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まさむね食堂よもやま話  作者: sazanami
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 皐月の勇気と、さくさくコロッケ 上

第二弾、皐月!もうこれは、とにかく書きたいように書きます。おつきあいください。

ぽかぽかと温かい日差しが町並みを包んでいる。近所にある川の土手に行儀よく並んでいる桜は、前に通りかかったときにはもう、少し散り始めていた。


「カツ丼ひとつ!」

「お待たせしました、親子丼です」

「洋ちゃん、コロッケ一人前と、小鉢を適当にたのむ!」

「はづきちゃん、お勘定おねがい!」

「カツ丼、お待ちどお!」


まさむね食堂は、いつも賑やかだ。この町の人々の笑顔とお喋りが、一気に集まっているんじゃないかというぐらいに。

とろりとした餡がかかった、さくさくの豚カツをご飯と一緒に頬張って、目を細めている人がいる。熱々のライスカレーを、口の中でホッホッと転がしている人がいる。皆、笑顔だ。


藤田はづきは、白い髪をゆらして、小柄な体で店内をあちこち行ったり来たりしている。まさむね食堂は、ちゃぶ台を三つくっつけたくらいの大きい机が七つ、椅子が四十二脚ほど、ぎりぎり収まりきるくらいの、さほど広くも狭くもない食堂だ。それでも、洋ちゃんと一緒に給仕を手伝い始めたばかりのころは、仕事を終えると足がパンパンになって、きつかった。でももう慣れっこだ。四年以上働いているのだから。


「はづきさん」

静かだがよく通る、低すぎでも高すぎでもない、お寺の鐘のように耳に心地よい声。聞き慣れた、慕わしい声が、たくさんの声と食器の音を掻き分けて、はづきを読んだ。


「コロッケ定食、一つ」

ガラス玉のように澄んだ鳶色の瞳をはづきに向けて、千崎勇一は無表情に言う。彼より奥の席に座っている、十八、十九ほどの娘たちが三人、何やらヒソヒソと話し合い、小突き合いながら、頬を桜色に染めて勇一を盗み見ているのが見える。

甘酸っぱいような、誇らしいような思いがじんわりと広がって胸を締め付けた。頬がポッと温かくなるのを感じながら、はづきは香ばしい料理や米飯の匂い、包丁とまな板が歓声を上げてぶつかり合う小気味よい音に満ちている厨房へ、注文を伝えに行った。


昼の陽気と、料理や人々の熱気が心地よく体を温める。足音が、かすかに自分の体を揺らすのを感じながら、はづきは愛嬌のある笑みをうかべて、店内を忙しく歩き回った。今日も、繁盛。




「今日のあの()たち、千崎のこと意識してるのがバレバレだったな〜」

背中まで伸びた黒髪を無造作におろした二十歳ほどの若者=洋ちゃんが、夜の冷気ををふっ飛ばしそうな勢いで笑った。その間も、寝間の窓から、下にあるまさむね食堂の入り口付近を眺めるのは止めない。


「勇一さんは、女の子にもてるお顔をしてるからね」

お日さまの匂いがする布団に寝そべって、はづきは微笑んだ。

夜の布団は魔物のようで、気を抜くと、その柔らかさに負けて眠りこけてしまいそうだ。


娘たちが噂するのも無理はない。勇一は美男子だ。今年で二十一になるのだが、十九歳ほどに見える。

目の下に影を落とすほど長い睫毛、切れ長の目。その奥にある、ガラス玉のような鳶色の瞳。スッと通った鼻筋、絵に描いたように形のよい眉。唇は、なめらかな薄紅色。みじかく散切りにした黒髪は艷やかで、肌の白さを引き立たせている。おまけに、細身だが筋肉質な体つきをしている。

これで振り向かない娘など、ほとんどいないだろう。


「ま、始終無表情だがな!僕は千崎さんが微笑んでるところすら見たことないが、笑ったことあるのか?」

「たまに、ね。私と一緒にいるときや、赤木さんと喋っているときに、少し」

「いいじゃん、好かれてるぜ。はーちゃんも、赤木さんも」


洋ちゃんは、にやっと笑って、はづきの横にボスンと寝そべった。夜の涼しさと、風に乗って流れてくる草花の匂い。しん、とした夜の匂いとともに、洋ちゃんのやわらかい匂いが鼻をくすぐる。

洋ちゃんの、深緑の地に濃い鶯色の縦縞が入った男物の浴衣を眺めて、はづきは穏やかに微笑んだ。

「洋ちゃんは、どう?あの、あまり人に本心を見せない、頑固な野良猫みたいなお方に好かれてると思う?」

「ははは、野良猫に失礼だろ」

何気ない仕草で、電球の黄色っぽい小さな光に手をかざし、洋ちゃんは笑った。ときどき、洋ちゃんの笑顔がどこか寂しげな影をかすかに含んでいるように、はづきには見える。

「僕はまあ、嫌われてはないだろうけど・・べつに、好かれなくてもいいとも思ってる」


つきっと心が痛んだような気がして、はづきは目を細めて洋ちゃんの横顔を見つめた。

それに気付いたのか気付いていないのか、洋ちゃんは陽気な笑顔に戻って、ピョコンと立ち上がった。

「さ、今日はもう便所行って、とっとと寝ようぜ。湯冷めする」


洋ちゃんは、低めの声も話し方も男の服装も、とても様になっていて違和感がない。

でも、その丸みを帯びた柔らかい体つきは、女のものだ。




「・・・!! この沢庵美味いな!」

口元を押さえて叫んだ洋ちゃんに、はづきもご飯をもぐもぐしながら首を縦に振り、激しく同意する。

まさむね食堂二階の住居では、朝早々から興奮がちゃぶ台の周りで弾けていた。


ぽりぽりと歯ごたえの良い沢庵は、しょっぱくて(かす)かに甘く、ご飯と一緒に噛むとプチッと切れて、独特の香りが鼻を抜ける。これほどご飯の甘みを引きたて、沢庵自体も美味い沢庵を食べるのは、久しぶりだ。

「はす向かいの山本さんとこの奥さんに頂いたんだよ。こりゃぁウチも負けてられないね、どういうふうに作ってあるのか研究しなきゃ」

「だな。でないと、まさむね食堂の名が廃るってもんだ」

子供のようにはしゃぎ、闘志を燃やすマサヱと洋ちゃんを横目に、政宗家の大黒柱・孝男は、窓から差し込む白い朝日をぼんやりと眺めながら味噌汁をすすっている。ちなみに、今日の味噌汁の具は豆腐とワカメだ。単純だが最強の、王道の味である。


「あ、コロッケの新作、味見しないと」

ご飯を口に運ぶ手を止めて、はづきは小さく叫んだ。赤い瞳が焦ったように揺れる。まさむね食堂で出す新しい料理は、皆で味見しながら検討するのだ。

「ああ、ほんとだ。忘れるとこだった」

マサヱはパンっと手を叩き、箸を茶碗に置いて立ち上がった。


階段を下りて厨房へ消えていくマサヱの、とんとんとん・・・という規則正しくて素早い足音を聞きつつ、はづきはご飯を口に入れた。マサヱは米を炊くのが上手い。ふっくらと火の通ったツヤツヤのご飯は、噛むとほんのり甘く、いつも心がほわーんとなる。大切な人たちに囲まれているときのように。


(新作のコロッケ、食堂で出せることになったら、勇一さんにお勧めしようっと)

まさむね食堂のコロッケが大のお気に入りで、来るたびにそればかり食べている。そんな恋人が無表情に、でも穏やかな目で新作コロッケを頬張っているところを想像すると、胸がキュンっとなる。

雀たちの踊るようなさえずりを聞いて、はづきは、またご飯を口に入れた。

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