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「かなしみの子」  作者: 新開水留
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[2]再会と非常階段

 

 ト、ト、ト、ト…。

 事務机の上で、細く長い指が規則正しい音をたてる。

 高くもなく、低くもない音。指先の爪が事務机に当たる無機質な音。

 僕の気分は、決して良くない。

「で? お前らはまた一体何をしでかそうってわけ」

 男の声が、そう尋ねる。声の主は僕の顔を見ることもなく、興味がないのか、抑揚もほとんどない。

 何度同じ質問をする気だろう。本当に知りたいなら、もっと具体的な質問を考えたほうがよさそうなものだけど。というか、トイレに行きたいな。あれ、最後に用を足したのは、いつだっけ?

 男が腕時計に目をやる。それももう、何度目だろう。

「4、3、2、1…、おし、終わり。帰っていいぞ」

「なんですかそれ」

 男は横柄に組んでいた足を解くと、机の上に両手をついて立ち上がった。

「今日のところは解放してやるってことだよ」

「そんな事聞いてませんよ。何故僕はここであなたから取り調べのようなものを受けたんですか? それに、辺見先輩はどこですか」

「取り調べのようなもの、じゃない。取り調べだ。お前、俺が誰だか分かってて言ってるな?」

「警察の方です」

「じゃあ黙って従えよ」

「だから従ったじゃないですか。だけど普通、国家公安委員会が僕のような普通の大学生相手に取り調べなんてしますか? あなた方はもっとこう、世間には姿を見せずに秘密裏に行動するものなんじゃないですか? なんでまた、こんな廃墟に」

「お前は全然普通じゃない。それに、世間の目を逃れて秘密裏に活動してるからこんな廃墟に辿りくんだよ」

 ここは警察署でも取調室でもない。都内外れに打ち捨てられた建物の最上階だ。

 時刻は日付の変わる零時丁度。冷房設備のない廃墟では、夜といえども本来ならば汗が噴き出るほどに暑いはずだ。しかし不思議なことに、この建物の中だけは異常に寒い。

 その男は黙って僕を見下ろし、再度腕時計を見た。

「…五分だけだぞ。顔見知りだからじゃない。今日が週末で、俺の機嫌が良いから五分だけ付き合ってやるんだ。勘違いするなよ」

 男は含みのある言い方をして、また壊れかけの椅子に腰を降ろした。

「辺見先輩は、どこですか?」

「なあ、新開。お前、やっぱりちょっとだけ腹立つな」

「すみません」

 男はかけていた眼鏡をはずして目頭をギュッと摘むと、疲れた声で僕の質問に答えた。

「辺見は隣の部屋だ。別の職員が話を聞いてる。で、お前らはこんな所で何をやってんだ?」

「さっきから同じ質問ばかり繰り返してるじゃないですか。そっちこそ教えて下さいよ。あなたがここにいるってことは、やっぱりこの事件は普通じゃないんでしょう? ひょっとしたら僕たち、同じ目的でここにいるんじゃないんですか?」

 すると男はじっと僕の両目を見据え、そして無表情のままこう告げた。

「ドリス」

 彼の口からその名前を聞いた瞬間、呑み込みかけた溜息を思わず吐き出した。そして、

「お前は?」

 そう尋ねる男の目を見つめ返し、僕は首を縦に振った…。



 

 前日の朝。

 おはよう窓口くん。そう呼ぱれて振り返ると、肩で切り揃えられたミディアムヘアの髪を揺らして、辺見先輩がファイティングポーズの構えを取っていた。

「なんですか?」

 どういう意味かと僕が問うと、いや、怒るかなと思って、と先輩は答えた。そう思うなら言わなきゃいいのに…。

「呼び出してすみません。一応、お声がけはしておこうと思って」

「どうしたの?」

「大貫の話です。まあ、窓口って言われた時点で察しはついてますけど、あいつやっぱり先輩にも相談持ち掛けてるんですね。だけど今回の件は僕一人で動いてみようと思うんです。なので、今日お呼びたてしたのはそのご報告です」

 辺見先輩の端正な顔から微笑みが消え、案の定僕を睨んだ。

「そんな顔してもダメです」

「朝っぱらからこんな薄暗い非常階段の下に呼び出しておいて何かと思えば、君ってやつは」

「ダメです」

 辺見先輩と僕は、この一年の間に大学の内外で様々な問題を解決に導いて来た間柄だ。

 その問題というのは、いわゆる心霊現象や怪異といったオカルトの類だ。昼夜問わず様々な場所で起こる霊障や怪現象自体は、集団生活の場である大学では決して珍しい話ではない。ただ、実際に事の真相を見極め、事件の沈静化や解決にまで導ける人間がどこにでもいるかと言えば、やはり多くはないだろう。

 僕はさておき、この辺見希璃という女性は本物である。初めのうちは、見る、追い払う程度の一般的な霊感にすぎなかったものが、日に日にその力は増していっているように思う。この一年の間に遭遇した多くの実体験で場数を踏み、中には命を危険にさらされる場面にも何度か出くわした。その影響だろう。

 そして何より、僕がこの世の中で信頼を置いている、数少ない人間の一人であることも間違いない。だがそのことと、今回の件は全くの別問題なのだ。

 僕はこの日、大学構内のとある場所に、辺見先輩を呼び出していた。

「大貫の話を聞いたんならご存知だと思いますが、その悪魔崇拝の教祖は若い女の子を集めていかがわしい儀式を行っていると言います」

「だから君は、一人で行きたいんだと?」

「この話を聞いて思い浮かぶ絵面はおそらく、一人の教主に対して複数の女の子という構図です」

「ふむふむー、なるほどー?」

「だからといってその建物に男が一人しかいないとは限りません。もしそのいかがわしい行為というものが男女の性交だとして、他に何人の男が潜んでいるか分からないそんな現場に、先輩を連れていくわけにはいきません」

「だ」

「先輩は本物の霊能力者です。だけど、ただそれだけです」

 辺見先輩は下唇を噛んで言い返す言葉を探したようだったが、やがて両肩をダラリと下げて諦めた。

 きつい言葉を放ったという自覚はある。先輩は以前、とある村で怪現象に巻き込まれた際、その場に居合わせた人間全員の命が脅かされる逼迫した場面で失神し、気を失った。もちろんその事を責める人間などいなかったし、彼女に落ち度があったわけでもない。だが当の本人が長い間気に病んでいて、折に触れて思い出しては、自分を責めている節があった。

 僕もそうだし、ほとんどの人間が同じだと思うが、怖いものは怖い。見たくないものは、見たくない。見えるから、聞こえるからといって、必ずしも耐性があるわけではないのだ。その時辺見先輩の本能が、あまりの恐怖に自らの意識を遮断したとしても、それは単なる防衛反応だ。他人に責められるような事ではない。

 当然、僕がそこをほじくり返して良い理由などない。だがあえてその部分を突かないと、人一倍責任感と正義感の強い彼女が、僕一人だけで現場に向かうことに了承などするはすがなかったのだ。

「新開くん」

 辺見先輩は言った。

「この棟の非常階段さ。学内でなんて噂されてるか知ってる?」

 僕はサビと汚れで元の色の分からない階段を見上げ、言った。

「噂ですか。非常階段ね。…無限回廊とか、無間地獄とかですか?」

 先輩は少しだけ愉快そうに鼻で笑い、

「この下で男女が告白をするとね、その恋は絶対に実るんだって。そういう噂のある階段」

「怪談? へー。でもそれって、いわゆる呪いの構造に似てますよね」

「…君ってそういう奴だよねー」

「何がですか」

「何にも分かってないってことだよ」

「どういう意味ですか」

 その時彼女は僕の質問に答えず去ったが、その答えが分かる機会は、意外とすぐに訪れた。



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