3話 バックヤード
「今日も暑いな……」
14時前、一日の内の最高気温を叩き出す時間帯の真夏の太陽がショウトの身体に容赦なく照り付ける。
そんな事を呟きながら、玄関のすぐ脇にある駐車場に停めてある黒い自転車を引っ張り出した。
バイト場までは自転車で通っている。
愛車の自転車は中学に上がる前に買って貰ったママチャリだ。前に付いているカゴは曲がり、至るところが錆びつき、更にサドルは破れ中のスポンジが顔を覗かせている。
野球に行く時はいつも一緒だった自転車。野球道具を捨てた時に一緒に捨てようとしたのだが……。まだ走れるよ。どこまでも運んで行くよ。と言われたような気がしてなぜか捨てれなかった。
実際、今はバイト場までの足としてしか使っていないのだが……。
住宅街を抜け長い坂を下ると大通りに出る。街路樹が立ち並ぶ大通りを突き進むこと約十分。バイト場のレンタルビデオ屋「GAO」に到着。似たような名前の店もあるが、そこはご愛嬌。
「おざーす」
店に入るなり適当な挨拶をしてスタッフルームへと向かった。途中で一人の女性スタッフが大量のディスクケースを持って奥から顔を出した。店長の『八千草 葵』(やちぐさ あおい)さんだ。
彼女は小柄で童顔、可愛らしい見た目とは裏腹に元プロレスラーという想像も出来ない経歴の持ち主だ。ちなみGAOという店の名前は彼女のリングネーム「グレート・葵」からきているようだ。
「おぉー! カジちゃんおはよう! 今日も十分前出社とは感心、感心」
葵は賑やかにそれだけ言うと陳列棚の方へと消えていった。おそらく返却された商品を戻しに行ったのだろう。
ショウトは葵を見送った後、スタッフルームに行くためにレジカウンターの中へ入った。
カウンターの中のスペースにはゲームソフトやゲーム機の在庫が並べられた棚がある。その奥にスタッフルームへと繋がるドアがあるのだが……。
「おい、おい……。これ通れんのかよ……」
人がすれ違えるくらいの間隔で並べられた棚。その間が通路になっている。しかし、その通路には今日入荷したのか、無数の段ボールが積み上げられていた。
出勤まで後十分。スタッフルームに行かなければタイムカードが押せない。
「しょうがねぇ、なるしかないか……」
邪魔にならない場所に積み上げられた段ボールを退かすしか道はない。だが一人だと確実に間に合わない。そう考えていると後ろから声が聞こえた。
「――うげっ! なんじゃこりゃ!」
聞き覚えのあるウザくうるさい声がショウトの耳に届いた。ショウトは振り向くこともせず、もくもくと作業を続ける。なぜなら、彼にはその人物が誰なのかわかったていたからだ。
声の主は『細川 誠』(ホソカワ マコト)名前とは違って背の低い太っちょ男子、すなわちチビデブだ。
見た目もモロと言って良いほどのオタク。元は眼鏡を掛けていたのだが、最近コンタクトに変えた。理由はお客さんの中に気になる子が出来たらしい。ただ、眼鏡を外した誠は無駄に目がキラキラしていてこれまたウザイ。正直、コンタクトに変える前に体型と服のセンスをどうにかした方が良いとショウトは思っていた。
そんな誠は、ショウトを見るなり、
「あっ、カジっちおはよー」
そう言って親指を立て、満面の笑みをショウトに向けている。
しかし、ショウトはその様子を見ようともしない。ただ一言「おう」とだけ返すと、手伝えと言わんばかりに手を招いて合図を送った。誠はそれを感じ取ってか、
「ええ、ええ! わかってますとも! オレっちに任せなさい!」
そう言ってショウトの後方に着いた。たった一年だが、誠はショウトの性格をよく理解していた。だからなのか彼は誠と一緒に居る時は不思議と気が楽だった。
そこからは、ショウトが段ボールを取って誠に渡し、誠はそれを邪魔にならない様に隅に運ぶという単純な作業を繰り返しだった。
しかし、量が量だけに始業時間には間に合わなかった。
気付けば時計は二時十分を指していた。その頃にはショウトの腕はパンパンで、誠はゼェハァ言いながら汗だくになっていた。
「だぁーっ! オレっちもう無理っ! 五キロは痩せた!」
そう叫びながら誠は狭い通路を塞ぐように座り込んでいる。そんな誠に、
「こんくらいで痩せるかよ。てかまた道塞ぐなって」
冷たくそう言い放つと、ふと誰かの視線を感じた。
誠に向けていた視線を気配のする方に向けた。するとそこには異様なオーラが漂う葵が立っていた。
「ちょーっと遅いなぁーって思って来てみれば……。おい君たち、出勤時間はとうの昔に過ぎてるぞぉ」
葵は呆れたような笑顔で彼らを見つめている。しかし、目には見えないが周囲のオーラは間違いなく赤い、漫画でいうならゴゴゴゴと書かれていても不思議ではないくらいピリピリとした空気が漂っている。
しかし、その空気を読めていないのか、誠は汗でテカった顔に笑みを浮かべながら、
「あ、マイエンジェル葵さん! おはよーございます! オレっちもうダメみたいっす! 一歩も動けないっちゃ」
そう言って、起こして欲しいのか両手を葵さんの方へ伸ばした。
「ほほぉー、そんなに起こして欲しいのかぁ。しょーがないコブタちゃんですねぇ…………」
葵は不適な笑みを浮かべながら誠に近向かって歩きだした。その距離はじわじわと積まっていく。
「――ってか誰がっ! マイエンジェルじゃーーーっ!」
遅れてきたツッコミと同時にドロップキックが炸裂、そして、間髪いれずに誠の右手を両手で掴み素早い身のこなしで両足で首と体を固定するかの様に座り込んだ。そう、それはまさしくプロレス技、腕十字固めだ。
「――ちょっ! ああぁぁぁーっ! いだいっす! 本当に痛いっすよーっ!」
誠は顔を真っ赤にしてタップを繰り返してはいるが、その表情は嫌そうには見えない。
「はーっはっは! どうだぁ! コブタちゃん! まいったかぁ!」
一方の葵は、先ほどまでの異様なオーラは一瞬にして消えさり、楽しそうに技を掛けている姿がそこにはあった。
しかし、傍から見れば幼女が太ったオタクを虐めているというシュールな光景だ。その光景に思わず言葉が出る。
「葵さん、そんくらいにしとかなと、このデブは調子に乗りますよ」
「ちょっと、カジっち! 苦しんでる友になんてこと言うんだよ!」
誠は鼻の穴を広げ興奮したように叫ぶ。すると、
「おっ! コブタちゃんまだまだ余裕だねぇー。じゃーこれはどうかな?」
そう声を発したとたん、葵さんは体勢を変えた。その体勢から明らかに落としにかかっていることがわかる。誠の首にはしっかりと葵さんの腕が巻かれている。スリーパーホールドだ。
別にプロレスが好きと言うわけではなかったが、一年もこの店で働いていると嫌でも覚えていた。なぜなら、こういった光景は日常茶飯事だからだ。
幼女にしか見えない中年店主に無様にやられているチビデブオタク。あたかもJKリフレのような状況を尻目にショウトは無言でスタッフルームへと向かおうとした。
「おぉーい。カジくん? 逃げるなんて男らしくないなーあ」
別に逃げたつもりはない。ただ準備をしようと思っただけだ。振り向くと狙いをこちらに向けたのだろうか、仁王立ちした葵が不気味に微笑んでいる。その足元には絞め殺された家畜の死体のような誠が横たわっていた。だが、その表情から伝わってくる。安らかに逝けたのだと……。
「ちょっと待ってください。オレ十分前には来てましたよ」
「それは知ってるよぉ。だけど、全然表に出てこなかったじゃなーい?」
「それはそうですけど、段ボールが邪魔で休憩室に行けなかっただけです。納品された段ボールが山積みになってたの葵さんも知ってますよね?」
「…………あ」
ショウトが淡々とそう言うと葵は一瞬考えて、思い出したか舌を出して自分の頭を小突いた。
「ごっめーん! 忘れてた! でもでもー、そこに置いたのは私じゃないよ! いつも来る、業者のあんちゃんだよ!」
こうなったらこっちのもんだ。格闘絡みになるとおっかない人だが、間違えたり、慌てたりするとただの可愛い女の子のようになる。
実際、歳は三十半ばなのだが、下ネタも苦手だ。この前も中学生がアダルトなビデオを借りようとレジに持ってきた時テンパって力任せにディスクをバキバキに折ってしまったくらいだ。それを見た中学生の顔と来たら……。
「ごめん、じゃないですよまったく……。とりあえず準備してきますから、その屍どうにかしといてください」
そう言って再び振り返り、スタッフルームへと急いだ。
ポーカーフェイスを貫いたが、内心は誠の二の舞にならずに済んだことに胸を撫でおろしていた。後方では葵が誠の名前を呼びながら頬でも叩いているのだろう。ビンタよりも優しいぺちぺちとした音と「まこっちゃーん、生きてるかー」という葵の声がしていた。
スタッフルームで直ぐにタイムカードに打刻し手書きで修正。そして名札の付いたエプロン着用した。本当であれば缶コーヒーでも飲んで一服したいところだが、遅くなると葵がまた怒りかねない。そう思うと嫌でも出るしかなかった。
外に出ると葵の姿はなく、誠が力なく壁に寄りかかり座っていた。その姿はまるでテディベアのようだ。
「カジっち…………。このっ! 裏切り者! なんで助けてくれなかったんだっちゃ!」
「いや、あまりにも幸せそうな面してたからな」
「あれのどこが幸せなんだよぉ! まぁ確かに、甘い良いにおいと柔らかな感触があったのは事実だけども! でもそれは別だっちゃ!」
変態の叫びは店内に響き渡った。
店内の状況は分からないが、おそらくお客は居ないのだろう。その証拠に、
「おぉーい! チビデブ! 今なんか言ったかぁっ!?」と葵も激しく叫んでいる。
そんなどうしようもないやり取りが繰り広げられていたが、ショウトは気にも止めず現場へと出るのだった。