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「かなしみの子」  作者: 新開水留
47/55

[47]カルマ


 ワタシはーオレはー。

 ワタシはーオレはー。

 ワタシはーオレはー。

 少女はくり返し、僕の前に初めて姿を現した時と同じく物憂げな低い声で、愚痴をこぼした。


「もう疲れたよ、馬鹿ばっかりでさ。そう思うでしょ? …お姉ちゃん」


 僕の側で、文乃さんが音もなく両膝をついた。意識はあるものの、咄嗟に手を差し伸べた玉宮さんの介添えなしでは座っていることすら出来そうにない程、文字通り彼女は崩れ落ちた。

 少女が発した「お姉ちゃん」という言葉がめいちゃんの口真似でないことは、この場にいるほとんどの人間が理解した。幼い頃に訪れて以来、しもつげむらとは縁遠い暮らしを送ってきた文乃さんの事を、玉宮さんや紅さんがどれほど記憶にとどめているか定かではない。

 だが少なくとも、今回の一連の事件に巻き込まれて来た二神さんを除く僕たち全員が、「お姉ちゃん」というたった一言に込められた恐ろしい真実に、心臓を鷲掴みにされた。

 少女の目は憐みを浮かべ、糸が切れたマリオネットのような文乃さんを見つめている。

「これ…が」

 と、どこかで呻く声が聞こえた。

 文乃さんの妹であるという情報だけでは、想像する容姿や年齢にバラつきが生じることは否めない。ましてや僕と坂東さんは、しもつげむらで一度、黒井七永に会っているのだ。まさか中学生のごとき容姿であるなどとは考えもしなかった。

「ねえ。どこまで夢で見れてた?」

 と、少女は眼前の幻子に視線をやり、言う。

「黒井、七永さんですね」

 少女の問いをかわし、幻子が尋ねる。

 その名を聞いた二神さんが遅れて状況を理解し、奥歯をギシリと噛んだ。

 少女は目を丸くして黙り、左頬を膨らませ、プクッと音を果てて小さく息を吐き出し、次いで大きなため息をついた。

「ここで違うって答えたら皆混乱するんだろーなー」

 細めた目に悪戯っぽい笑みを浮かべてとぼけるその様は、悪意や卑劣さよりもまず先に、無邪気さが一番手前に来る印象である。

「どうして気づけなかったんだろう…」

 幻子の目に後悔の涙が浮かんだ。

「自分を責めちゃいけないよ」と、優しい声で少女は言う。「これまで私の正体を見破れた人間はいなかった。そういう意味じゃあ、一番近いところまで来たあんたが最も楽しめたかな。それでも正直、時間がかかりすぎてもう飽きてたんだけどね?」


 あ、飽きてた…?


「ねえ、どこまで夢で見れていたのか、教えなよ」

 まるで学校の教室で好きな異性でも尋ねるような少女の口調に、幻子は唇を結び、どう答えるべきが迷いを見せた。少女は続ける。

「あんたが夢見(おそらく予知能力を指している)だってことは、会った瞬間に分かったよ。ある程度先のことまで見えてるだろうというのも分かった。丁度私が日本に戻ったあたりから、あんたにはずっと妨害を掛け続けてる。今あんた、全く夢を見れてないよね? だから、私の正体に気付けなかったんだ。会心の一撃というか、良い線行ってたんだけどね。残念だねえ。私を『悪魔憑きのドメニコ』だっていう前提で話してるのを聞いて、ああ、やっぱりこいつも馬鹿だって分かっちゃったよ」


 少女の首から上が消し飛んだ。


 なんの前触れもなく撃った二神さんの熱線が、少女の頭を焼き尽くしたのである。が、

「もういいって、そういうの」

 少女の声は二神さんの背後から聞こえ、憑依された辺見先輩がロザリオの先端を二神さんの腰に突き刺していた。つまり、僕のすぐ隣でそれは起きたのだ。

 二神さん!

 辺見!

 当代!

 口々に思い思いの名を呼ぶ。しかし高らかに笑い手をたたく少女の声が、いやでも僕たちの視線を惹きつけた。幻子の前に立つ少女の顔は、一瞬にして復元が完了していた。

 二神さんは腰を押さえて数歩前へ出ると、「いたー」と声を漏らしつつ辺見先輩を振り返った。先輩は血の付いたロザリオを茫然と眺め、何が起きたか分からぬ顔で震えた。

「あ、あ、あ」

 首を振る辺見先輩に向かって、二神さんは言う。

「気にするな。後ろに立てと命じたのはワシだ。貴様に非はない」

 パチ、パチ、パチ。

 投げやりな拍手の音が聞こえ、見ると少女が二神さんを見ながら手を叩いていた。

「いやあ、自分でも完成度高いんじゃないかなあと思うよ。どうだろう、今のころ、私完璧だよね。ねえ、厄介なお兄さん?」

 少女の目が、僕を捉えた。

「私の計画の中にいてあんたが今も生きてるのは、この娘のおかげだよ。馬鹿なりに色々頑張ってたみたいだからさ、やっぱ感謝くらいはしたほうがいいよ。人として。そう思わない?」

「どういうつもりなんだよ」

 答える僕の肩を、二神さんが押さえた。その手は、彼の腰から流れた血でぐっしょりと塗れていた。

「相手をするな。アレはお前らなんぞにどうにかできるシロモノのじゃあないんだ」

 噛み締めるように言う二神さんの声が聞こえたのか、芯を感じさせながらとても丸みのある魅力的な音色を響かせて、少女が笑った。少女の声に魅力を感じている自分に、僕は虫唾が走る思いがした。

「シロモノ? 二神さんは、あいつをご存知だったんですか?」

 二神さんは答えない。

「僕は一度だけあいつに会ってるんです。あの時僕がもっと想像を巡らせていれば、些細なことでもいい、疑いを持って色んな可能性を考えていれば…」

「…今はよせ」

「よせ? 今更何をよすと言うんです? 全部終わった後じゃないですか。あいつが一体何をやったのか、あなたは本当に分かっておいでですか。あいつは…。おい! お前!一体どんな理由があってこんなことをするんだ!どういうつもりなんだよ!」

 突然指を差して喚き出した僕を見て、少女は目を丸くして口元を押さえた。可笑しくてたまらないのだろう。周囲の仲間たちも、こぞって驚いた表情で僕を見ていた。滑稽に見えるであろうことは、僕だって重々承知の上だった。

 だけど、どう取り繕っても心が静まってはくれないのだ。理解の追い付かない者たちにとっては、僕の言動は意味不明なものに見えただろう。僕は『それ』を口にすることは出来ないけれど、ただ黙っている事もできなかったのだ。

 二神さんが再度、僕の頬を平手打ちした。僕が叫ぶのをやめると、唯一、腹を抱えて笑う少女の声だけが真夜中の芝原に響いた。


 あっはっはっはっはっはっはっは!

  

「じゃあ、ドメニコっていうのは…ウソなのか?」

 そう聞いたのは、秋月さんだ。それともまだどこか別の所に潜んでるのか…。

 二神さんの放った熱線によってバラバラになったドメニコは、復元したかと思えば現れたのは見た事のない少女だった。そして、ドメニコと思っていた老人からはずっと若い女の声が聴こえていたという。その若い女が、かつて起きた二つの大きな事件の背後に見え隠れしていた西荻文乃の妹、黒井七永なのだとして、では、本物の悪魔憑きとして恐れられたイタリア人、ドメニコ・モディリアーニとは一体なんだったのか…。

 少女はピタリと笑うのをやめ、めいちゃんを抱き締めたまま芝の上に座る秋月さんを見据えた。

「ふーん」

 と、少女は言った。

「カナメを退けた現代の魔女ねー」

 そうも言った。

 少女は秋月さんを指さし、「やるね」と微笑んだ。

 その瞬間秋月さんの頭部がスイカ割りのように真っ二つに裂けた。

「ヒッ」

 めいちゃんがガッと目を見開いたまま痙攣し、後ろへ倒れた。だが倒れゆくめいちゃんの身体を支えたのは、頭を割られた秋月さん本人だった。

『じゃあ、めいをあんな目にあわせたのもドメニコじゃなく、文乃の妹だったっていうわけ…?』

 秋月さんはわずかに後方へ背を反らしたものの、すぐさま上体を立て直して少女を睨みつけた。その時には既に、普段通りの綺麗な顔に戻っていた。『日本一の治癒者(ヒーラー)』と神の子に称された、これが秋月さんの誇る超高速の治癒能力だ。

 少女は驚いた目で大袈裟な拍手を送り、そして芝居がかった目で僕を見た。

「まあ、こういうことなんだよね」

 と少女は言った。「何百年経ってどれだけ血が薄まろうともさ、これだけのことをやってのけるわけだよね。そりゃあ、退屈もするし、遊びの方法だって手が込んで複雑化していくよ。だってこれだもん」

 少女が何を言っているのか、誰にも理解出来なかった。ただ、恐ろしい事を言わんとしている不穏な空気だけを肌で感じ取っていた…。

 と、その時だ。秋月さんの傍らに座していた紅おことさんが、突如気勢を吐きながら飛び上がったのだ。

 老人とは思えぬその跳躍は一足飛びに少女までの距離を詰め、幻子をも飛び越えて踊りかかった。

「触るな虫けら」

 少女の一声に、紅さんの小さな体が地面に叩きつけられた。その瞬間紅さんの身体から三匹の土蜘蛛が飛び出して少女に襲い掛かった。が、それらも少女に傷ひとつ付けることなく見えない壁に阻まれ、その内一匹は少女の手中に落ちた。

「一度目はまあ許すよ。でも二度目はないね。恥知らずめ」

 少女が蜘蛛を握り潰すと、地面に倒れ込んだ紅さんが胸を押さえて激しくのたうち回った。

「お母さん!」

 叫ぶ秋月さんよりも早く、三神さんが紅さんの足を掴んで体ごと引き寄せ、そのまま円盤投げの要領で背後へ放り投げた。立ち上がった秋月さんが手を伸ばし、あともう一歩踏み込めば、『神に愛された女』の治癒が瞬く間に紅さんを癒すはずだった。

「天罰」

 少女の声とともに、紅おことさんの身体がビタンと折り畳まれた。

 少女が顔の前で合掌し、両手の隙間に向かって「ふっ」と息を吹きかけた。

「えいや」

 子供のような掛け声とももに少女が手を擦り合わせた瞬間、紅さんの身体は空中に浮かんだまま体積を失ったように押し潰された。誰もが言葉を失い、ただただその光景を見つめるだけだった。

 ボトトト、粘り気のる大量の血が滴り落ちた。

 少女は屈託のない目で文乃さんを見やると、「見た?」と聞いた。

 やめろッ!

 と僕は叫んだ。声が出ていたかどうか、覚えていない。だが、僕は絶叫したはずだ。こんなこと、許されていいわけがない。


「どーお? お姉ちゃん見てた? 煎餅布団みたいじゃない? これで私もお姉ちゃんと一緒だよね。あー、汚ったないなあ、やっぱり。でも、あれだね。お姉ちゃん程うまくはいかなかったかもしれないね。お姉ちゃん凄いよねえ。だって二人同時だったもんねえ。あっははは!」


 僕が『それ』を口にするまでもなく、真実は悪魔の手で暴かれてしまった。

 内藤さんご夫婦を死に至らしめたのは、幻覚を見せられた文乃さんの持つ霊力だった。

 そして文乃さんに幻覚を見せたのは、ドメニコなどというイタリア人でも悪魔でもなく、実の妹である黒井七永だったのだ。

 古き友人をその手にかけるという一生消えない人殺しの烙印を、文乃さんに押しつけたのである。

 しかもそれは、この現実世界では決して立件しようもない超常的な力を用いての、たった一人、文乃さんだけが生涯背負い続ける残酷な業に他ならないのだ。

 


 あっはっはっはっはっはっはっは!

 あっはっはっはっはっはっはっは!

 あっはっはっはっはっはっはっは!

 あっはっはっはっはっはっはっは!

 あっはっはっはっはっはっはっは!

 あっはっはっはっはっはっはっは!





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