五人目
見慣れた教室のドアをノックすると、澄んだ声が返ってくる。
「どうぞ」
中に入ると、そこには田中にも見覚えのある顔があった。
「えっと、確か名前は」
「木戸さやかです。一応同じゼミなんだけど、ちょっと残念」
「ごめん」
「これを気に覚えてくれると助かるかな」
田中は微笑みかける木戸の対面に座った。
「確認だけど、木戸さんも先生に言われてここに来たんだよね」
「そうだよ。先生が気にかけてるのは田中君の方みたいだけど」
探るような眼は先生のそれに似ている。
「あまり先生と話したことは無いけどね」
「そうなの? なんか伝言を預かってるんだけど、はは、そういう関係なのかと思っちゃった」
田中の眉が跳ねる。
覗き込んでくる、瞳の裏を舐めるような視線。今まで感じていた違和感の正体に気づいて、田中は小さく声を漏らす。
立場が変わっているのだ。自分が話を聞き、教えを乞う今までの相手とは違って、木戸は田中から話を聞き出そうとしている。
「そんな意地悪な聞き方しなくても、木戸さんが期待しているようなモノはないよ」
「意地悪だなんて、田中君にはこういう言い方のほうが良いかなって親切心だったのに」
「心外だな。人を性悪みたいに言うなよ」
違うのか? と言わんばかりの視線に田中は思わず目を逸らした。
「木戸さんは先生と良く話すの?」
「世間話程度ならそれなりに話すよ。ちゃんと質問にも答えてくれるし、めちゃくちゃ良い先生だと思う」
「それは、ゼミの関係で?」
「いや、私が副部長やってるサークルの顧問なんだよ。先生」
「へぇ、意外だね」
何気なくこぼした田中の一言に、木戸が反応する。
「先生が顧問やってるのが?」
「それもあるけど、木戸さんが副部長なのが意外だなって」
「どうして?」
「そりゃあ、さっきみたいな話し方が似合うような役職じゃないからかな」
「最初っからあんな話し方をするのは田中君に対してだけだよ」
引っかかりを覚えて田中が木戸の方を見ると、変わらずにジッと覗き込む目がある。
「田中君、ゼミの飲み会にも全然来なかったでしょ。誰かと会話してるとこも見たこと無いし」
「否定できないね」
「それはどうして? 話してみた感じ、会話自体がめちゃくちゃ苦手って訳じゃないでしょ?」
木戸の言葉に田中が固まる。
「聞き返すようで悪いけど、木戸さんはなんで周りと話すの?」
「ん。そう言われると、たしかに返答に悩むね」
考える素振りをしてから、木戸は改めて口を開いた。
「まぁ、なんだかんだそっちの方が楽しいからかな」
「サークルの副部長にもなると、面倒くさい話とか出てくるんじゃないの?」
「そりゃあもう。まぁうんざりすることはあるけど、単純に人と話すのは好きだからね」
木戸の言葉に、田中はスタンプラリーで会った人間を思い出していた。
「話してて楽しい人ばかりじゃないでしょ?」
「それは、そうだね。寧ろつまんないなって人のほうが多いけど、そういう人に対しては会話を合わせてどういう反応するか考えるのも面白いよ」
「……僕はそう思えない」
数秒黙ってから、田中が呟く。
「どうすれば、そう器用に生きられるんだ?」
「っはは、どーん!」
自然とこぼれ落ちたような田中の独白に、木戸が指を突きつけて笑う。
呆気にとられて、田中が目を白黒させた。
「私の勝ちだね。田中君」
「何の話をしてるんだ?」
「いやぁ、君のその言葉を待ってたんだ。先生から預かっていた伝言を言うよ」
鞄から朱肉を印鑑を取り出しながら、木戸が続ける。
「田中君の口からそういった言葉が出るということは、ちゃんと皆の話を聞いてきたみたいだね。素直なのは、君の一番いいところだよ。らしいです」
伸ばされている木戸の手を、田中はじっと見つめた。
ポンポン、と印鑑が朱肉を叩く音で、ようやくそれがスタンプラリーの紙を求める手なのだと気づく。
「木戸さんは、先生からどこまで聞かされてたの?」
「私が聞いてたのはスタンプラリーのルールぐらいだよ。後は宿題として、田中君からさっきみたいなセリフを引き出すようにって」
「宿題か、あの人僕以外にもこんなことやってるんだな」
「いいや。こんなこと言われたのは初めてだよ。スタンプラリーって話を聞いたときは私もやってみたいって言ったんだけど、私じゃ駄目らしい」
5つ目の円が赤く埋まる。残る空白は1つのみだ。
「それじゃ、頑張って」
「あ、ありがとう」
礼を言う田中に振り向かずヒラヒラと手を振って、木戸は教室から出ていった。




