夜の森
昔話をしよう。
中学生の頃、文系の部活に所属していた私だったが「高校生になったら、運動部に入ろう」と決心した。
その通りに運動部に入った私だったが、三年間運動部にいた連中との基礎体力の差は歴然。
割り切れば良かったが、諦めの悪さもあり、基礎体力の差を少しでも埋めようと、登下校を自転車通学に切り替えた。
自転車で片道一時間、電車+バスで30分くらいの通学に、最初はキツかったが、徐々に慣れ始めた頃の話である。
ある時、部活で夜遅くになった私は、帰宅中に自転車のチェーンが外れるトラブルに見舞われた。
付近は街灯もまばらな森の中。
毎日通う道だから慣れてはいたが、酷く不気味だった。
「ついてないな」と思いながら、外れてしまったチェーンを直す私。
手元に明かりもなかったので、たまーに行き過ぎる自動車のヘッドライトを頼りに、ガチャガチャ作業を続けていた。
そんな時、行き過ぎた車が一台、ゆっくりとバックしてくる。
それはタクシーだった。
「こんな所で何してる?」
ドライバーのおっちゃんが、不機嫌そうな顔でそう訪ねてくる。
事情を話すと、おっちゃんはやはり不機嫌そうに、
「家まで乗せていくから、早く乗れ」
と、言い出した。
私が「お金がないし、自転車を置いていけない」と言うと、舌打ちし、下車してきた。
そして、トランクを開けると手早く自転車を積み、ロープで固定してんくれた。
礼を言うと、
「早く乗れ」
と、また不機嫌そうに繰り返す。
何か急かされているように感じに、私は「まさか誘拐?」と少し怖くなった。
が、自転車はもう積んでもらったし、今更断ることも出来ない。
恐る恐るタクシーに乗ると、車は急発進に近いスピードで走り出した。
おっちゃんが「家はどこだ?」と尋ねてくる。
私が「○○○です」と答えると、おっちゃんは、
「あんな所から通っているのか?」
少し驚いていた。
しかし、その後は無言。
内心、ドキドキしていたが、タクシーは無事に家に着いた。
親に頼んでお金を払ってもらおうとすると、おっちゃんが、
「金はいい。その代わり、もう二度とあの森を通るな」
自転車を下ろしながら、そう言ってくる。
そこで、ようやく私はあることに気付いた。
おっちゃんがタクシーに乗せてくれた時、何で乗せてから行き先を尋ねたんだろう?
こういう場合、送る側なら乗せる前に行き先を聞くだろう。
現に住所を告げた時、おっちゃんは「あんな所から通っているのか?」と驚いていたし。
「どうして通らない方がいいんですか?」と聞き返す私に、おっちゃんはロープをほどきながら、
「あそこは良くない場所だ。昔、色々あったんだよ」
おっちゃんの言葉に、私はじいちゃんから聞いた話を思い出した。
私が立ち往生していた森は、割りと近代まで山賊の類いが出没していたらしい。
犠牲者がどれ程いたのかは分からないが、道沿いにはよく分からない石塔がいくつかあった。
それを言うと、おっちゃんは、
「知ってたのか。なら、分かるだろう?あんな所を、夜遅くに子どもが一人で通るもんじゃない」
「でも、昔の話ですよね?」
私がそう言うと、おっちゃんは無言でタクシーに乗った。
そして、去り際にウィンドウを下げると、私に向かって言った。
「森の中から、君に近付いていく変な影をいくつか見た。あそこを通るとな、たまに見えるんだよ」
ゾッとなる私を残し、おっちゃんは去って行った。
今でも思う。
「あのまま、あそこにいたら、私はどうなっていたんだろう?」と。