卯月の恋とライスカレー 中
店内の席はすっかり埋まり、相変わらず音と匂いがうねりとなってガヤガヤと店を駆け回っている。
つやつやしたホカホカの米飯と、香ばしいカレーのルウを、ちょちょいと混ぜ合わせて口に運び、ホッホッと口の中で転がして、須田啓次郎は目を細めた。
「うっまぁ~」
「ふふふ。こっちの親子丼も美味しいですよぉ」
啓次郎の向かいに座っっている大鳥アヤが、ぱくりと親子丼を頬張った。つやつやの米飯にとろとろの餡がかかり、口に入れるとと鶏肉がホロッと崩れて三葉の香りが広がる、この親子丼は、まさむね食堂の自慢料理の一つだ。幸せそうに笑うアヤを見て、隣の机の席に座っていたここの常連、長島京が、啓次郎に囁いた。
「おまえさんの恋人、今日も美人だな」
「手ぇ出すなよ」
「やだな、褒めただけさ」
「あらま、それはどうも。でも、長島さんの娘さんの方が美人なんじゃありません?」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃないか大鳥さん」
アヤは穏やかに笑った。確かにアヤは、睫毛が長くて、鼻筋もスッと通っていて、なかなか美人だ。歳は啓次郎と同じ二十代半ばくらいなのだが、それより若く見える。その艶やかな黒髪に、昼の光が淡く宿っていた。長島は啓次郎に、独り言のように呟いた。
「ほんと、大事にしろよ。おまえさんには勿体ないくらいの女だからな」
啓次郎が無言で頷くのを横目に、長島は陽気に声を上げた。
「洋ちゃん、お勘定」
数日後、春雨の中を、まさむね食堂にやって来た啓次郎は、珍しく一人だった。
「須田さん、今日はアヤさ・・」
言いかけて、はづきは言葉を噤んだ。啓次郎は、明らかに元気が無かったのだ。長身な彼が、いつもより小さくしぼんで見える。肌も暗く、くすんでいた。
「・・・何か、あったんですか」
おしぼりとお冷やを置きながら、はづきは、おずおずと須田の顔を覗き込んだ。今日の店内はわりと空いている。
「それが・・・」
急に雨足が強くなり、家々の屋根を叩いた。啓次郎は、うつむき加減で絞り出すように呟いた。
「アヤさんと、喧嘩して・・もう一週間も会ってないんだ・・・」
「ほっときゃいいだろ、んなもん」
もう春とはいえ、夜になると冷える。厚い羽織を洋服の上にはおった二十歳ほどの青年は、酒の杯を置いて眉間にしわを寄せた。
「また千崎さんは、そんなこと言って」
まさむね食堂の女将である政宗マサヱは、あきれたようにため息をついた。まさむね食堂は、夜も開店する。しかし、大事な娘たちを夜遅くまで働かせたくないという、ここの店主でマサヱの夫・孝男の意向で、店内にはづきと洋ちゃんの姿はなかった。夜は昼よりお客も少ないので、何とかなるのだ。
「ほんとほんと。千崎は、もっと人と話す能力と性格を身にt」
千崎、と呼ばれた青年の隣で青菜の炒め物をつまんでいたもう一人の青年が言いかけたとき、店の二階の住居へつながる厨房の奥の階段から、トタトタと足音がした。ほどなくして、白い影がふわっと店内に顔を出した。
「ありゃ、勇一さん!それから赤木さんも!こんばんは」
昼にはまとめている髪を、今はおろしている。はづきは、白い前髪をかき上げて嬉しそうに言った。
「勇一さんが来てるって、洋ちゃんに聞いたんです。洋ちゃんも、誰がいらっしゃったか二階の窓から眺めるの、相変わらず好きだなぁ」
「おっ、千崎、はづきちゃんが来たとたんに雰囲気が丸くなったぞ」
「・・・///。赤木、うるさい」
「いいじゃないか。千崎さんは綺麗なお顔なさってるんだから、眉にしわ寄せてばかりじゃ、せっかくの 美男子が台無しだよ。笑顔でいたら、そりゃもう、引く手あまただろうに。うちの、はづきにだけ好かれてりゃいいってわけでも・・これはまた話が違うか。とにかく、千崎さんはもったいないよ、その綺麗なお顔が」
マサヱの言葉に、青年・・千崎勇一は、年頃の娘なら誰もが振り向きそうな整った顔をくずして、また眉間にしわを寄せた。
「俺の顔の話をしてるんじゃじゃないだろう。で?須田と大鳥の間に何があったんだ」
夜になって、いったん止んでいた雨が、また降り始めたようだ。雨の匂いがした。はづきは、須田に聞いた事のいきさつを、話し始めた。