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「かなしみの子」  作者: 新開水留
19/55

[19]ファミーリア


 文乃さんがドメニコという老人の存在を知ったのは、内藤さんご夫婦の家から戻った日から四日後の事だった。丁度僕と辺見先輩が都内にある『加藤塾』という名の、チョウジの秘密基地(事務オフィス)を訪れた日の、翌日である。つまりは僕と三神さん、そして幻子が二神邸を訪れたのと同日である。

 さらには、先日まで内藤さんご夫婦が過ごされたという、文乃さんが経営するマンションへと辺見先輩が入居した当日でもあった。2LDKの、慎ましい生活が信条だった内藤さんご夫婦には丁度良く、大学生が一人で住まうには少し広く感じる、辺見先輩の新しい部屋。

 引っ越し業者がいる間は気をつかった。だが手伝いに訪れた秋月さんは 辺見先輩に対して一度は引っ越しを止めたそうである。部屋を借りるのは良いにしても、急ぐことはない。相手が知らない人間ならまだしも、大家は文乃さんなのだ。いわくとまでは言わないが、先住者が亡くなった元の部屋に、このタイミングで入居する必要もないんじゃないか。いくらでも融通がきくじゃないか、と。

 僕でもきっと、同じことを先輩にアドバイスしたと思う。しかし辺見先輩らしいなあと思うのは、

「だからこそ」

 と、そう答えたというのだ。

「逃げたくない」

 とも言ったそうである。

 辺見先輩が言うには、それはかつての文乃さんの受け売りだそうだ。

「私は直接会った事はないけど、文乃さんや新開くんが実際にお会いして、良くしてくれた人たちなわけで。悲しすぎる別れ方を突き付けられたからといって、縁起が良くないなんて思いたくないし、言いたくない。それよりも、自分が予定していた幸せな新生活を、誰かのどす黒い悪意によって邪魔される方が何倍も嫌ですね」

 そんな辺見先輩の言葉を聞いて、秋月さんが意を決したような顔で立ち上がった。

 勘の鋭い辺見先輩が、

「どうしましたか」

 と尋ねると、

「ちょっと、文乃の様子を見てくるよ」

 と秋月さんは答えた。実を言えば、大家である文乃さんは、辺見先輩が越して来たマンションの一室で管理人として暮らしているそうだ。しかし内藤さんご夫婦の家から戻った後、文乃さんはずっと部屋に閉じこもったまま一歩も外へ出ていないのではないかと、心配されていた。

 というのも、秋月さんとめいちゃんは、先日彼女たちが経営する喫茶店を訪れた「岩下さん」というご家族が突然の不幸に見舞われてからというもの、旧知の坂東さんからの勧めもあって、今は東京に出てホテル住まいをしているそうなのだ。

 秋月さんは言う。

「毎日あの子の部屋の前に立って、声だけは掛けてるんだ。答えないけど、文乃も、扉の前まで来て話を聞いてくれてるのは分かる。…こっちには、めいもいるしね」

 秋月さんの妹のめいちゃんは、今年高校に進学した。彼女もまた並外れた霊能力を有しており、周囲からは『超聴力』と呼ばれている。単純に耳が良いだけはない。めいちゃんは死者の声すら聞こえるというのだ。玄関の扉一枚を隔てた向こう側であれば、彼女にしてみれば障害物などないに等しい。

「秋月さんと文乃さんがお知り合いだったと聞いて、びっくりしたけど、やっぱり心強いなって思います」

 と辺見先輩が言うと、

「ずっと疎遠だったけどね」

 と秋月さんは苦笑した。

 二人の関係性は、またいとこにあたる。

 文乃さんが玉宮小夜さんの曾孫であるのに対し、玉宮さんの双子の姉である紅おことさんと秋月さんの続柄は、親子である。近いようで、少しばかり複雑な関係と言えなくもない。秋月さんがあまりにも若々しくお美しいので意識しないと忘れてしまうが、彼女と文乃さんとでは一回りも年が違うはずである。

「私はどちらかと言えば、自分のわがままを通した形で今日引っ越してきた部分もあるので、管理人さんだからって、文乃さんに立ち会って欲しいなんて思ってはいません。新開くんと二人して内藤さんのご自宅を訪れた時も、今のように段ボールが積み重なったままだったと聞きました。今は、余計なことを思い出させたくはないので…」

「分かってるよ」

 辺見先輩の言葉に、秋月さんは優しく微笑み、

「日課みたいなもんなんだ。ちょっと挨拶に寄るだけだから」

 と念を押した。「めいが今、近くのコンビニに買い出しに出てる。戻ったら、一旦休憩しようね」

「はい」

 そして明るく頷いた先輩から視線を落とすと、そのまま秋月さんはこう言ったそうだ。

「文乃は。…昨日、来なくて正解だったね」

「はい。私もそう思います。だけど秋月さんは、平気なんですか?」

「私?」

「そのう…、ドメニコという老人が何故、海を渡ってやって来たかという話を聞いて」

「まあ。何も思わないかっていうと、そんなわけはないけどね」

「私は正直、怖かったです」

「…うん」

「やっぱりまだ、終わってなかったんですね」

 問いかけとも感想ともとれる辺見先輩の言葉には、秋月さんは答えなかった。だが言葉にしなかっただけで、彼女の真っ白い顔には明らかな不安が浮かんでいたそうだ。




 昨晩、加藤塾にて一同の心情を最もかき乱した場面というのは、ドメニコ自身が語ったという己の素性に関する話題であった。

 チョウジは都内のある場所で、現在もドメニコ・モディリアーニという人物を拘留中だという。人間離れした不思議な術を使うその老人に対し、睡眠薬の投与と壱岐課長の霊力をもってして、二十四時間体制で抑え込んでいるそうだ。一体何故、この老人はわざわざ海を越えて日本にやって来たというのか…。

 何度も繰り返し詰問する中で、やがて壱岐さんはドメニコの言葉を聞いた。


 自分には…悪魔が憑いている。


「そう言ったんだよ」

 壱岐さんの放った言葉の内容に、一同は困惑して声も出なかった。

 僕自身、考えがまとまらなかった。

 大前提として、理由があれば人を殺していいなどと思うはずはない。だが、例えばそれが悪意を持った人間の突発的な殺害衝動であったり、あるいは死霊たちの強すぎた霊障であれば、此度の一連の事件に対して納得はしないが、理解は出来たのだと思う。

 しかし、悪魔とは、なんだ…?

 そんなもの、存在するはずがないじゃないか。

 日常的に本を読み漁り、ある程度、国内外問わず文献から知識を吸収してきた僕でさえも、それは容認できない話だった。

 悪魔というのは詰まる所、概念だと思う。そして言い換えれば、神と同等とも考えられる。だが『イエス』が神の子であるとされたように、同じく悪魔の子として名を付けられた人間は、いまだかつて存在しない。

 神のような存在、悪魔のような存在ならいるかもしれない。だが、悪魔という存在はないのだ。例えばルシファー、例えばサタン。宗教的世界において固有の名を持つ悪魔として登場することはあっても、それらは不敬虔や堕落といった意味をもつ悪の象徴であり、現実世界における生命体などでは決してない。

 悪魔というものは、キリスト教圏における善悪の対立構造で用いられる、教義としての概念なのだ。

「それは、人間性とか、内面の話ですか?」

 そう、辺見先輩が聞いた。

「違う」

 と壱岐さんは答えた。

「じゃあ」

「自分は悪魔と共にある、そうも言っていた。まるで自分の中に、式神でも飼ってるような言い草だったよ」

「一体、何の話を…」

 困惑する辺見先輩をよそに、壱岐さんは全員を見渡した。

「何故そんな男がわざわざ法を犯してまで日本へやってきたのか。奴はこう言ったんだ。自分には悪魔が取り憑いている。だから自分は、ネロ・ファミーリアに会いに来たのだ、と」


 …ネロ?


 混乱する皆の顔を見つめ返しながら、壱岐さんは一語一語を確認するように、こう言った。

「ネロ。イタリア語で『黒』だ。黒の家族。つまりDという名の老人は、黒井家の人間に会いに来たと、私に向かってそう言ったんだよ」




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