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「かなしみの子」  作者: 新開水留
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[1]相談者

『文乃』シリーズ、長編第三弾。

第一弾、第二弾で回収せぬまま終わっている伏線を、全部拾います。

しばらくの間、お付き合いください。



「お前にその資格があるのか

 自分の手を見てみろよ

 その手に触れてきたたくさんのものを

 思い出してみろ

 なあ、お前にその資格があるのか?

 あるというなら


 さあ、泣いてみろ」




「今あるものを全部失ったとしても私は、全ては借り物だったのだと諦めることができます。

 だけど新開さん。あなただけは生きてください。それが私の、いえ、私たちの願いです」




 平成十二年、八月。

 大学二回生の、夏のことだ。

 その日僕は、『詩の間際』という文芸サークルの部室に遅くまで居残り、小説を書いていた。

 題材は、信仰。

 とある宗教を盲信する母親と、なんとかそこから救い出したいと孤軍奮闘する息子の葛藤をテーマに据えた。我ながら、暗いと思う。書いているうちに気が滅入って来るのだが、今更途中でやめることも出来ない。この物語の争点は、救いとは何か、という所にある。宗教とはすべからく信仰者に心の安寧をもたらす機能であると考えた場合、登場人物である母親は既に、日々救われているという見方もできる。だが息子はそんな母親を狂信、意志薄弱と切って捨てる。そして自分を産み育てた母親を思うあまり、息子の攻撃対象は宗教ではなく家庭内、ひいては自分や父親にまで及んでいくのだった。

「…く、暗いよ」

 推敲前の原稿を読んだ同じサークルの一つ年上の先輩で、辺見希璃という名の女性はそう評価して小刻みに震えた。

「…僕も、そう思います」

「だけど引き込まれるねえ、さすが、新開先生だ」

 新開とは、僕のことだ。新開水留。それが僕の名前である。

「ただまあ、最終的に登場人物全員自殺とかはやめてね。そしたらまた読んであげるから」

 僕は心の中で原稿に消しゴムをかけながら、苦笑いで頷いた。そして、そのまま誰もいなくなった部室で小説の書き直しを余儀なくされたというわけだ。学校側に提出するわけではないし、書かなければ罰が下るということもないのだけれど。

 部室の窓から、夏の夜風が入ってくる。風を感じた瞬間だけ涼しく、またすぐに額に汗が浮かぶ。夏休みの間も、大学の校舎は生徒に開放されていた。しかし19時以降の冷房の使用を禁止されている。でなければ、一人暮らしの生徒たちが部室で寝泊りをするからだそうだ。

 とそこへ、開けっ放しの部室のドアをノックする者があった。

「いたな、新開」

 見れば同じ棟の階下に部室を構えるオカルト研究会の部員が、コンビニの袋を掲げて立っていた。

「嫌な予感がする」

 僕は開口一番そう言って、書きかけの原稿用紙をファイルに仕舞った。

「邪魔して悪い。ちょっと、相談があって」

 その男の名前は大貫といって、僕と同い年の二十歳だ。頭は良い方だと思うが、その頭脳や才能を勉学にむけず心霊世界の真相究明に費やしている。

「覚えてるか、去年の夏も、ここでこうしてお前に相談したんだよ」

「覚えてるよ。僕は特に何もしてないけどね」

「ああ。辺見先輩だよな、やっぱりあの人は、素晴らしいよ」

「辺見先輩なら帰ったよ」

「お前が窓口みたいなもんだろ?」

「面倒くさいな。シャッター降ろそうかな。ピンポーン、本日の窓口業務は、終了いたしました」

「待て待て」

 大貫は僕の前にコンビニの袋を差し出し、中から冷えたコーラのペットボトルを取り出した。

「今度は炭酸ときたか」

 笑って僕はそう呟き、大貫からコーラを受け取った。

 大貫が僕に相談事を持ち掛けるのは、今に始まったことではない。僕は自分の創作にかける時間を削られるのが好きではないため、時間制限を設けて話を聞くようにしている。前回彼が持参した飲み物は、1000mlのピルクルだった。確かに僕は甘い飲み物がそんなに好きではないが、大貫があまにりも饒舌すぎた為に暇を持て余した僕は十五分程で飲んでしまい、相談の後半は早口で意味が分からなかった。

 そこで今回彼が買って来たのは、同じく1000mlのコーラだった。

「結論から言うよ。俺の妹が、変な宗教に嵌っちまったんだ」

 僕は危うくコーラを吐き出しそうになり、大きく頬を膨らませた顔を「リスみたいだな」と大貫に笑われた。だが相談の内容は、決して笑えなかった。

 都内外れにあるという使われていない廃ビルに夜な夜な少女たちが集まり、悪魔めいた教祖を中心にいかがわしい儀式を繰り返している、そういう話だった。

「悪魔めいた、教祖?」

「日本人じゃないらしいよ。そもそも悪魔なんて日本には根付かないだろうけどさ、相手が外人だってんで、若い子の間で人気に火が付いたらしい」

「悪魔崇拝かなにかなの?」

「わからん。お前、聞いたことないか? ドリス、って名前」

「…ドリス?」 

 窓の外から夜風が吹き込み、片付けた筈の僕の原稿が一枚だけ机の上から舞い上がった。

 その一枚は表紙代わりに添えていたもので、中央に仮のタイトルが書いてあった。


 『かなしみの子』。


 それが、僕の書いた小説のタイトルである。



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