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「かなしみの子」  作者: 新開水留
11/55

[11]宣教師たち


 夢を、見た。


 疲れていたのだろう。

 それは僕などよりも文乃さんの方がずっとその筈で、内藤さんご夫婦のご厚意により仮眠を取らせていただく事になった。初めのうちは、文乃さんは拒んでいた。どうやら連れて来た僕に対し、拘束時間の長さを気にしているようだったが、僕は何も気にしてなどいなかった。やがて冗談交じりの押し問答が始まり、ご夫婦の前で僕たちは若いカップルに仕立て上げられた。

 馴れ初めはどんな風だったのか、年上の女房は良いぞ、同じ年の私たちはいけないの?、そんなお二人のやり取りを前に、嬉しいような面映ゆいような感覚でふわふわと落ち着かなかったが、ミーナさんが毎晩見る夢の話に気を揉むよりかは、ずっとましだった。

 気が付けば、ソファにもたれて文乃さんが寝息を立てていた。寄り添うように座っているミーナさんの魔法が効いたのか、僕が側にいるにも関わらず、無防備な寝顔がすぐそこにあった。

「まだこのリビング以外は散らかったままだ。このソファが一番居心地がいいよ。このまま、寝かせてあげよう」

 基さんがそう言って、僕に微笑みかけた。

 そうこうする内僕も眠ってしまい、文乃さんに肩を揺すられて目を覚ましたのは、すでに日の傾きつつある夕刻だった。一体何時間眠ってしまったのか…。驚いている僕に、文乃さんは言う。

「長居をしすぎました。そろそろ、お暇しましょう」

 確かにそうだ。まだこの家は、片付けねばならない段ボールが山積みで残っているのだ。

「お二人は?」

「奥でお亡くなりになられています」

「そうですか」

 ………?

 お亡くなりになられて…?

 聞き返そうとした僕の横を、文乃さんはそそくさと通り過ぎて玄関へ向かう。

 ちょっと待って、僕は今起きたばかりで、何も準備が。

 玄関先から家の前の路地に出た所で、真っ赤な夕焼け空が目に飛び込んで来た。

 綺麗だなー。でも夏なのに、珍しいな。

 …あれ、今って夏だよな?

「新開さん。きちんとご挨拶をしましょう」

「そうでうすね」

 言われて僕は、内藤さんご夫婦の新しい住まい振り返った。

 思わず時間が止まり、そして僕の呼吸も止まった。


 烏だ。


 門扉、家の軒先、屋根、庭の木々、その全てを覆いつくすように、真っ黒い烏がびっしりと止まっている。玄関の扉はなく、その奥の廊下に、笑顔で手を振るご夫婦が立っていた。

 能面を思わせる、彫刻刀で刻み込んだような笑顔だ。

 お二人ともが、右肘から先をメトロノームのように振っている。

 そこにはまるで、命の温もりを感じない。

 僕は、今、何を見て…。

 彼らは一体…。


 サァ--------------

 ザァ--------------


 テレビの砂嵐に似た、ざらついた音が耳の中に響いた。

 そして僕は、目を覚ます。

「ここはどこだ?」




 ギャァァァァ--------ッ!!!

 テレビの砂嵐ではない。

 その絶叫は、立ったまま眠っていた僕の目の前で、内藤基さんが上げている悲鳴なのだ。

 アアアァァ-----------ッ!!

 奥様であるミーナさんまでが、基さんの隣で血の涙を流して叫んでいる。


 お二人は僕の正面にある壁に、両腕を広げたイエスのように磔にされていた。


 誰に、何者に。それは分からない。

 僕たちのいるリビングには、磔にされた痛ましいご夫婦と棒立ちの僕、そして同じく立ったまま眠っていた文乃さんの四人以外、誰の姿も見当たらない。顔面を蒼白にする文乃さんは力一杯両目を見開き、まるで磔刑に処されたような内藤さんご夫婦を、ただただ見つめている。

 僕の身体は今、指一本動かす事が出来ない。

 周囲の大気を操ることのできる文乃さんでさえ、僕の視界の中で突っ立ったままぴくりとも動かない。

 記憶を辿れば、そもそも僕たちは仮眠などとっていない。

 突然意識が途切れ、そして覚醒した瞬間、目を覆いたくなる惨劇に放り込まれていた。


「あああああ、ああああああ」

「苦しい…。文乃、苦しい…」

「ミー…ぐうう、あああっ、助けてくれ。助けてくれぇ…」


 二人の身体はただ壁に磔にされているだけではない。

 目には見えないが、とてつもない力で後方の壁に全身を圧し付けられている。

 身体が吊り上げられて苦しいわけではないのだ。

 まるで空気の壁に、圧殺されようとしているのだ。


 僕は言葉にならない悲鳴を上げ、そして何度も『母さん』を呼んだ。

 母さん、彼らを助けて。助けてください。

 身体が動かない以上、どれほどの声が出ていたのかも分からない。しかし何度も頼んだ。何度も何度も叫んだ。それしか出来なかったのだ。

 だが見る間に夫婦の身体は、表面積を広げていく。

 それはまるで、車に轢かれてぺしゃんこになった、カエルのようだった。


「なん…で。私たちが、どうして」

「く・る・し…いい」

「あああ、あなた、側にいて」

「ド・メ・ニ・コッ」


 夫婦の顔面の皮膚か裂け、真っ白な眼球以外全てが血に塗れた。


「あああ、主よ…」


 どちらかが最後の言葉を発し、二人の身体はほぼ同時に潰された。

 バチャンと音を立ててぶちまけられた大量の血が壁に貼りつき、あとには並んだ赤い十字架だけが残った。

 僕は内臓全てを吐き出すほどの嘔吐に痙攣しながら、この世の無情さに絶望した。

 これが、敬虔なるクリスチャンとして、多くの人々を平和に導いてきた宣教師たちの最期なのか?

 基さん。ミーナさん。

 噓だと言ってください。

 こんな死に方があってたまるか。

 こんな別れ方があってたまるか。


 僕と文乃さんは同時に床に倒れ込み、強か全身を打ち付けてようやく解放された事に気づいた。

 文乃さんは夫婦の血と肉片がこびり付いた壁に駆け寄り、全身をピタリとくっつけて泣いた。

 大声で呼べばまだ彼らに聞こえるんじゃないか。

 命が醸し出す生々しい匂いと熱気が部屋に満ち、僕は吐き、文乃さんはわんわんと大声を上げて泣いた。




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