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「かなしみの子」  作者: 新開水留
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[8]車内にて



 それまで実家暮らしをしていた辺見先輩が、このタイミングで文乃さんが経営するマンションへと移ることになった。というのも、生まれ育った故郷で余生を送るべく、長い間お世話になった老夫婦が引っ越すことが決まったとの話を文乃さんから聞きつけ、空き予定の部屋へ転居を申し出たのだそうだ。

 その老夫婦が引っ越しを完了した翌日、文乃さんはご夫婦の新しい住まいへと様子を見に車を走らせた。利便性のよいマンション生活が長かった彼らの為に、入居先のことまで相談にのって世話を焼いていたそうだ。

 思い出の地を終の棲家に、と聞けば言葉の響きは美しい。しかし実際に見つかった入居先は築年数の経過した木造平屋の賃貸とのこと、なるべく生活環境を変えないで済むようにとあれこれ人脈と知恵を駆使したそうだ。文乃さんらしい話だと思う。自分が経営するマンションから出ていった人間を、大家がそこまで気に掛ける話など聞いたことがない。

 その日、相談事を抱えて文乃さんを訪ねた僕は、

「すみません、新開さん。これから、ロングドライブに出かけるもので」

 と微笑んだ彼女に、勢い任せで同行を願い出た。文乃さんは目を丸くして驚いたが、

「夏休みですから」

 と言い訳する僕に、

「そういうことでしたら」

 と、笑顔で頷いてくれた。

 本人は気にしているというが、小柄で、丸い顔立ちの可愛らしい人である。

 初めてお会いした時はショートヘアだったのが、出会って一年が過ぎようとする今は、両肩に毛先が届くくらいのミディアムヘアだ。白色のブラウスに、濃いグレーのロングスカート。左手にはショルダーバッグ、そして右手には麦わら帽子を持っている。

 文乃さんが準備していたレンタカーの助手席に乗り込む瞬間、「なんて良い日だ」思わず僕はそう呟いた。

 聞けば、行く先は東北地方にある海沿いの小さな町だそうだ。予想以上に遠くて驚いたが、どうにでもなれと思った。

「お身体はもう、すっかり?」

「はい、おかげさまで」

 こちらから話を振り続ければ、ハンドルを握る文乃さんの横顔を見つめる口実になる…。

 そう思い付いた瞬間、もう僕はまともに彼女の方を向けなくなってしまった。話がしたい。話をする必要がある。しかしそれを、口実だと思われることが嫌だったのだ。自分の青臭さと愚かな自意識に腹が立つ。文乃さんはそんなことで眉をひそめるような人じゃないと分かっている。しかし、分かっていても無理なものは無理なのだ。

「新開さんには言っていませんでしたが、入院後も何度か、まぼちゃん(幻子)が治療の手助けをしてくれていました。わざわざ病室まで来て、例の『手当て』を何度も。何度も」

「へえ」

 意外だとは、思わない。しかしこうして改めて聞くと、やはり幻子の行動力には感心せざるを得ない。

 文乃さんは昨年の九月、知人から相談を受けた怪現象の調査を行った際、現場である知人所有のマンションで、生死の境を彷徨う大怪我を負った。常人であれば即死、良くて重度の後遺症が残る程の外傷をその身に受けたのである。そして救急車が到着するまでの間、ほとんど虫の息だった文乃さんの命を繋いだのは、三神幻子の行った霊的治療であった。

「御存知だとは思いますが、彼女自身、何度も辛い目に会ってきました。それでもまぼちゃんは、イチミリたりとも曲がらない純粋さを持ってる。その強さは、鉄の意志とか鋼の心とか、そういうことではない気がします」

「…強さ」

「強さって、優しさだと思うんですよ、新開さん」

「優しさ。そうですねえ。なんか、幻子って常に動いてる気がしませんか。以前も、三神さんに聞いたって、彼女が今どこで何をしているか分からない時があるって」

「ええ。だけど、決して怠惰に遊び惚けているわけではないんだと思います。もっと、遊べばいいのにと思いますけどね」

「仕事をしているんだと?」

「彼女は、夢を見ますから」

「…なるほど」

 幻子は予知夢を見る。未来を知る事が出来るのだ。しかしその未来が何故起きてしまったのか、事象へと辿り着く過程を見ることはどうしてもできない。そのせいで彼女は何度も苦しみ、選択を迫られて来た。自分にできることはなにか、自分は何をするべきなのか…。

「まだ、十八歳なんですけど」

 文乃さんの言葉に、僕は頷いて前を向いた。彼女の声が震えている気がして、一瞬たりとも見てはいけないと思った。

「そう言えば」

 と、文乃さんが言った。「辺見さんから聞いたのですが、大学のご友人のお話、どうなりましたか?」

「…あああ」

 僕は自分が文乃さんを訪ねた理由を思い出し、溜息をついた。そして本当は、自分がこの話をしたくなかったのだと気づかされた。



 結論から言えば、大貫の妹である深香ちゃんは見つかっていない。

 僕は大学で大貫に会い、自分の目で見た事を正直に伝えた。もちろん公安である坂東さんから口止めされた、『ドメニコ』なる怪人物についての詳細は口に出来ない。しかし、廃業後の結核病院跡では確かにいかがわしい犯罪が横行し、その場で出会った少女の証言を鵜呑みにするなら、深香ちゃんがその建物を訪れていた可能性は大いにあると告げた。

 大貫が心配していたような悪魔崇拝の宗教がらみではなかったが、その実態が不法な薬物の使用であったことは、あらたな悩みを彼に植え付ける結果となった。その後、踏み込んで来た捜査員に確認してみたが、逮捕された薬物使用者の中に深香ちゃんと思しき人物はいなかった。彼女がまだ家に戻らないのだとしたら、今だ逃亡を続けているか、その場で知り合った悪い友達の家に転がり込んでいるかだろうと、僕なりの見解を添えた。

 大貫は終始青ざめた顔を俯かせて聞いていたが、僕が警官に捕まった話をすると、すまなそうな目で僕の顔色を窺った。

「辺見先輩は、動いてくれなかったのかな…」

 蚊の鳴くような声で大貫はそう言ったが、

「彼女も僕と同様、現場で確保されたよ」

 と告げると、涙を流して何度も頭を下げた。

 泣いてる場合じゃないだろ。捜索願を出せ。

 僕はそう言って励ましたつもりだったが、あまり効果は得られなかった。

「それは…」

 大変でしたね。

 と、文乃さんは言った。

 気が付けば、ひた走る車の外は、すでに夜の帳が降りていた。

 僕は今日、大貫に話して聞かせた時には省いた事態の詳細を順に説明し、文乃さんの意見を仰ぐつもりで訪ねたのだ。しかしここへ来て、何から話してよいか、急に分からなくなってしまった。

 大貫に対して打ち明けなかった事がらは、主に三つある。

 まずは、現場で出会った少女の言葉である。「大貫深香は死んだ」「やがて自分も死ぬ」「ここには悪魔がいる」などのある種退廃的なセリフ回しは、年代特有の自意識からくる妄想だと取ることもできる。だがあまりにも内容が不穏すぎて、そのまま伝えることは出来なかった。

 そして二つ目は、ドリスが捕まっていないこと。聞かれたら答えるつもりでいたのだが、大貫は聞いてこなかった。こちらからそれを打ち明けてしまうと、今もって行方の知れない深香ちゃんの失踪と関連付けて考えてしまい、恐怖と不安がいや増す。しかし僕の直感は、ドリスの逃亡と深香ちゃんの失踪は無関係だと告げている。坂東さんもドリスについては「捕まえる」と断言した以上、おそらく時間の問題なのだろう。

 最後に三つ目。

 これが、大問題なのだ。

「三つ目は…なんですか?」

 なかなか説明を続けない僕にしびれを切らし、文乃さんはそう言って僕をチラチラと見やった。

 僕は前を向いたまま唇を噛み、無言を通した。

「え?」

 彼女は僕が怒っているのかと思ったらしく、少し焦った声を出した。僕はその声に驚いてしまい、

「いや」

 とだけ答えた。

「…あの」

「二つでした。ごめんなさい、二つでした。大貫に言わなかったことは、その二つです」

 赤信号になり、文乃さんがブレーキを踏み、車が停車する。

「新開さん」

「はい」

「私を見て下さい」

 言われて反射的に彼女を見やると、文乃さんは口を丸く開いて、大きく息を吸い込んだ。

 そして、僕の見ている前でゆっくりと、思い切り頬を膨らませた。

 僕は弾かれたように大笑いし、釣られて彼女も声を上げて笑った。

 やがて車が再発進し、ひとしきり笑い終えた文乃さんが、言った。

「どうか、話をしてください。隠されるくらいなら、まだウソをつかれる方がいい」

「…そうなんですか?」

「見破りますから」

 まだ笑い声を含んだ彼女の言い方に、僕は頭を振って呆れた。

 大好きなんですと、言ってしまおうか。

 窓の外を見ながらそう思い、しかし後方へ流れゆく街灯の明かりを見るうち、馬鹿な考えはすぐに消えた。



「文乃さんは、チョウジの坂東さんと、どのようなご関係ですか?」

 



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