不気味なバイト
友人の部屋で遊んでいる時のことだった。友人の兄が部屋にやって来て、リゾートバイトに行こうと言った。
一泊二日。場所は近くでもなく遠くでもない、聞いたことのない山の麓。バイト内容は、オープン前の店に商品を並べるのと、式典への参加。
「重いものはないって言うけど、どうだろうな」
友人の兄は首をひねった。バイト料がいいのがみんな引っかかっていた。
「商品の入ったダンボールなんて、絶対重いよ」
「それはあるだろうな。でも、まぁ、そんなのは置いとこう」
簡単に言って笑う兄に、友人も私もいつものように苦笑いする。
色々心配しても、結局リゾートバイトの魅力で、私達はバイトすることにした。
バイトに向かう日は曇りだった。屋内作業なので気にはならないが、気分は盛り上がらなくなった。
友人の兄の彼女と合流してバスに乗る。彼と彼女は半分デート気分のようだ。
バスの窓から景色を見る。見知らぬ景色になっても、自然が多くなっても、曇り空の灰色より目につくものはない。
四人とも眠さの方が勝って、特に話もせずにうとうとしていると、目的の停留所についた。
バイト先は、緑の中にある巨大な白い建物で、ホテルと劇場などが一緒になった複合施設だという。
綺麗な湖を望めるというが、私達はすぐに建物に入ったので見ることはできなかった。
従業員用の部屋に荷物を置くと、作業場所に向かった。
空の店の前、吹き抜けの廊下にダンボールが沢山置いてある。
持ち場についてダンボールを開けると、人形が入っていた。
ドレスを着た可愛い西洋人形。アンティークではなく新しい。肌はつるつるしている。なんという材質かはわからない。汚さないように両手で抱っこして棚に置く。丁寧にそれを繰り返す。
「危ない、落とすところだった」
ダンボールの前にしゃがんだまま振り返ると、友人の兄が手のひらサイズの人形を、ギュッと握っていた。
立ち上がって見ると、廊下の手すりから半分出た、人形を持つ手の遥か下には、湖が広がっている。
落ちていく人形を想像して、我が事のようにゾッとした後で、ほっとして作業に戻る。
「まぁ、後でお客さんが落とすんだけどな」
友人の兄の軽い呟きに、私の目は棚の人形にいった。
なぜ、そんなことを? あれは、全部、呪いの人形? 怨みを込めて湖に沈めるのだろうか? そういえば、いくら大きな複合施設とはいえ、こんなに大量の人形を売るのはおかしい。人形神社や人形寺のような、なにかある場所なのか?
もうそうとしか思えなくなって、それ以上気にしないように下を向いた。視線の先には人形がある。
ダンボールの中は人形だらけ。ダンボールに囲まれている。
私は友人のそばに行った。
友人は兄の指示に従いながら、小さな人形を黙々と棚に引っ掛けている。友人は兄には基本逆らわない。棚に向かって膝をつき、上からの指示を受けている姿を見ると、気弱で頼りない。私は作業に戻った。
呪いの人形うんぬんは、まだ、疑いの段階でそれほど恐怖は感じていない。
日本人形もまだ出てきていない。西洋の可愛い人形ばかりだ……まだ、怖くない。確かめるように綺麗な髪を撫でて、棚に並べていった。
「ううーん、どうにもならない」
また、友人の兄の声が私を引き寄せた。
「これ」
と言って、手のひらサイズの人形を渡してきた。
布製の女の子の人形で、中の綿が寄り固まってしまっているのか、手足が変な方に曲がっている。
綿だし大丈夫だろうと決めつけて、腕を指でぐにぐにと押して、綿を移動させにかかった。
ごりごりした、棒が入っている。確かに、真っ直ぐな棒ではなく、凹凸がある。生肉のついた鶏の骨が浮かんだ。それが変なところでつっかえていて、手足が曲がっている。
点の目と線の口でニッコリしたこの人形には、骨格があるらしい。なぜ、そんな手の込んだ作りなのか、どんな材料で作ったのか、私は気持ちの悪い方にしか、想像できなかった。
気持ち悪いと思いつつも、確かめたいからか、仕事の使命感か、ごりごりと人形を押し続けた。私の体温で人形はぬくもりを持ち、人に近づいていく。
ギブアップして無言で人形を返した私に、友人の兄は何も言わず、人形をダンボールに戻した。
私は人形がどうなるのか、それを知らないように離れた。
昼休憩になり、建物の白い食堂で仕出し弁当を食べた。
周りの話も耳に入ってこない。なにもかも早く済ませたい心理で、黙々と急いで食べる。
友人も元気がない。そういえば、あの小さい人形をダンボール一箱は並べていた。
こういう気持ちは話さないが、わかり合える。気が合うというやつだろうか。
食後、スマホで検索したが、人形の曰くは出ない。周辺の町と店の紹介、そして、この複合施設の特設サイト。しかし、詳しい内容はまだ載っていない。人形の店のことも。
次に帰りのバスの時間を調べた。夕方までしかない。夕方までに決断しなければならない。
友人の兄は彼女と話している。彼が全ての元凶だ。彼と人形は最早セットでやってくる気がした。こちらに気が向かない内にと、友人と食堂を出た。
部屋で休む友人と別れて、私は湖の辺りを歩くことにした。建物内の掲示板に、有名人のコンサートのポスターが貼ってある。こんなところにも来るのかと感心した。
さっきは、湖は建物の真下にあるように見えたのに、出入り口を挟んで少し距離があった。
ホテルから続く白い歩道を歩いて行くと湖についた。歩道は辺りの芝の間を巡り、湖と白い建物が一体化しているような印象を与えた。建物が湖を両手で抱いているような感じだ。
ひとりで来たが、湖に来る途中も今視線の遠くにも、従業員の姿があるので、かろうじて、恐怖に駆り立てられることはなかった。それでも、護身用の武器のごとく、ポケットに入れてあるスマホに何度も手を当てた。
従業員に人形について聞きたいが、目をつけられない方がいい気がした。そんなジレンマに悩むのは、人形のせいだ。従業員やバイトの責任者も人形とセットな気がする。彼らと向かい合った場面を想像すると、肩越しに人形が見える。
一息ついて、踏んだら湖の水が溢れてきそうな、湿った芝を踏まないように、歩道から身を乗り出して、青鈍色の湖を眺めた。雲間からの陽光でキラキラ輝いているが、湖の暗さを誤魔化すためのようだ。
何色もの絵の具を混ぜたように、色々なモノが混ざって、例えようもなくなった色の水中も見える。人形が重なり合っている、湖の底まで見えた。
ジャブジャブと芝に打ち寄せる水は、赤茶色。
どうして、ジャブジャブ打ち寄せているんだ? 何かが揺らしているのか?
どうして、赤茶色なんだ? 湖に沈んだ人形達から、血のようなものが染み出しているのか?
私はそんなことを、もう、当然のように想像していた。
午後、作業は早く終わった。幸い、私は日本人形を扱わずに、並べられた姿も見ずに済んだ。
次に、私達は湖の辺りに移動して、どこかの青年団と合流した。
湖から後ずさりして、ベンチのそばにいると
「貴方はこっちに来なさい」
見知らぬ中年の男性が、湖の方から手招きしてきた。
私はドキリとして硬直した。男性が立っているのは、湖に続く歩道だった。歩道は湖にせり出したステージに続いているようだ。すぐに視線をさげたので詳しくはわからない。思い出したくないし、確かめたくもない。
幸い、呼ばれたのは私の隣の、青年団の逞しい若い男性だった。はい、と彼はなんの疑いも躊躇もなく、それどころか小走りに湖の方へ行った。
私は彼を心配する反面、心底ほっとした。湖に近づくなんてお断りだ。
しかし、明日はここで、式典があるという。なんの式典か聞き逃していることに気づいた。とにかく、これは、その予行練習だ。本番に出るために一泊しなければならない。
なぜ、私達が出なければならない? 人形は扱われるのか?
確実なのは、夜にはまた、友人の兄と人形がセットでやってくることだ。それと彼女も。不気味な湖をみれば、誰でも思いつく。私と友人は肝試し要員だったのかもしれない。
そんな子供騙しなことで済むならいいが、もっと、私が知りたいような、知りたくないようなこと。これ以上ここに居たら、それを全て知ることになりそうだ。
それとも、知らされないまま、操り人形のように指示に従うことになるのか。
私は今日で帰ろうと思う。バイト代は一日分で充分だし、友達と知らない土地に泊まる楽しみはふいになるけれど、きっと友達も帰ろうと言うと思う。
私はぼんやりと、打ちつける赤茶色の水を見ていた。いや、思い出していた。
水の色の原因は人形ではなく、人間の血だろうと思った。湖には、人間がひとり、ふたり、沈んでいるのだろう。湖とはそういうものなんだ。魚、藻、ゴミ、動物、人形、人間、色々なものが沈んで青鈍色になっている。
今も、湖は動いている。今、誰かが、湖の底でもがいているのかもしれない。
明日の、全ての人間が指示通りに動くだろう、機械的な式典の下でも。壊れた自動人形のように、誰かがもがいているのかもしれない。
私は帰ろうと思う。無事に帰らなければ
ーーーーーー湖に落とされるのはーーーーーー