13,心配事
「フィリス、フィリス。どうしたの、難しい顔をしているわ」
マリアンヌ姫に心配そうに声掛けされ、フィリスは我に返る。
「申し訳ありません、マリアンヌ姫様。今、取り替えますね」
フィリスは笑んでから、首輪の魔術具から魔力を吸収した。ころりと転がった玉を握る。小箱を開けると、壊れた魔術具を入れ、新たな首輪用の魔術具を取り出した。
新しい魔術具を子犬の首元にあてがい、魔力を通す。新たな首輪が形成される。そこから魔力の紐を伸ばし、テラス席を支える支柱に紐を結んだ。
「ありがとう。助かるわ、フィリス」
「いえ、私こそ、こんなに早く壊れてしまい申し訳ない思いです」
申し訳なさげなフィリスに、マリアンヌ姫が頭をゆっくりとふる。
「いいえ。私の不注意です。気にされないでね」
「お詫びではないのですが……」
フィリスが小箱を差し出す。
「それは何? 新しい、魔術具かしら」
「はい」
ぱっとマリアンヌ姫の顔に笑顔が花開く。どこまでも、花の妖精を思わせる、柔らかい少女である。
フィリスは小箱から、小さな鳥の小物を取り出した。
「これはなに?」
「こちらは、梟の小物です」
「かわいいわ」
マリアンヌ姫の目が輝き、フィリスをキラキラと見つめる。
フィリスは片手に梟の小物をのせた。白く丸い姿に、黒い目がちょんと二つ並ぶ。その手に魔力を注ぐと、小物は魔力を吸い上げた。その吸い上げた魔力は盛り上がり、フィリスの片手に乗るような小ぶりな白い梟へと変化した。
一瞬の変化に、マリアンヌ姫はついていけず、目をぱちくりする。
「梟の土人形です」
ふわっとマリアンヌ姫の表情が華やいだ。
「この子、私にいただけるの?」
「もし、よろしければ……」
「嬉しいわ。フィリス、ありがとう。大事にするわ」
マリアンヌ姫の喜ぶ顔を見て、フィリスは満足する。見向きもされない土人形が、姿を変えて、誰かを悦ばせていることが感慨深かった。
フィリスはマリアンヌ姫の元を辞し、職場に戻った。
プライベートなスペースで椅子に座り、壊れた魔術具を点検する。中央に一線、綺麗に縦にひびが見える。これは明らかに左右から強い力で引いた痕だ。
(この力は、女性じゃない。私だって、魔力なしじゃ紐は引けない。男性がいた? あっ、でも、魔力がある女性なら……)
そこまで考えてフィリスは分からなくなる。
マリアンヌは『子犬がね。元気過ぎたの。元気に走りまわりすぎて、引っ張って、壊しちゃったのよ』と言った。
(本当に? 子犬が走り回ってできる傷じゃないわ。でも、これ以上考えても分からないし……。私の気になることは、やっぱり、魔術師長に伝えた方が良い?
原因が分かっていても、一介の魔術師には伝えないことだって十分あるわよね。でも、きっと報告だけなら……、おかしくは、ない、はず……。
魔術師長に預けておけば、私が関わっていけないことならきっと踏み込むなって言ってもらえるわ)
そうして、フィリスは回収した魔術具を持って行き、魔術師長へ事情を説明した。思った通り、「その案件は俺が預かる」と魔術師長は告げた。
魔術具を渡したフィリスを労い、去らせた。
(私が首を突っ込んではいけないことかも……)
淡々とした魔術師長の対応を見て、フィリスはそう結論付けた。
魔術師長の元から、フィリスは真っ直ぐに中庭に向かった。低層な木が並び、その木々にも赤いつぼみが並びはじめる。ぷっくり膨れた弾けんばかりのつぼみをつまむ。
弾力があり、花弁が詰まっている感触に、心が和らぐ。心のしこりも、春の息吹に触れると溶けていくようだ。
(マリアンヌ姫様が危険な目にあってなければいいけど……)
フィリスは、マリアンヌ姫が心配だった。彼女が大切にする子犬になにかあって、彼女が悲しむ顔を見たくなかった。
結い切れなくてはらりと流れていた髪が風に吹かれる。フィリスはその数本を手にして耳にかける。
フィリスが心配するよりも厳重にマリアンヌ姫は守られている。分かっていても、心配は心配だ。お優しいお姫様に良からぬ気配を感じても、なにもできない自分が切なかった。
「フィリス」
突如、声をかけられて、振り向いた。サミュエルが駆け寄ってきた。彼は彼女の目の前に立つ。
フィリスはは手を添えていたつぼみから手を離した。
「どうしたの、サミュエル」
「フィリス」
彼は彼女の名を呼んで、片手を首に寄せて、斜めに視線を落とした。彼女はそんな彼をじっと見つめた。
「いや……」
口ごもる彼を見つめていると、フィリスはふと彼もまた後宮へ顔を出していることを思い出した。
「ねえ、サミュエル」
「……なに」
「最近、後宮で変わったことはないかしら……」
「どうして、そんなことをきく」
「あっ、えーっと。ちょっと気になることがあって、私、マリアンヌ姫様の用事を多く担当しているじゃない。そこで気になることがあったけど……」
フィリスの声は小さくなる。部外者に訊ねて良いことではない気がしてきた。魔術師長に魔術具を回収されている以上、証拠もないのだ。
「ここではまずいことか?」
「まずくはないと思うけど……」
フィリスは周囲を目配せする。誰かに聞かれてもいけない気がした。
「フィリス!」
語気が強く名を呼ばれ彼女は跳ねるように彼の顔を凝視した。
彼は口元を結んで、真剣な目で彼女を見降ろす。花咲く直前のつぼみのように何かが弾けそうな表情に、彼女も目が離せなくなる。
「あっ、明日、夜……、また、屋台でも行くか。どうだろう……、いや、嫌なら、無理には……」
彼の語尾は小さくなり、か細く消えかけたものの、彼女の耳にはしっかりと届いていた。
「うん、行こうか」
彼女は、ぼんやりと答えていた。
目を逸らした彼は耳から首元まで朱に染めあげた。
「仕事、終わったら、待ち合わせて……。帰りは、ちゃんと、送るから……」
語尾はか細く春風に消えた。
屋敷に戻ったフィリスは、台所で夜食を作る。
ローストした鴨肉と新鮮な果物を見つけた。小瓶に入ったオリーブも、小皿にざばっとあける。
(料理らしい料理じゃないけど、果物は美味しいわよね)
柔らかい果肉を包む産毛のような皮もろとも果物を縦に切っていく。ざきざくと切ると、手は果汁で濡れる。そのまま、一番小さい一かけを口にほおりこむ。
果肉は甘く、産毛が生える果実の皮は歯ごたえがある。時折、果肉と皮の間を食むと、酸味が広がり、甘いだけでない味わい深さを堪能できた。
「今日は、果物かあ」
「残念なら、遠慮してください。お兄様」
フィリスがふふんと笑うと、兄は「そう言うなよ」と言って、ワインを片手に入ってきた。
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