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「かなしみの子」  作者: 新開水留
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[4]咳


 昭和の二十年代まで、結核は不治の病として人々から恐れられてきた。飛沫による空気感染で拡大するおそれがあるため、罹患した人々は隔離された療養施設へと送られ、時にはその家族までもが忌避の対象となった。医学の進歩により結核は治せる病気となったものの、現在の日本においても発症する患者は一定数存在する。

 山の上の結核病院が閉院した理由など僕が知る由もないが、おそらくは時代的なものだろうと推測される。予防接種のワクチンや特効薬が存在する昨今、現世から離れて一人寂しく保養するような施設は不要とされていったのだろう。

 ただ、今にちまで建物が取り壊されずに残っていることについては、事情が複雑すぎてよく分からない。土地建物に詳しい友人がいるにはいるが、何故そんな事が知りたいのかと逆に質問されても困るので、今回の件に関しては調査していない。

 大きく左へとカーブする道に差し掛かったあたりで、見上げた木立から突き出る黒い建物の端が視認出来た。僕は携帯の電源を落とし、懐中電灯を消した。

 月が出ている。ただ歩くだけなら問題ない程度には夜目がきく。

 大貫から相談を受けた時、交わした約束がふたつある。まずひとつは、調査を行ってもよいが、ただではやらないこと。なにがしかの報酬をいただく。移動費や飲食代などの、いわゆる人件費というやつだ。そしてふたつめ目は、望むような完璧な解決を期待しないで欲しいということ。この両方が承諾できないようであれば他を当たるか、大貫自身で調査を行ってほしいと僕は答えた。知人であるということを理由にタダ働きする程おひとよしではないし、周囲がどう思おうと僕も普通の大学生だ。この世ならざる者が見えるからと言って、オカルトの類をなんでも解決できるわけじゃない。

 言い忘れたが、辺見先輩や三神師弟同様、僕にも僅かながら霊能力が備わっている。この世ならざるものを感知し、肉眼ではっきりと捉えることが出来る。僕が胸を張って宣言できる力は、この程度でしかないのけれど。

「俺は何も、お前に全部やってもらおうなんて思ってないぞ。俺の方でも色々と調べはしてるんだ、それよりも」

「それよりも?」

「どうなんだ、引き受けてくれると思うか?…辺見先輩は」

 大貫の言葉に、額からどっと汗が噴き出た。僕は自分が頼られたと思い込み、実は大貫の目が最初から辺見先輩に向かっていたことを今更思い出したのだ。引っ掛かるのが、辺見先輩とは去年の夏にも大学構内で起きた心霊騒動に何度か巻き込まれた。だが当時から今年の夏までの間、彼女は一度として自分が霊能力持ちであることを公言していないのだ。にも関わらず、周囲から頼られるのはいつも辺見先輩の方である。

 しかしながらそういったプライドとは全く別の問題で、辺見先輩をこの事件に巻き込みたくない思いというのもまた、僕の正直な気持ちとしてあった。

「どうだろうね。彼女の好みじゃないかも」

「そこをなんとか、よろしく頼むよ」

「…妹さんも心配だしね。とりあえず、僕一人で動いてみるよ」

「ほんとか、恩に着る」

 大貫はそう答えはしたものの、一瞬落胆したような表情を浮かべた。辺見先輩の人気が絶大なのは今に始まったことではない。しかし、そのことと僕自身の評価が下がることに因果関係などあるのだろうか。僕は微笑んで頷き返すも、なんとなく冷静になれない自分自身に不思議な思いがした。

 僕はこんなに、心霊騒動に前向きだったっけ…?



 建物を外から見た限りでは、人の気配をまるで感じなかった。大貫は「夜な夜な」という言葉を用いたが、実際にはそこまで頻繁ではないのかもしれない。今日は、特になにも起こらない日なのかもしれない。僕は一瞬帰ろうかと思ったが、落胆した大貫の顔がチラついた。

 晴れた日で良かった、と思う。

 月の出ている夏の夜空は明るく、低い山の頂上といえども星が見れた。

 一般的に病院と聞いて想像する、総合病院のような規模ではない。田舎の個人病院よりは大きいものの、三階建ての、小学校の校舎のような簡素な外観をしていた。正面玄関から見て右側にはさらに一回り程小さな二階建ての建物があり、おそらくそこが養護施設なのだろう。

 僕は雑木林の中から建物の周囲を注意深く観察した後、正面玄関から中に入った。

 入り口は自動ドアではなく、三段程のステップを上がった先に観音開きの扉があった。ガラス張りではない為、本来中の様子が伺えない扉を開くには勇気が要る。しかしこの時扉は片方が外れて傍らの壁に立てかけてあり、侵入するのは容易だった。

 目の前に広がる受付カウンターと待合スペースを拠点に、左右へと廊下が伸びている。人の気配はない。

 僕は再び懐中電灯を点け、足元を照らしながら右の廊下を歩き始めた。


 …。


「ん?」

 思わずそう声を出して、立ち止まった。一人で居る時にあえて声を出してしまうのは、恐怖に心を支配されている証拠だ。しかし、「何かが聞こえた」、と自分に言い訳する。

 僕は自分が立ってる廊下の上下左右を懐中電灯で照らし、耳を澄ませた。

 遠くで風の鳴る音が聞こえる。古いとはいえ、見た所木造建築ではない。その為劣化による軋みなども聞こえてはこない。

「気のせいか」

 あえて僕は小さく独り言ち、先を進んだ。


 …コホ。


 僕は思わず廊下の壁に背を預け、元来た道と向かう道を交互に照らした。

 確かに聞こえた。

 咳をする音だ。

 音がどこから聞こえるのかは分からない。廊下を歩きながら一部屋一部屋中を覗いたわけではないから、そう言った意味では、どこに不審者が潜んでいても不思議ではない。僕は大貫の話を聞きながら漠然と大広間のような部屋を想像しており、なんとなくそれは食堂のような場所ではないかと当たりをつけていた。入院患者が療養に使う小さな個室やトイレなどは、最初から確認する気がなかったのだ。


 …ゴホ。ゴホゴホ。


 僕は懐中電灯を天井に向ける。

 音は、この上から聞こえてくる。

 結核は又の名を労咳と言い、特徴的な症状としてまず『咳』があげられる。


『閉鎖された廃病院に、咳をする幽霊か。…出来過ぎじゃないか?』


 どうやら建物の中に誰かがいる事は、間違いないようだった。





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