[14]天正堂
「当代はやはり、お会いにならないそうです」
と、彼女は言った。
「実際にそう口にしたわけではありますまい?」
と、三神さんが不満をぶつけると、彼女は困ったように眉を下げ、
「…まあ」
と答えた。
「当代の腰が重いのは今に始まった事じゃない。それは良い。そういうものだとワシらは分かってる。ただね、…何のために当代がこんなお屋敷を建てて奥の座敷に引き篭もっとるのか、お前さんだって知らぬわけではあるまい」
「有事に際し万全を期して迎え打つ、そのためであると伺っております」
彼女の返答に、三神さんが一段と声を低くして呻いた。
「それが今だと言うておる」
しかし彼女は、柳に風だった。
「…当代はやはり、お会いにはならないそうです」
深夜十二時近くになって、内藤さんご夫婦の新居から、チョウジの坂東さんへと電話を掛けた。その時は今が何時であるかなど気にもしなかったが、ツーコールもしないうちから坂東さんに繋がったことは、素直な驚きだった。正直まだ心の整理がついておらず、なんと説明してよいかも分からなかったのだ。
いまだ恐怖と言う名の魔物に四肢を掴まれたままだったが、いつまでもこの状況を放っておくことはできないという僅かに残された理性が、なんとか僕の身体を動かしてくれた。
坂東さんは電話に出るなり、こちらの言葉を待たずに「どこにいやがるんだ」と怒鳴り付けた。だがそのおかげもあって、僕は束の間、我に返る事が出来た。
「内藤さんという、ご夫婦の家です」
坂東さんは内藤さんを知らなかったが、
「文乃さんと一緒にいます」
と言った僕の言葉に息を呑んだ様子で、彼の怒りが少しだけ治まったのが電話越しにも感じ取れた。
「東京か?」
「いえ、××です」
「はッ!?」
東北地方だと聞いて坂東さんは驚いたが、次の瞬間には、「無事なのか?」と聞いてくれた。
そして僕は、かつて『しもつげむら』に住んでいた事もあるという、内藤さんご夫婦の話をして聞かせた。
敬虔なクリスチャンであり、つい最近まで文乃さんが経営するマンションの住人であったこと。余生をこちらで過ごす為、ご主人である内藤基さんの生地だというこの地方へ引っ越して来たばかりであること。
まるで悪魔の所業としか思えない力に因って、二人は壁に磔にされたまま目の前で圧殺されてしまったこと。
そしてご夫婦の最期の言葉が、
「ドメニコ」
であったことを告げた。
坂東さんは最後まで黙って僕の話を聞いてくれた。
時系列的に彼はこの時すでに、大貫深香ちゃんの遺体が発見された情報を掴んでいた。しかしその日、話を聞き終えた坂東さんは、僕にその事実を伝えなかった。それは彼なりの、優しさなのだと思う。
「西荻は、どうしてる」
坂東さんのその問いが、最も辛かった。
途切れ途切れではあったが、事情を説明している間はどこかで傍観者のように、事実を俯瞰で見れたように思う。だが、文乃さんの事を考えた瞬間、駄目になった。恐怖と、怒りと、悲しみが洪水のように押し寄せ、溢れ出た感情に歯止めがきかなくなってしまった。
それでも坂東さんは辛抱強く待ち、そして僕を励まし、勇気づけてくれた。
「今、もうそっちへ向かってる。いいか新開、西荻の側を離れるんじゃないぞ。分かるな。お前だけが頼りなんだ。俺が行くまで、絶対にそこを動くなよ。たった今、現地の人間を向かわせた。いいな、新開。気をしっかり持て」
僕は震えながら何度も頷き、小さく「はい、はい」と答えた。
「西荻は、生きてるんだな?」
「文乃さんは…ずっと。ずっと、泣いています」
沈黙の後、坂東さんは言った。
その言葉はそれまで聞いた励ましや優しい勇気づけとは明らかに毛色の違う、彼の心からの本音であるように思えた。
お前は、壊されるんじゃないぞ…。
その屋敷のある広い敷地は、『テンケンさん』と呼ばれているそうだ。
とある山間に、その屋敷へと通ずる集落が存在する。テンケンさんへはその村を通らねば辿り着く事が出来ず、集落に暮らす村人たちが侵入者を監視する目の役割を担っている。どこかで聞いた話だ、と思っていると、『しもつげむら』を真似て作られたんだよ、と三神さんは教えてくれた。
しもつげむらは、関東近郊にある海辺の小さな村である。そこへは麓にある『名前のない喫茶店』を横目に見ながら浜辺を歩き、緩やかな長い坂道を登った先に建つ、通称『お守りの家』、玉宮家を通らねば集落の奥へ辿り着くことができない。どちらも共通しているのは、敵意のある侵入者や、好奇の目でうろつく部外者を見張っている、という点である。
三神さんはその日、村の奥に位置する『テンケンさん』と呼ばれる屋敷に人を訪ねた。
相手は二神七権という名の、三神さんの恩師とも言うべき人だそうで、何を隠そう二神さんは『天正堂』現当主であるという。御年八十六歳。
天正堂の、七権さん。テンケンさんと呼ばれる由来は、二神さん個人の存在によるそうだ。
二神さんは現在当主という肩書を持ちつつも、引退して現役を退いている。実績と経験から、団体に属する拝み屋たちの相談役として看板を背負い続けてはいるものの、ほとんど人前に姿をみせることはないという。以前幻子が言っていた、『今、天正堂には三神さんより上の人間はいない』という言葉の真意は、どうやらこの辺りに関係があるようだった。
天正堂には古くから階位と呼ばれる序列があり、一番上の位である『天正堂階位・第一』に君臨するのは開祖である大神鹿目。これは代替わりを重ねようとも変動しない、いわば永久欠番である。そして当代の代表ともいうべき『天正堂階位・第二』が二神七権であり、代々二神という姓を継ぐ。しかし実際は指導者というよりも組織の顔役、取締役としての位置づけであり、現場レベルでの最高責任者は『天正堂階位・第三』、三神三歳その人だったのである。彼は三位を継承すると同時に三神姓となり、本名は捨て去ったという。
所が三神さんは、幻子を連れて本部団体を飛び出した身でもある。実質的な最高位を継いだまま袂を分かったものだから、天正堂本部としての第三位は現在、空位となっているそうだ。
ちなみに余談ではあるが、若い頃に天正堂の門を叩いた経験のある秋月六花さんは、その六花という名前も、実をいえば『天正堂階位・第六』から来ている。当時彼女は十代の少女だったが、才能を見込まれ第六位の位置に付いたのは、入団からわずか一週間後だったそうだ。そして秋月さんに第六位を与えたのは、当時すでに第二位の座にいた、二神七権その人である。
三神さんはあえて日の沈んだ十九時頃、村人たちの目を盗んで集落の奥へと進んだ。
何もやましい事はないにせよ、楽しい話をしに来たというわけでもない。
しかし実を言えば、彼が人目を避けた理由は、もう一つある。
三神さんの後ろをついて歩くのは、何を隠そうこの僕と、そして、三神さんが天正堂を抜ける原因となった張本人、三神幻子なのであった。




