[51]傷をつなげて
「お、おかしいじゃないか!」
そう上擦った声を上げたのはもちろん、僕だ。
「ありえない。文乃さんは文乃さんだ。はじまりだって? 僕が、文乃さんの末裔だって? 一体なんの事言ってるんだ。彼女の年齢は二十四か二十五だし、僕は彼女の親友にだって会った事があるんだ!」
ほう。…それで?
眉間に浮かんだ苦笑を小さな頷きで揺らし、黒井七永は僕を見据えて言葉の先を促す。
誰が何を言おうと覆せるだけの真実を知っている。そういう顔だ。
文乃さんのことを何も知らない僕の反論に意味がないことなんて、最初から分かっていた。だけど「なんだ、そうだったのか」とすんなり受け入れられる話ではないし、実際それは僕だけに言えたことじゃなかったのだ。三神さんも、秋月さんも、幻子も、僕よりずっと付き合いの長い彼らですら茫然としている。
文乃さんは頭を下げたまま僕を見ず、そして誰も見ず、ただ小さな肩を震わせていた。
受け入れられるわけがなかった。
「そ、そうだよ、思い出した!」
僕は裏返った声で唾を飛ばす。
「しもつげむらで聞いたんだ! 玉宮さんのひ孫である文乃さんは、幼い頃に祖母である那周乃さんに連れられて、短い一時期あの村で過ごした事があるんだよ。そうでしたね、三神さん!? (※『しもつげむら』参照) 今もあの村で暮らす人からも僕はそう聞いた! だけど玉宮さんはそれを快く思わなかった。嫌いだったからじゃない。代々あの村でカナメ石を封印して来たあなた方は、自分の役目を他の者に肩代わりさせることを拒んだ!そうですよね!? 紅さん、玉宮さん!」
坂東さん…。
あなたが僕に伝えたかった真実って、こういう事なんですか?
だったら僕は。
「あ、それ私」
玉宮さんを振り返り見た僕の目の端で、黒井が手を挙げた。いたずらがバレた子供のように、顔の横で小さく右手を振っていた。ゆっくりと黒井に視線を戻す僕の背後で、「は?」そう声を漏らしたのは、辺見先輩だ。彼女もまた僕同様、しもつげむらで文乃さんのルーツを一緒になって聞いた。あの時聞いた幼い少女の話が、文乃さんではなく、黒井七永だったというのか?
「あの村は昔から面倒な村でね」
辺見先輩の疑問符などまるで無視して、黒井は僕に向かって話す。
「たとえどれだけ力のある霊能者だろうと、それこそ悪魔だろうと、入れない者は入れないんだよね」
「噓を言うな僕は入れたぞ」
反射的に返す僕に、「噓じゃないよ」と黒井も即答する。
「そういう『力では押し通せない結界』が張られた厄介な村なんだから。力で押すと、そのまま村全体がズズイと移動する。それぐらい強固な守りの内にあって、本来なら文乃も入れない。だからそこの若いの、今は二神って名乗ってるらしいけど、あいつもその弟子も、この神の子ちゃんだって入れないよ。入れるのは玉宮家がある村の玄関口まで。そこから先は村に元々住んでる住人か、今はそこの太った婆ちゃんの許可なしには誰一人入れないはず。もし入れたんなら、お前が覚えてないだけで必ず許可を得てる」
思わず僕の視線が三神さんを捉える。彼もまた思い出そうと必死に視線を彷徨わせていた。その目が見開き、やがて僕を見た。
「確かに、許可を出した」
そう言ったのは玉宮さん本人である。僕と三神さんの視線を受け、彼女は言う。
「村の麓にある海辺の喫茶店。その、六花の店を時折三神が尋ねて来ているのは気が付いていた。だが一向に村まで上がって来ることはなかったし、避けてるんだろうと思っていた。だけど、あの日は急にそっちから『困ってるそうじゃないか』と聞いて来た。だから…」
そうだ。
確かにあの日、玉宮さんは僕たちに向かってこう告げている。
「紅の家に行ってやれや、そう許可を出した」
黒井は満足気に肩をそびやかし、そう言っただろう、という顔をして見せる。だが話の先が見えない僕は、だからなんだという目で睨み返す。
「私なりに理由があってさ」
すねた子供のように、口を尖らせて黒井は言う。
「村に入りたかったんだ。あれは二十年程前になるのかなぁ、文乃のフリして村に入り込んだんだよ。疑うんなら文乃に聞いてみなよ。その話は知らないって絶対言うよ? 私の口からは話してないしね。あ、この際だからついでに神の子ちゃんのお呪いが私に効かなかった理由も教えて上げるよ。お前らがあの村でカナメ(天正堂開祖・大神鹿目)の結界と遊ぶちょっと前に、私あの村には既に入り込んでるんだ。だから別に、今になってそこの婆ちゃんたちに会いたい理由なんてないの。私が会いたかった方の黒井じゃあないの。だから、神の子ちゃんのお呪いは発動しなかったってわけ。わざわざイタリアまで会いに来たのにご苦労さん。私だって行ったり来たりで色々面倒だったんだから、おあいこだけどね」
動揺に瞳は震え、悔しさに奥歯を噛む幻子の頬が、ぐっと張りつめた。
かつてめいちゃんは突如現れたその人影を、『よくない人』と呼んだ。秋月姉妹の営む海辺の喫茶店を訪れ、扉一枚隔てた距離で秋月さんと睨み合ったのち、彼女に強力な呪力を打ち込んで去って行った。
そして、しもつげむらで代々紅家の世話を焼いて来た水中さんという名の女性は、ある時一本の電話を受けたと打ち明けてくれた。
『久しぶりに村へと訪れたいが、今はほとんど所縁のある住人は残っていないと思われる。玉宮家か紅家、どちらかを頼って訪問したいが、許されるだろうか』
電話の内容は、そんな話だったそうだ。そして水中さんは、許可を出してしまった…。
「カナメ石を持ち去ったりまた戻したり。村の騒動に関わっていた『若い女』とはやはり黒井七永、お前だったのか」
三神さんがそう言って黒井を睨んだ。が、黒井は数秒三神さんを見返した後、
「はぁ?」
と素っ頓狂な声を発して首を前に突き出した。
「持ち去ったり戻したり?」
しもつげむらのカナメ石とは、大人が丸く蹲ったサイズの黒くて大きな石だった。その石が、紅家の裏庭にある井戸の上に祭られていたのである。
件の水中さんは、かねてよりしもつげむらに伝わる村の因習を嫌っていた。その為、年に一度十月に行われるそ祭祀を中止に追い込む為の計画に、村の外からやって来る黒井七永を利用しようと考えた。その結果、永年村を守って来たとされるカナメ石の『御力を奪い去る』という、大それた計画が実行に移された。具体的には、外部の人間(黒井七永)が紅家の井戸の上からカナメ石を持ち去り、そしてまたもとに戻す、ということを何度も繰り返したそうである。本来『魔物から村を守る存在』として奉られたきたカナメ石が幾度となくその姿を消すのだ。村の動揺はすさまじかったと聞いている。
「そこのしわしわの婆ちゃんから話聞いてないの?」
黒井は言い、三神さんと僕と交互に見た。
「私は村には入れたけど、許可の得方が不十分だったせいで最後まで紅家の中には入れていない。けど婆ちゃんには、裏庭で会ってる。それに言っとくけど、私はカナメ石には指一本触れてないから。本当に何も知らないんだね、呆れた」
いや…僕はその話を知っている。僕だけじゃない。三神さんも辺見先輩も聞いていたはずだ。紅おことさんは、こう言ったのである。
『ボゲエーテエーテスマニ、オーアゴーンキヨージャガダ。ケッセダ。ショオーツゲラッハ、…アイジャ』
その時は日本語かどうかも分からなかった難解な言葉を、今もここにいる三神さんだけが理解していた。紅さんの言った言葉の意味は、こうだ。
『ボケていてすまない。女子が来よったんじゃがな、消え失せた。しもつげむらは、終いじゃ』
僕たちの視線を受けて紅さんは項垂れ、小さな体を更に小さくさせた。彼女は裏庭で行われた黒井の犯行をその目で見ていた。見ていたが、何をやったかを教えてはくれてなかった。
…いや、本当はそうじゃない。
僕たちはようやくそれらを理解し、心の底から震える思いだった。
黒井七永は、何もしていないのだ。
正確に言えば、村の住人に対してカナメ石が消えたり戻ったりする『幻覚』を見せていた。だがその反面、紅さんに対しては何も見せなかったし、おそらく黒井は実際何もしなかった。だから紅さんは、黒井が現れそして去った後も、何も教えられなかったのだ。ただ、『厄介な奴が戻ってきた』としか言えなかったのである。
「ひとつだけ、いいですか」
震える声で、辺見先輩が訊いた。
黒井は首を傾けて先輩を見下ろし、黙った。良いとも駄目とも答えない黒井の顔から、ここへ来て初めて笑みが消えた。おそらく黒井は、辺見先輩を嫌っている…。
辺見先輩はどこを見ているか分からない視線を彷徨わせながら、落ち着きのある声で丁寧に言葉をつないだ。だがどうしたってその声は震えていた。
「色々なことがありすぎて、よく、頭の整理がつかないのだけれど、今、ひとつだけ知りたいことがあります。…新開くんと文乃さんはもしかしたら、何かしらの運命の赤い糸で繋がっているんじゃないかなんていう妄想は、私個人としては、新開君のお母様の顔を見た時から薄っすらと、思い描いていました。だから、今どうしても知りたいのは、もしあなたと文乃さんが『魔物』と謗られて来たはじまりの姉妹であると言うならば、それは、あなた方お二人が、天正堂開祖である大神鹿目という人物を、…ころし」
いけない。
文乃さんの声が空気中を伝わる速度を上回り、二つのモノが疾風となって僕の真横を通過した。
芝の上に蹲るようにして座っていた辺見先輩に襲い掛かかる黒井七永の憎しみに満ちた目と、先輩の前に立ちはだかってそれを迎え撃つ文乃さんの力強い眼差しである。
「邪魔すんな弱虫」
「もう誰も傷つけさせない」
「クソ喰らえ偽善者」
「たとえそうでも、私は逃げない」
僕の中で、色々なものが崩れていくのが感じ取れた。
未完成だったが、誰が見ても分かる程度には明確な絵が描かれた、僕の心の中のパズル。この目で見、この耳で聞き、恐怖に震えながらが潜り抜けて来たこれまでの日々。思い出と言う名の、この二年間に経験した得難い全ての出来事は、しかしながら僕が描いた絵では、なかった。誰かが描いた絵を、見せられていたのだ。その時々で感じた僕自身の気持ちさえも、その誰かが用意したパズルのピースに思えるのだ。
虚しいとは、こういう事なのだろうか…?
だったら僕は、坂東さん、だったら僕は、何も知りたくなんてなかった。
何も聞かないままでいたほうが、よっぽど幸せだったんじゃないでしょうか。




