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「かなしみの子」  作者: 新開水留
15/55

[15]秘密基地


 内藤さんご夫婦の新居まで、坂東さんが現地駐在のチョウジ職員を伴って駆け付けてくれた。

 現れるなり、捜査現場の陣頭指揮をとっていた地元の警察から僕と文乃さんの身元を引き受け、そのまま朝イチで東京へと戻れるよう手配してくれた。

 警察組織の通例や事件に対する捜査手順など、詳しい事情は分からない。しかしいかにも偉ぶった地元の刑事さん達ですら、東京から来た坂東さんの顔を見るなり「面倒臭いやつが来た」という表情を隠さなかった。それが公安という肩書によるものか、それともチョウジの名が成せる技なのか、僕に判断は付かない。

 一つだけ言えるのは、もし坂東さんが来てくれなければ、僕たちが任意同行を免れる事はなかっただろうということだ。段ボールの荷解きすらこれからだった内藤さんご夫婦のリビングには、大人二人分の肉片と血が壁にこびり付いたままだった。異常としか言いようのない現場に居合わせた人間がそのまま解放されるなど、社会経験の乏しい僕ですらありえない事だと分かっていた。

 もしかしたら僕と文乃さんは、その場でチョウジの人間だということにされたのかもしれない。しかし、あえて確認してみようという気にはならなかった。

 ドライブが趣味だという文乃さんが準備したレンタカーは現地回収で返却され、僕たちは新幹線でチョウジ職員に囲まれたまま、ものものしい厳戒態勢で帰路についた。途中、東京で何かがあったことだけは聞いた。しかしただならぬ気配を感じながらも、具体的なことを訪ねる心の余裕が、まだ僕にはなかった。

 新幹線車内での文乃さんは、生気が抜け落ちたような表情で窓ガラスにこめかみを預けて座り、取り乱す事もない代わりに一切の感情を遮断し、坂東さんの問い掛けにも縦横に首を振るのみ、終始無言で通した。着替えを持っていない僕たちは、二人ともが血塗れだった。この夏の暑い最中に、冷房の効いた車内とは言え二人揃って大きな毛布で全身を覆っている。そして周囲には、スーツ姿の目付きの悪い男達が立っている。嫌でも通行人や他の乗客の目を引いた。それでも文乃さんは微動だにせず、感情をおくびにも出さない表情で窓の外を見つめていた。

 ただし一度だけ、文乃さんが反応を示した瞬間があった。

 坂東さんが携帯電話を懐から取り出し、その場で話を始めた時だ。乗客は僕たちの他に数名しかいなかったが、それでも坂東さんは通話可能な場所へと移動した。その一歩、二歩の所で、彼がこう言ったのだ。

「…アユミさん? ああ、こっちは相当、ヘヴィだよ」

 今からでもこっちに来て手を貸してくれるとありがたいんだけど…。

 いつものようにそう言いながら遠ざかって行く坂東さんの背中を、文乃さんは不思議そうな目で見つめていた。



 

 二日後、僕は辺見先輩から深香ちゃんの死を聞かされた。

 深香ちゃんの兄である僕と同い年の知人・大貫は、あれからずっと大学を休んでいるという。

「恨まれてるかな」

 と僕が呟くように言うと、

「新開君は、危険な橋を渡って、よく頑張ったんだと思うな」

 そう、辺見先輩は励ましてくれた。

 坂東さんから聞いた話では、発見された当時、首や腕、足などに多くの外傷があったそうだ。暴行の疑いも持たれたが、腐敗による遺体の損傷が進んでおり、一概にはそうとばかりも言えないとの事だった。事件の背後関係を考慮すれば、麻薬摂取による幻覚や幻聴が原因で起こる自傷行為も、決して珍しくはないからだという。

「あの建物の裏手に、非常階段があったのを覚えてるかい」

 と、先輩は言う。

「ありました。螺旋階段ですよね」

「うん。聞いた話だけどね。あの下に、私は暗くて気付かなかったんだけど、深香ちゃんが着ていたと思われるポロシャツが落ちてたらしいんだ。綺麗な状態で破かれてもいなかったら、誰かに脱がされたというよりは、自分で脱いだんじゃないかって…」

 衝撃だった。

 僕は、確かにこの目でその瞬間を目撃しているのだ。螺旋階段の二階部分で、脱いだ服を夜空に投げ捨てる人影を、僕はずっと見ていた。あの時彼女はまだ、生きていた。僕は生きた状態の深香ちゃんに、そうとは知らず会っていたのだ。

「そんな…」

 そう嘆いたきり辺見先輩は口を閉じ、どうしようもない後悔と、何の役にも立たない泣き言を吐き続ける僕の隣で、一緒になって彼女は泣いてくれた。




 都内某所に、『加藤塾』という看板を掲げた学習塾の教室がある。

 一階はコンビニ、二階部分はテナント募集中、そして三階部分に『加藤塾』が入った小さな雑居ビルだ。しかしこのビルの実態は、広域超事象諜報課が所有する事務所の一つであるという。

 その夜、僕と辺見先輩は坂東さんに呼び出され、その塾へと向かった。

 使用されていない二階部分を通過する際、廊下の奥に立っている一体の幽霊を見た。スーツを着た、サラリーマン風の男だった。チョウジの所有するビルに幽霊とは、と面食らったが、久しぶりに僕自身と全く無関係な地縛霊を目撃し、とても切ない気持ちにさせられた。

 人は皆精一杯生き、そして平等に死が訪れる。

 しかしそのタイミングは決して、平等ではないのだ。

「行こうか」

 辺見先輩に誘われて階段を登り、やがて加藤塾があるという三階へと到着した。建物の外に看板が出ていたはずだが、実際の三階フロアにはどこにもそれらしい案内はなく、そもそも廊下に電気が通ってい

ない。テナント募集中の二階には電気が来ているのに、何故か三階部分は真っ暗だった。

「暗。ここだよね?」

 と辺見先輩が視線を巡らせる。目の前に伸びた廊下を並んで進み、やがてガラス窓のはめ込まれた扉から室内を覗き見た。しかし暗すぎて室内の様子は分からない。

「ここしかないよねえ。ここであってるよね?」

「入り口は向こうにありますけど、同じ部屋ですもんね。というか、さっき通ったトイレ以外は、この階にあるのはこの部屋だけだと思いますよ」

「ううーん」

 僕の返答に辺見先輩は唸り、扉のドアノブに手を掛けた。すると突然室内側から扉が開き、坂東さんが顔を出した。そして無言で顎をしゃくって、また部屋の中へ戻って行く。

 どうなってるんだ?

 辺見先輩は驚いて固まり、僕は一旦ドアを締めて再びガラス窓から室内を覗き込んだが、やはり使われていないオフィスの暗がりがあるだけで、室内にいるはずの坂東さんの姿は見えない。

「細工してあるだけだ、気にすんな」

 と、坂東さんはひと言で片付けた。

 学習塾、と言われれば、学習塾だった。

 入口から見た正面に大きなホワイトボードが設けられ、そちらを向いて座るように机と椅子が整然と並べられている様子は、一般的なそれとよく似ている。だが驚いたことに、この部屋に入るまで全く人の気配が感じ取れなかったにも関わらず、室内には僕たちより先に到着した人々がすでに着席していた。

「やあ、来たかね」

「遅かったじゃない」

「あー、こんばんわぁ」

「突っ立ってないで、適当に座れ」

「…ほー」

 振り返ったたくさんの目にさらされ、僕と辺見先輩は挙動不審に陥った。

 三神さん、秋月さん、その妹のめいちゃん、坂東さん、そしてまだ数度しかお目にかかった事のない、広域超事象諜報課・課長、壱岐琢朗さんの姿まであった。だがこの場にいてほしい人間が、二人いなかった。

 三神幻子と、西荻文乃さん。

 現実世界から隔離されたようなこの学習塾の教室に、彼女ら二人の姿はなかったのだ。

 


 

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