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「かなしみの子」  作者: 新開水留
26/55

[26]動機談義


 あの晩、『加藤塾』にて壱岐さんから聞いた、ドメニコが海を渡ったその動機については、推測を持ち寄り信憑性の高いものを選択していく方法でしか、真実に近付く術はないというのが一同の総意だった。

 そもそも、黒井家に会いに来た、というのが仮に本当だとして、そこにはどんな意味が隠されているのだろうか。拘留中の『D』ドメニコの話す内容が全て真実であるという可能性は低いとしながらも、坂東さんは次のような仮説を口にした。

「奴が本当に悪魔憑きだったとして、何故黒井家の人間に会う必要があるのか。仮に、己に巣食う悪魔を取り除いてもらいたいと考えたのであれば、何故本国の教会じゃないのか。あるいはそもそも、黒井の家と奴の間に繋がりがあったのではないか…」

 僕の目が無意識に秋月さんを見た。

 この場所に集う面々の中で彼女だけが、唯一黒井家の血を引いている人間なのだ。坂東さんの言葉に、彼女が動揺しないわけがないと思った。だが、秋月さんは特にこれといった変化を感じさせない綺麗な顔で、

「はい」

 と右手を上げた。そして、

「その家自体、もう滅んでるんだけど」

 こともなげに彼女はそう言って、坂東さんを見据えた。

 とそこへ、

「冗談を言うな」

 と壱岐さんが割って入った。「秋月、気付いてないと思ってるのか?」

 かつての上司であった壱岐さんの口調は、傍で聞いていても恐ろしく高圧的に感じた。それでも秋月さんは一向に動じることなく、

「は?」

 と挑発的な声色を返した。三神さんが一瞬、笑った。

「私が西荻文乃を呼んで来いと言った理由もそこにある」壱岐さんは構わずに続ける。「我々の調べによると、秋月と西荻の両名は、しもつげむらから失踪、あるいは命を落としたとされる紅家と玉宮家の血縁であると答えは出ている。私の下で職務を全うしている期間に一切その素振りを見せなかったことは、この際不問としよう。だが秋月、これ以上とぼけた返答はするな」

 いいな?

 と念を押す壱岐さんの目は、同胞に向けられた目には到底思えなかった。

 秋月さんはしばらくの間壱岐さんを睨み返し、やがて観念した様子で溜息をついた。

「返事は?」

 尚も追いすがる壱岐さんに、

「その上司面をやめてくれるんなら真面目に答えるよ」

 と秋月さんが言い放った。

 ビリビリと音がするほどの緊張が走る。

 今度は壱岐さんが口を噤み、「良いだろう」、そしてあっさりと折れた。壱岐さんは言う。

「質問がある。秋月さん、あなたを黒井家の一族と見なした上で確認したい。紅、玉宮両家の当主とDが、旧知の間柄であったという可能性は、考えられないだろうか?」

 急に口調をがらりと変えた壱岐さんの言葉に狼狽えながらも、秋月さんは真剣に考えを巡らせた様子で、

「それは、正直分からない」

 と答えた。

「分からないとは?」

「あの村の側に住み始めて、まだ十年も経たないんだよ。自分の素性を村の人間にも隠したまんまで、なんだかんだ理由をつけて出入りしてたのだって、年に一回とかだった。最後の方は半年とか、もっと頻繁に通う事もあったけど、そもそも小夜さん(玉宮さん)にも、…母さんは私の事を話してなかったんだ。そういう人達に過去何があったとか、それこそどういう交遊関係があったかなんて、私が知るわけない」

「紅おことからかつて、何かそれらしき話を聞いたということは?」

「だから、ないって。あと呼び捨てにしないで。こっちは別に家を継いだわけでもないし、自分の事をほとんど話さない人だったから」

「西荻はどうだろう。何か知っていると思うか?」

「分からない」

「ん?」

「そもそも会わないんだよ、文乃とは。…あー、あわないってのは別に性格的にとかじゃないよ。出会わないってこと」

「意識して?」

「別に。親戚の子とそんな頻繁に会ったりする?」

「するが」

「へえっ」

「もう一つ聞いておきたい」

 秋月さんは正直、自分ばかりに話の矛先が向かうことを面白くないと感じていたと思う。だが嫌悪感を顔に出しながらも、どこかで仕方がないと諦めている風でもあった。

 壱岐さんは言う。

「これは、秋月さん以外の皆にも聞いておきたい。もし、仮に、Dが、しもつげむらの紅、玉宮両当主と何らかの関係にあったとして、そして彼女らの死を知らぬまま渡航を決行したとして、先程坂東が言ったような事が可能なのだろうか?」

 必要以上にかみ砕いてゆっくりと話す壱岐さんの言いたい事は、理解できる。が、分かっていても口に出せる意見など、少なくとも僕にはなかった。

「悪魔祓いか?」

 と、三神さんが尋ねた。やはりこういった場面で何かを言えるとしたら、彼以外ない。

 低く、含みのある三神さんの声に、壱岐さんは喜びを滲ませた口調で、

「ご意見を、お聞かせ願いたい」

 そう言って頭を垂れた。

「不可能だろうな」

 あっさりと、三神さんは答えた。「というか、おことさんや小夜さんだけじゃない。どれほど高名な霊能力者や法術師、あるいはワシら拝み屋と言った加持祈祷の専門家を呼んだところで、悪魔祓いは出来ない。日本人にはまず無理だ」

 壱岐さんは真剣な面持ちで三神さんの言葉に耳を傾け、続きを待った。

「血と文化圏の問題だ。言葉の壁もある。ワシや幻子が扱うまじない一つとってみても、同じ日本でもその土地や相手によっては上手く発動する時とかかりが弱い時があるぐらいだ」

「具体的には?」

「あー、そうさなぁ。…とある地方都市に忌み地とされる場所があった。新居を構えた住民が次々と不幸に見舞われ転居を余儀なくされ、他所から来て移り住んだ人間も長く居付かない。聞けば呪われた土地ではないかとかねてより噂があるという。かつて人死にが多く出た土地かと出向いてみれば、なんのことはない。住民たちが自らで、その地に死霊を閉じ込めていたんだ」

 話を腰を折らぬよう、三神さんの話に聞き入っていた壱岐さんの眉間に、深い縦皺が刻まれる。

「地蔵盆が盛んな土地でな。いわゆるお盆に近い旧暦七月の二十四日のみならず、毎月、街中で祭られている辻地蔵を対象に縁日を催し、祭が行われていた。どうだね、新開の。辻地蔵、と聞いて思い浮かぶものがありはしないか?」

 突然話を振られて僕は驚いたが、実を言えば三神さんの話の中に、確かに思い至るものがひとつだけあった。

「…道祖神、ですか?」

「さよう」

 三神さんは温かな眼差しで僕に頷きかけた後、やがて壱岐さんに視線を戻した。

「災厄を退けてくれる路傍の神である道祖神信仰と、いわゆる街のお地蔵さんはほぼ同体と考えてよい。だが、これが立て過ぎるとよくない。詳しくは長くなるので省くが、信仰が強ければ強い程、祈りの神である道祖神、お地蔵さんの効力もまた上がる。だが考えても見ろ。方位や立地を考えぬまま無差別に建立され、街の至る所で不浄なるものを互いに弾き飛ばしあっているのだ。その土地で死んだ霊魂たちは皆、なんらかのきっかけで発現した瞬間から行き場を失うように一か所へ追いやられていた。それが、忌み地とされた区画の正体だ」

「祓えばいいじゃないですか」

 と壱岐さんが言う。

「祓ったさ。だが根本的な解決にならんよ。時が経てばまた同じ結果を招く。ワシや幻子がどれほど現状を説明しようが全く聞き入れないどころか、そもそも理解を得られないんだ。その街の住民たちは熱心に地蔵を祀り、決して悪い事をしているわけではない。どれほどワシらがあの手この手でまじないを施そうと、頭からワシらの言う言葉を信用しない。そういう場所では、根本的な除霊は不可能だ」

「なるほど。で、その話と悪魔祓いは、どうつながるんです?」

「壱岐くん、これは呪い師としての講習か何かかね?」

「冗談はいらないと言ったはすですよ、三神さん」

「つまらんな」

「何が」

「考えれば分かるだろう。同じ言語を操る我々日本人ですら、その土地の風習や文化が違えば会話にすらならんのだ。そも、日本人は悪魔の存在には懐疑的だ。信じていないと言ってもいい。信じていない者が、その者の内に潜む文化圏の違う魔の存在とどのように対峙するというのだ。キリスト教における信仰の重要度は凄まじいぞ。無信仰を気取る今時の日本人には到底理解が追い付かんだろうな」

「ふむ」

 満足のいく返答が得られた様子で、壱岐さんは何度も首を縦に振った。

 だが、


「問題はそうじゃない」


 室内に朗々と響き渡る三神さんの声が、いきなりその色を変えた。

 済んだはずの議題が蒸し返され、壱岐さんの鋭い視線が飛ぶ。「問題?」

 三神さんは頷き、忌々しいものを見据える視線を誰もいない空中に定め、こう答えた。

「バンビが言うたように、奴が悪魔祓いを求めて海を渡ったのであれば、黒井一族ならば悪魔祓いが可能であると、ドメニコが信じていることになる。それが怖いのだ。実際、悪魔祓いを求めているならまだ良い。だが問題は、もう一つの可能性だ」



 …悪魔祓いが可能な一族であるからこそ、黒井を滅す。例え事実がどうであれ、奴がそう考えているのであれば話の行く末は大きく変わって来るぞ。


 

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