅かった。小さな土人形をマリオネットのように操れるようになって、母が大丈夫と太鼓判を押し、学園で一般教科や教養を学んでから、魔術師の専門教育機関に通うため、王都に出てきたのだ。
その時、ローレンスの友人として最初に紹介されたのがサミュエルだった。
フィリスは常頃から小さな魔術師として教育を受けていたため、子ども用の黒いローブを着て過ごしていた。
土人形を代表とする泥や土を使う土魔法が好みで、魔法の練習中に衣類をよく汚し、二度着替えることも稀ではなかった。汚れても目立たない、着替えも楽な黒いローブは重宝され、フィリスもその恰好が好きだった。
黒いローブを着たフィリスをサミュエルが、ローレンスの弟だと間違えたのは、致し方ないことだったろう。
フィリスとサミュエルが初めて会った時、二人の身長も今ほど差はなかった。
サミュエルはフィリスが操る土人形を面白可笑しく楽しんだ。小さくとも、血気盛んだった彼は人に向けれない木剣の相手として、土人形を好んで相手にしていたのだ。
兄のローレンスはそこまで剣技に興味はなく、サミュエルにつきあう程度に楽しんでいただけだった。結果として、元気なサミュエルは秀才のローレンスとの親交が厚くなり、フィリスは知らずに二人の仲を取り持っていた。
関係が少しずれだしたのは、フィリスが学園に通うようになってからだ。
サミュエルは、フィリスが女生徒用の制服を着ていることに驚いた。お決まり通り「お前、女だったのか」と言ってしまい、フィリスがその言葉にずんと傷ついたことなど、当時子どもだったサミュエルは気づかなかった。
ローレンスの友達であるサミュエルは、フィリスにとって初めて接する年上の男の子である。彼の容姿や兄と違う闊達な様子に憧れを越える感情を抱きつつあった矢先に投げられた言葉だけに、小さな少女の心は簡単に閉ざされてしまう。
フィリスの心がサミュエルに対し冷めている最初の原因を、自分で作っているとは十年経った今も彼は気づいてはいない。
三人が学園に通い始めた頃、ローレンスとサミュエルは最上級生にあたり、フィリスはそんな二人の可愛がられる領地から出てきたばかりのおどおどした転入生だった。
何かと目をかけられ優しくされている彼女はあっという間に浮きてしまう。なかなか声をかけられず遠巻きに見ていた同級生だけでなく、上級生からも、やっかみの眼差しを向けられることになる。
魔術ばかり精通する教育を受けてきたフィリスは、そんな女生徒たちへの対応方法が分からず戸惑う。王都の洗練された少女たちとの毛色の違いも相成って、嫌煙の対象とされてしまった。
フィリスは一人ぼっちになる。当初はあからさまにいじめられることはなく、遠巻きに見られている程度だった。
それが悪化したのは、サミュエルが原因だった。正義感が先行した彼は、彼女がなんで疎遠にされているのが見過ごせなかっただけだった。ちょっとだけ陰険にしておけば満足する程度の、こそこそした女の子の集団にずけずけと割り込んでいき、フィリスをかばったものだから、それが女の子たちの着火点になってしまった。
その日から、フィリスはいじめられるようになってしまった。
フィリスの孤独は、痛手を伴うものなる。
それでも、大人しい彼女は何も言えずに我慢してしまった。それが良くなかった。はっきり、言葉を発しないフィリスの物は隠され、大人の目が届かないところで小突かれたりを繰り返した。
最上級生であったローレンスとサミュエルは自身の進路検討が目下の関心事となり、フィリスの状況に気づくのが遅れてしまった。
フィリスは土と植物を操ることが得意な魔術師だった。彼女の育った領地が山間にあり、土や植物はなじみやすかったのだ。
ところが、ある林近くで行われる授業にて、フィリスは女の子数人に木陰へと追い込まれてしまった。女の子たちはフィリスが魔術師の卵であることは知っていても、その魔力量や威力までは理解していなかった。
恐怖を覚えたフィリスの魔力が働いた。樹木のそばというフィリスにとって好条件も作用した。
フィリスを呼び出した女の子たちは、フィリスの魔力によって怪我を負ってしまう。それはかすり傷程度のものでも、蝶よ花よと育てられた都育ちの女の子達にとっては、天地がひっくり返るほどの大けがに映った。
罰を受けたのは身を守った側のフィリスだった。学園のルールでは、魔力で人を傷つけた者は問答無用で謹慎処分となる。
なにより、フィリスが罰を望んだ。誰よりも、自身の魔力で人を傷つけたことに傷ついたのは彼女だったのだ。
フィリスはなんの反論もせずに、一週間の謹慎を受けいれた。
サミュエルの行動が一連の引き金になったと知ったローレンスは彼を責めた。
その叱責は後にローレンスも反省することなる。気づかなかった自分を棚に上げて、サミュエルだけを責めても、フィリスが傷つくだけだと気づいたからだ。
サミュエルとフィリスの距離が縮まらない一因も己にあると自覚するローレンスは、今も二人の仲に対し気を配っているのだった。
一週間の謹慎が解けて、フィリスが学園に戻ると、いじめはぴたりと止んだ。それは、フィリスの魔力の恐怖が過剰に煽られたためだった。
サミュエルは、フィリスの置かれた状況を片目で見ながら、自分が出て行けばまたフィリスを傷つけると、手出しができなくなった。
サミュエルはフィリスを常々遠くから眺めている自分に気づいたのはその時だった。彼女が、疎外されていると知ってなぜ腹が立ったのかを自覚した時はすでに時遅しである。
フィリスは女の子達から距離を置き、夜会や茶会など、女性として歩む道に背を向けた。
サミュエルはフィリスを傷つけた後ろめたさから、彼女と積極的にかかわることができなくなってしまった。
学園から、騎士へと進んだサミュエル、試験を経て文官を歩み始めたローレンス。見習いの二人は忙しく、フィリスとの接点も薄くなる。
フィリスが学園を卒業し、魔術師として専門の教育を受け始めた頃、余裕ができたサミュエルはローレンスの元へとたびたび訪問するようになった。関係ないとそっぽを向くフィリス。取り付く島なく、取り残されたサミュエル。結局二人は、なんの進展もないまま悪戯に時間をつぶしてしまった。




