[16]危険な本音
地元住人から「テンケンさん」として親しまれる土地に大きなお屋敷がある、という。
僕たちが訪れたのは、とある山間に存在する集落の、その最奥部である。
時間を巻き戻しかたのような灯りの乏しい村の端っこを、人目を避けるようにして僕たちは進んだ。
先頭を行くのは三神さんだ。二番手に続くのは僕で、その後ろをゆっくり歩いてついてくるのは、三神幻子である。後ろでまとめたポニーテール。ボタン部分にフリルをあしらった、ワインレッドの半袖のブラウス。下は黒のフレアロングスカートだ。涼し気な衣装には思えないが、月明かりに浮かび上がる彼女の凛とした表情を見ていると、暑さなど微塵にも感じないから不思議である。まだ、今年で十八歳のはずだ。しかし高校三年生には思えないほどの落ち着きと、大人びた美しさを幻子は持っている。
東京の街で再会を果たした時、
「いつぶりだろうね」
と僕が言うと、幻子は、
「そんなに久しいという気はしません」
と答えた。
「それよりも、ひと悶着あったそうですね」
と、少しだけ嬉しそうな顔をして、彼女は僕を見つめた。
僕はなんとも答え辛い質問に思わず目を逸らし、「どうかな」と言った。
辺見先輩とともに訪れた「加藤塾」において、僕は壱岐さんと揉めた。
揉めたというよりも、実際は僕の未熟な人間性をたしなめられただけなのだが。
集まった人々は誰もが見知らぬ間柄ではない。挨拶もそこそこに、坂東さんを中心にして合同会議が始まった。議題はもちろん、立て続けに起きる怪事件についての情報収集と開示、検証、そして今後ついてである。
坂東さんは一連の事件を「ドメニコ事件」とし、「Dケース」と呼んだ。
「時間がない。とりあえず、時系列に並べてみる」
と言って、坂東さんがホワイトボードに関連性があると思われる事件を書き出した。
D=麻薬密輸、密航
ドリス=逃亡中
大貫深香=死、殺害?
岩下テルエ=失明。
岩下俊司=事故死?
内藤夫婦=殺害
それらの痛ましい事件の背後関係すべてに、元結核病院だった建物で壱岐さんが確保したという、ドメニコ・モディりアーニが関連している。坂東さんはこの段階で既に、そう確信しているようだった。
そこへ、
「問題はだ」
と言ったのが、ホワイトボードの横に立って腕を組み、壁に背を預けて坂東さんの話に耳を傾けていた壱岐さんだった。四十代半ばだろうか。彼は身長が190センチ以上ある巨漢で、鍛え上げた筋肉が上質なスーツを押し上げる、威圧感の塊のような男性である。口調や声のトーンは穏やかで上品なのだが、鼻筋の通った彫の深い顔立ちとオールバックの髪型、黒目勝ちな瞳で相手を真っすぐに見つめる職業的な癖が、かえって人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
何よりも、チョウジの課長である。ただの優男には決して務まるまいとは思っていた。しかしそんな僕の想像を遥かに超えて、壱岐さんは怖い人だった。
「一連の事件で誰がどのような被害を受けたかということより、それらすべてに対して君たちが関わっている。そっちの方が、大問題なんじゃないかな?」
「ワシらに原因があるとでも言いたいのかね?」
と、三神さんが言った。面白くない、と感じている口調だった。
「良い悪いの話ではありませんよ。それは三神さんだって同じようにお考えにはなっただろうし、さらに言えば、まだこのボードに書かれていないような出来事が、あなたの身の回りでも起こっているんじゃないですか? ないならないでよろしいが、それはそれで、逆に不自然に感じてしまいますよね」
こういう人なのだ。
事件に対するスタンスは一貫していて、仲間意識や遠慮、配慮などは皆無であると坂東さんは語る。事件解決のためなら怪しいものすべてを斬っていく冷徹さ、そこを信条とする人なのである。
「坂東」
と、壱岐さんが呼んだ。
「はい」
「俺はお前に、全員を呼べと伝えたよな。なぜここに、三神幻子と西荻文乃はいないんだ?」
「それは…」
「これじゃあお前、情報の共有が出来ないと思わないか?」
「それは、まあ、そうなんすけど」
それについては…、三神さんが答えようと口を開いた時だった。
「それで、君はさっきから何故そんな目で私を見るんだ?」
そう言って、壱岐さんの大きな目が僕を射抜いた。
坂東さんが片手で自分の顔を半分隠した。「あちゃー」という声が聞こえた気がした。
「『誰がどのような被害を受けたかということより』、…ですか」
「聞こえない、立ちたまえ」
言われたとおり僕は立ち上がり、震える拳を気取られぬよう強く握り込んで、言った。
「他人事のように仰るんですね」
眉をひそめただけで何も答えない壱岐さんを見据えながら、尚も言う。
「僕は逆だと思います。僕たちがそうとは知らずにこの事件に関わっているんだとしても、顔触れを見れば辿っていけそうな線というのは、おそらくいくつか思い浮かぶんじゃないでしょうか。事情を全く知らない僕ですら、この面子で集まれば何か思うことくらいはあります」
「ふむ」
「三神さんに対してだって、事件が起こっているんじゃないか、その方が自然だなんていう言い方はおかしいでしょう。ほかにも被害者がいるって、そう言ってるようなもんじゃないですか」
「だから?」
「…だから?」
ずっと奥歯を噛み締め呑み込んでいた僕の本音が、その瞬間堰を切ったように飛び出した。
「どうしてそんな風に言えるんですか!あなたはどの現場にもいなかったじゃないか!それなのに、ここにいる人たちを前にどうしてそんな思いやりのない事が言えるんですか! 僕はもっと! 今回の事件で被害にあわれた方々の事をしっかり考えて見つめなおした方が良いのではないかと、そう言ってるんです!」
やるじゃないですかぁ。
幻子は微笑み、大きく頷いて見せた。
「いいと思いますよー、新開さんらしくてー」
「そうかい?」
「怖いもの知らずで」
「っはは」
それは、自分でもそう思う。壱岐さんは、あの坂東さんですら絶対に逆らう事をしないと決めている人なのだ。年上で大先輩の上司だから、という理由ではない。誰よりも強く、誰よりも恐ろしい人だから。それが理由なのだ。
壱岐さんは冷静さを欠いた僕の進言に、首を傾けて見つめ返して来た。ただこちらを向いているだけの目が、とんでもなく怖かった。
壱岐さんは言う。
「何か知っているのか?」
僕は面食らい、何がですか、と聞き返した。
「事件の被害者たちに関する情報だよ。実は裏で繋がっているとか、共通点が存在するとか」
「分かりません」
「…君は、一体自分が何を言ってるか、本当に分かってるのか?」
僕と壱岐さんがやりとりをする間、坂東さんは視線を泳がせておろおろとし、秋月さんは冷や汗をかいた、と後に語った。僕の隣では辺見先輩が俯いて震えていたが、彼女のそれが恐怖によるものではないことはなんとなく伝わって来た。だからこそ僕は、ひるまずに立ち向かっていけたのかもしれない。
しかしその矛先が、本当は見当違いの方向を突っついていたことに、僕は気付けないでいたのだ。
「坂東さん。壱岐さん。この事件は一体なんですか? なぜ深香ちゃんは死んで、内藤さんたちはあんな形で殺されなければならなかったんですか?」
僕の言葉に、壱岐さんは答えなかった。だが彼の鋭い眼差しが緩むこともなかった。
「どうして文乃さんが、あんな風に傷つかなくちゃいけなかったんですか? あの日、僕と坂東さんはドメニコを連行する壱岐さんたちを見ました。見ましたよね!? それなのにどうして! どうしてなんですかッ!」
激昂する僕を見て、壱岐さんの目がスッと細くなった。
僕の心に芽生えた怒りに似た感情を、察知したからだろう。
「それに関して説明はできる」と壱岐さんは言った。「…ただ、君は少々、危険だね」
三神さんが顔を上げて壱岐さんを睨み、坂東さんが間に割って入った。「課長、よしましょう」
秋月さんが立ち上がって、めいちゃんと共に壱岐さんの側を離れた。
壱岐さんはチラリと坂東さんを一瞥し、そしてまた僕に視線を戻した。
「君の考えていることを当てようか。なぜDをさっさと殺してしまわないんだ。そうすれば被害者たちが傷つかずに済んだのに。被害者たちが、被害者にならずに済んだのに。…違うかな?」
僕はこう答えた。
「そうだと言ったらなんなんですか。僕がそう思うことは犯罪ですか。人を傷つけてなんとも思わない悪魔なんか、この世から消えてなくなればいいんだッ!」
涙を飛ばして叫ぶ僕を、三神さんも秋月さんも、本当は、止めたかったそうだ。
大人として冷静に、そんな言葉を口にしてはいけないよと、諭したかったそうである。
だがどこかで、例え一握りの小さな思いだとしても、自分の中に僕と同じ感情を抱いてしまっていたことに気がつき、結局何も言えなかったのだと、後になってから聞いた。
だが、壱岐さんは違う。感情で物事を判断するということを、一切しない人なのだ。
「法で裁ける犯罪ではないよ。だけど君の思想を危険だと私は判断する。例え相手が誰であれ、他人の死を願う感情を私は、見過ごすことはできないんだ」
言いながら壱岐さんは右手を上げ、制止する坂東さんの声を振り切って、僕の動きを完全に封じ込めた。それが、壱岐さんの恐るべき霊力によるものだということに、僕は全く気づけなかった。




