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 大学四年生、田中荒野(たなかあらや)はタメ息をぐっと堪え、代わりの言葉を吐き出した。


「呼び出した理由ってなんですか、先生」


 大きい大学、大きい校舎の中にある、小さな研究室。その奥に鎮座する人物が、ふむ、と口を開いて答える。


「田中君の卒論のことなんだけど」


 力のある澄んだ声。眼鏡越しに田中を見つめる目は大きく、顔立ちは整っている。見た目は20代と言われても納得できるほどだが、纏う落ち着きは大人のソレだ。

 ミステリアスな女性。そんな表現がよく似合う人物だった。


「ちょっと、アレは認められないかな。うん」


 伝えるべき言葉を敢えて濁す言い方。田中は眉根を寄せて答える。


「要項は満たしていたと思いますが、何が駄目だったんですか」

「何が駄目って訳じゃないんだけどね」


 要領を得ない返答。苛立ちより先に疑問が浮かぶ。

 田中がこの教授のゼミを選んだのは、授業や提出物に気をつけてさえいれば単位が貰えると聞いていたからだ。現に今まではそれで問題なかった。卒業論文に関しても、予め決められた条件を満たしていれば受け取ってもらえると、そう聞いていた。

 何故、今更になって。

 渦巻く疑問を見透かしたように、先生は微笑んだ。


「強いて言うなら、田中君自身が良くないかな」

「僕がですか?」


 想定外の言葉に、田中は思わずオウム返しをした。


「確かに田中君は真面目に授業にも出てるし、提出物も問題ない。卒業論文自体もまぁ、出来は良い方だったよ」

「じゃあ、なんで」

「なんでだろうなぁ、君の卒論とか提出物を見てるとね、引っかかるんだよね」

「どこにですか?」

「すごく表現が難しいけど、言いたいことを隠しているように見えるって感じかな」


 じっと、田中は先生を見る。大きな瞳にたたえた黒が、鏡のように田中の顔を写していた。


「誰だって、言いたいことを隠してますよ。僕は今もそのつもりですが」

「そうだろうね。でも、卒論とか宿題にもそれが見えるのは珍しい。生徒にとってはどうでも良くて、適当に流せば終わるものだからね。卒論とかは大変だなぁとは思うけど」

「何が言いたいんですか?」

「真面目だねってことだよ。こういうものにも真剣に取り組めるのは良い事だ。真剣に考えて、真剣に向き合ってるからこそ、地が滲み出る」

「多分、褒めてはないですよね」


 それなら卒論を認めてくれても良い筈だ、と。今度は田中の方から言外の圧をかける。

 先生は楽しそうにクッと笑った。


「とにかく、今のままじゃ駄目だね。とにかく駄目だ。君の卒論は受け取れない」

「じゃあ、どうすればいいんですか」


 半ば投げやりになっている田中の問いに、待ってましたと言わんばかりに先生は一枚の紙を渡した。

 文庫本と同じくらいの小さなスペースに6つの円が均等に並んでいる。円の内側には電話番号らしき数字が一個ずつ収まっていた。

 紙を見つめながら田中は自分の記憶を辿るが、その番号のどれも覚えがない。


「なんですか、これ」

「スタンプラリーだよ」


 理解ができず、田中は「はぁ」と声を漏らした。


「その番号が書かれている相手に電話して、会ってきてほしい。そして相手から丸のところに印鑑を貰って、全部集まったら私のところに戻ってくる。そしたら貴方の卒論を認めましょう」


 説明を聞いてもまるで意味のわからない条件に田中は唖然とする。


「一応、自分もあまり暇ではないのですが」

「暇なときに電話すればいいよ。そいつらは大体いつでも暇だろうし」


 あまりにもズレた答えに、田中はもう一度「はぁ」と答えた。頭にいくつか質問が浮かぶが、そのどれも口に出したところで流されそうで、やめた。


「じゃあ、頑張って。ダメ人間のスタンプラリー」


 そうして、半ば追い出されるように田中は部屋から出る。


「ダメ人間なんて言われる筋合いないと思うんですけどね」


 聞こえないように小さく愚痴って、田中は歩き始めた。

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