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「かなしみの子」  作者: 新開水留
24/55

[24]皆で一緒に


 秋月姉妹が都内でホテル暮らしをしていると聞いて、事態が落ち着くまで自分の部屋にいてもらって構わないと辺見先輩は申し出た。引っ越しの手伝いをお願いした日はそのまま泊まってもらい、提案を持ちかけたのは明くる日の、夜である。

 そういうつもりで引っ越しを手伝ったわけじゃないと、はじめ秋月さんは断った。しかし、金銭的にはまだ余裕があるとしながらも、妹のめいちゃんについて話が及ぶと、やはり彼女も気弱な一面を見せた。

 『名前のない喫茶店』にて、めいちゃんは人が死ぬ瞬間を目の当たりにした。

 それは昨年の冬、『しもつげむら』にて命を落とした紅おこと、玉宮小夜姉妹の死とはやはり趣が違ったのだ。しもつげむらでの事は、正しい表現ではないかもしれないが、ある意味非日常と言えなくもない。中学生だっためいちゃんにしてみれば、悠久の年月を経て復活した天正堂開祖など、どうしたって現実的な向き合い方は出来なかっただろう。

 もとより霊感のあっためいちゃんだからこそ、大神鹿目という存在は「強烈な存在感を放つ悪霊」にしか見えなかったはずで、悲しい結末を迎えた紅さんと玉宮さんの死もまた、悪夢に近いようなしろものだったはずだ。そして何よりも非現実たらしめている大きな理由として、紅さんと玉宮さんのご遺体がいまだ見つかっていない事があげられる。ともに八十を超えた高齢者であり、紅家の裏庭にあった井戸へ落ちて行く様をその場に居合わせた全員が目撃しているにも関わらず、遺体は出ていないのだ。現状、お二人は失踪中という扱いのままである。

 ところが今回の件でめいちゃんは、先程まで笑って話をしていた男性が車に跳ねられ、砂浜に激突して首の骨を折るまさにその瞬間を見てしまったのだ。

 彼女の受けた心痛の度合いは、並大抵の衝撃ではない。

 シャワーを浴びているめいちゃんを気にし、お風呂場の方を振り返りつつ秋月さんは言う。

「丁度今夏休みだから学校はないし、たまには東京で遊ぶのも楽しいよなんてあの子は言うけどさ…。二人で出歩いててもあんまり笑わないし、ずっと、何かに怯えてるようにも見えるんだ」

 無理もない。

 実を言えば、坂東さんの勧めで東京に出て来た姉妹だが、その最たる理由というのもめいちゃんにあるのだ。

「今店に戻っても、きっとめいは亡くなった岩下俊司さんの声を聞いてしまうと思う。バンビがどこまで理解して気をつかってくれたのか知らないけど、私がこっちへ出て来た本当の理由は、そこなんだ」

 めいちゃんは死者の声が聞こえてしまう。意識して遮断することもある程度は可能だそうだが、不意をついて聞こえてくるこの世ならざる者の声を、完全にシャットアウトすることは出来ない。

「だけど、東京に来てからもなんだか落ち着かない様子でね…」

 だったら。

 尚の事、この部屋で三人でいた方が、まだホテル暮らしを続けるよりはマシなんじゃないだろうか。

 辺見先輩の提案に、秋月さんは考え込むような表情を見せた。

 このマンションなら、私もいるし、下の階には文乃さんだっていますよ。

 先輩がそこまで言ってもなお、秋月さんは、

「私一人では決められないよ」

 と苦笑して首を傾げた。

 全てがめいちゃん優先なのだなと、辺見先輩はこの時初めてと言って良いほど、秋月さんのめいちゃん対する愛情の強さを知った。

 シャワーを浴びて出て来ためいちゃんに早速提案すると、すぐさまその表情は花が咲いたように明るくなった。だがそれも束の間、実を言えば…とめいちゃんは胸中を話し始めた。

「実は、東京に出てきてからの方が、嫌な声を聞くことが多いんだ」

 嫌な、声?

「あの世からの、声」

「なんで言わないんだよ」

 と、秋月さんは肩を落とす。

 心配かけたくなかったんですよ、と辺見先輩は助け舟を出し、どういった声なのかとめいちゃんに尋ねた。

「男の人の声だと思う。唸るような、低い声で歌うような。でも、…すっごく気持ち悪い」

 …今も?

「それが」

 めいちゃんは頷いて、言った。

「声が、大きくなってるの」

 辺見先輩はぞっとして秋月さんを見た。

 大きくなるとはつまり、気持ちの悪い声を発している何者かがめいちゃんに向かって近づいて来ている、という風にも取れる。今この状況でそういった話を聞けば、嫌でも声の主がDなのではないかと想像してしまう。しかし、めいちゃんはドメニコの顔と声を知らない。考えた所で、分かるものではなかった。

「そいつが今、どこにいるか分かるか?」

 秋月さんの問いに、めいちゃんは頭を振る。

「分かんない。東京にいると思う。だけど、この街は色んな声がものすごく大きいの。遠退いたり近づいたりしながら人に紛れてる。そういう距離感を掴ませない感じも、とても気持ちが悪いんだ」

 ここも、安全じゃないってことだね。

 辺見先輩が嘆くと、しかしめいちゃんは明るい笑顔で首を横に振った。

「嬉しいよ? 辺見先輩」

 僕を真似てそう呼んだめいちゃんの瞳を間近に見据え、辺見先輩は思わず彼女を抱きしめたという。

 そして先輩は秋月さんに、どこかもっと安心して生活出来る場所はないかと尋ねた。

 秋月さんは言う。

「安心、安全と言われて思い出すのはそりゃあ、天正堂本部かな。東京からも近いし、凄腕の拝み屋が揃ってる。三神さんの名前出せばまあ、匿うくらいはしてくれるだろうけど」

 けど?

「ご存知の通り、三神さんはまぼを連れておん出てるからね。それに、歴史のある団体だからさ。もちろん良い面もあるけど、悪い面だってあるんだよ。あまり詳しくは言えないけど、後ろ暗い歴史を抱えてる組織でもあるってことは覚えておいて。まあ、何が言いたいかっていうと…オススメはしない。それならまだ、チョウジの方がいいかな。バンビもいるし」

 私、壱岐さんって人嫌いです。

 辺見先輩がそう断言すると、秋月さんとめいちゃんは思わず吹き出して笑った。

「となるとなあ。…ああ、そう言えば良い所があるよ。ここからでも車で二時間もあれば、行けないこともないね。もう夜だし、道も空いてるだろうから」

 場所を尋ねる辺見先輩に対し、秋月さんは聞き慣れない言葉を口にした。

 それが人の名前なのか土地の名称なのか分からないが、秋月さんは確かにこう言ったそうだ。

「テンケンさんだよ、テンケンさん」




 文乃さんから車を借りたそうだ。

 運転席には秋月さんが座り、後部席に辺見先輩とめいちゃんが座った。

 そして、助手席には文乃さんが乗った。

 秋月さんは、闇夜を切り裂くような強い眼差しでハンドルを握った。

 辺見先輩は小声ながら終始めいちゃんに話しかけ、少しでも気持ちの悪い声が届かないよう気を配った。

 文乃さんは静かな面持ちで真っすぐに前を見つめていた、という。

 少し、痩せたように思えたそうだ。だが誰もその事を口にせず、今はただめいちゃんの為に「安全な場所」を目指した。

 テンケンさん。つまりは、二神邸である。

「文乃。お願いがあるんだ」

 夜だということもあって、文乃さんの部屋の前に立った秋月さんは、呼出ブザーを押した後静かに語りかけた。彼女の背後には辺見先輩とめいちゃんもいて、唇を結んで反応を待った。

 しばらく経っても、返答はなかった。

「車を貸して欲しいんだ。こんな時間に悪いんだけど、どうしても行きたい場所があって。本当は文乃も一緒に来て欲しいけど、無理にとは言わない。すぐに返すから、今晩だけでも借りれないかな」

 低く、優しく語りかける秋月さんの言葉にも、やはり反応はなかった。

 秋月さんが振り返ってめいちゃんを見ると、彼女は難しい表情で首を傾げた。文乃さんの発する『音』が、上手く聞き取れない様子だった。

「…ふみっ」

 秋月さんが再度声をかけようとしたその時、鍵が外れて少しだけ扉が開いた。

 秋月さんがドアノブを引くと、そこには両手でトレーを持った文乃さんが立っていた。

 トレーの上には、湯気を立ち昇らせた丼が乗っている。

「辺見さん。お疲れさま」

 そう言った文乃さんの声は、とても弱々しかったそうだ。

「うちにはこれ以上大きなお盆がないから、一人分ずつしか持って運べないけど。引っ越しそばを作りました。全員分あります。皆で一緒に…」

 そこまで言った文乃さんの目から、大粒の涙が溢れた。


 引っ越しそばを、皆で一緒に食べよう。


 あの日も、文乃さんは内藤さんご夫婦の新居で引っ越しそばを作る予定だった。

 もちろん、荷解きを手伝った後、一緒に食べようと思っていたからだ。

 秋月さんは文乃さんの手からトレーを受け取ると、そのまま靴箱の上に置いた。

 そして両手で文乃さんを抱きしめると、辺見先輩、そしてめいちゃんも一緒になって、全員で泣いた。





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