14,相談と提案
フィリスは兄と鴨肉とオリーブ、果物をつまみながら、台所でワイングラスをかたむける。
「お兄様、明日なんですけど。私、帰りが遅いです」
「なにかあったか」
「サミュエルに、一緒に屋台に行こうと誘われました」
飲みかけのワインを、ローレンスは吹き出す。本当に気管に入ってしまったようで、むせながら、グラスを机に置いた。
「大丈夫ですか、お兄様」
ローレンスは机に置いた手で体を支え、もう片方の手で拳を作り、胸を叩く。咳き込みながらも、「本当か」と再確認する。
何事かと目を丸くしたフィリスは、兄の挙動に、いらないことに気づく。
「はい。お兄様、何か問題がありましたか? 私もまだ婚約者は決まってませんし、彼も幼馴染ですし、問題はないと思いましたけど、軽率なら断ります」
「断る!?」
左右の顔を歪ませローレンスが不似合いで素っ頓狂な甲高い声を発する。
兄の挙動を読み間違えるフェリスは(ダメだったのね、やっぱり断らないと……)と余計な気を回し始めてしまう。
「なんで、断るんだ!!」
「いえ、私はいいにしても、サミュエルにも迷惑がかかるかもしれませんし。軽率な約束なら……」
「ないないない! 断る必要なんてない!!」
妹があらぬ方向にど真面目な発言をし始め、さすがのローレンスも焦った。
「でも……」
「でも、じゃない。一つも問題ないから、余計なことは考えるな!」
焦る兄をいぶかし気にフィリスは見つめる。
「はあ……、では、約束もこれきりで、今後は……」
「まてまてまて! フィリスが考える問題は一抹もない。サミュエルと遊びに行っても、ひっとつも問題ないからな」
「そうですか? お兄様が気にされなくても、もしかしたら、父や母が……」
「考えるな! 父も母も気にしない!!」
「ですが、私がサミュエルと一緒にいたら彼の縁談にも……」
「考えるな、フィリス!! どこまでも、気にする必要はないからな」
「はあ……」
兄の反応に呆気にとられ、フィリスは怪訝な表情を浮かべる。
(やっぱり、約束はこれきりにした方がいいかしら……)
余計なことは考えるなと言われてもフィリスは考えてしまう。
取り乱したローレンスは姿勢を正し、咳払いをして、グラスを持ち直した。
「フィリス、なんでまた、サミュエルと約束なんてできたんだ」
ローレンスにとって、サミュエルとフィリスが一緒に帰宅しただけでもここ数年見られないほどの進展であった。しかしながら、当事者のフィリスがこの調子では、進むものも進まなくなるのではないかと、頭痛がしてくる。
「少々、気になることがありまして、考え込んでいた時に、サミュエルが声をかけてくれて、彼なら少しは……」
兄が王太子付きの文官であることをフィリスは思い出していた。
(お兄様なら、相談しても問題ないわよね)
「……話の途中で黙ってどうした?」
「実は、お兄様……」
そうして、フィリスは、兄に魔道具の顛末について話した。
聞き終えたローレンスの顔つきは落ち着き払っていた。
「フィリスは魔術師長に従うのが筋だな」
「それは分かっております」
「後宮にすまうマリアンヌ姫はフィリスが思う以上に守られている。心配しなくても大丈夫だよ」
「……はい、分かっております」
「フィリスは、騎士と共闘するような武闘派の魔術師とは違うだろう。もしマリアンヌ姫が護衛を必要としても声をかけられることはない」
「そうですね……」
フィリスの声と表情が沈んでいくのを見て、ローレンスは苦笑する。
「フィリスの仕事に喜んでくれていたのだろう、マリアンヌ姫は」
「はい」
「そうやって、慰めて差し上げれればいいんだよ。あの方は、後宮から出られないお姫様だ。天真爛漫にふるまい、何不自由ない暮らしをしているように見えて、自由などない方だ。
フィリスを呼んで、魔術具と戯れることは、マリアンヌ姫に許された小さな小さな自由なんだよ。そんな彼女に寄り添ってあげていられることをもっと大事になさい」
ローレンスの言葉に、フィリスの胸は透く。
「そうですね。ありがとうございます、お兄様。私にできることは限られています。できないことなどに無理に首を突っ込むのはよくありませんね」
「そうだね。フィリスにはフィリスにしかできないことがあるから、それを大事にしなさい」
(そうよね。私にできることは限られている。分をわきまえて、私は私のできることに徹しよう。マリアンヌ姫は喜んでくれるのだから……。さすがお兄様ね)
フィリスは兄に相談しよかったとあたたかい気持ちに包まれる。
「ところで、フィリス」
「なんでしょうか」
「土人形は、小鳥や梟以外にも作れるのか? 鳥の他、獣とか……」
「作れますよ。狐でも、雉でも、鴨でも、鼬でも……」
ローレンスがグラスを置いて、腕を組んだ。両目を閉じて考える。
(どうしたのかしら)
フィリスは、オリーブを口に運びながら、兄の答えを待つ。
(こういう時は、色々なことを天秤にかけて、考えているのよね)
ローレンスがぱっと顔をあげた。
「次の休日は暇か、フィリス」
「空いてますよ」
「それまでに、狐と雉の土人形を用意できるか? できたらそれぞれ三体は欲しい」
「はい、それぐらいならすぐに作れます」
「ありがたい。安息日までに頼む」
「お兄様、何に使われるのですか」
「王太子殿下の趣味は狩りだ。しかし、近年忙しくて、思うように出かけられないでいる。出かけられても、時間に制限があって、次の休日も午前中だけしかない。しかも、相手は動物だ。いざ狩り場に行っても、出てこないこともある。そうなれば、手ぶらで帰ることになる。
王太子殿下はそれほど、気にはされていないが、やはり残念そうな顔をなさる。
ここまで説明すればわかるな、フィリス」
フィリスはこくりと頷く。
「事前に、土人形の獲物を放っておきたいと言うことですね。土人形は魔力が切れればただの置物になり、その置物も土から作られているので、風雨にさらされれば、土くれにかえっていきます。
王太子にも、自然にも、良い案ということですね」
ローレンスは満足そうに笑んだ。
「その通りだ。私とともに、休日は協力してくれるね」
「もちろんです、お兄様!」
蔑まれ忘れられている土人形の形を変えた晴れ舞台だ。フィリスはうち震える。誰にも見向きもされない魔術具が誰かの目にとまってくれることが何よりうれしかった。
「フィリス。王太子殿下の狩りには、サミュエルも同行するよ」
にやにやと告げるローレンスに、フィリスは真剣な面持ちになる。
「お兄様、話を戻しますけど、サミュエルとの約束は本当に問題ないすか? 軽率なら、断ることも、今後はこのような約束をしないことも、しっかりと胸に刻みます」
ローレンスは瞠目し、嘆息した。
「ないと言っているだろう。フィリスがどんな約束をサミュエルとしようとも、そのすべてが問題になることはけっしてない」
「はあ……、その様にすみますでしょうか」
「すむすむすむ! これ以上、余計なことを考えるな。フィリスが考えるとろくなことにならん!」
ローレンスは、いらぬ考えを巡らす妹に、ぺっぺっと手を払った。
(まったく、この朴念仁、鈍感妹が!!)
サミュエルがフィリスに対して極度の奥手になってしまったのは、彼の気質だけでなく、妹の性格も過分に影響しているとローレンスは分かっていた。




